返せない指輪   byボリス






 今晩、一緒にどう?



 そう言ってコプチェフはヘラリ締まりない笑みを浮かべた。
 といっても、その言葉は夜のお誘いの類ではない。同様に、あちらの手に携えられているのは薄っぺらいゴムではなく、一本のVHSテープ。

 「押収品の一つにあったんだけどさー。他の連中皆ビビっちゃって見ないの」

 俗に言う『呪いのビデオ』ってか。つーか、それでよく殺人犯だの強盗だの対処できるよな。感心ではなく勿論呆れで息を吐いた俺にコプチェフもうんうん頷く。
 黒一色の中に赤字でタイトルが刻まれただけのパッケージは非常にシンプルで、だからこそ薄気味悪く感じるのかもしれない。まぁ、持ち主であるサイコ野郎もこのビデオを見たからおかしくなった、なんて噂が囁かれてる位だ。意味不明な事を叫びながらナイフを振り回すほどに恐ろしい、そんな映像が映っているのかもしれない。
 「どうする?」と再度顔を近づけて囁く公私交えた相方へ、俺が返す返事は勿論一択。

 「朝まで寝させねぇぜ?」







 定刻通りに仕事を上がり一緒に帰宅、夕飯も風呂も済ませた日付が変わる数分前、鑑賞会は開かれた。
 ご丁寧にコプチェフの奴は部屋中の電気を落としていく。「少しでも雰囲気出る方が楽しめそうじゃん?」。そういうもんか、と思いつつ増す闇の濃さに気持ちは確かに盛り上がる。
 カーテンまできっちり引き、ビデオをセット。準備は整った。二人並んでソファへ腰かけると、シアターにしては物足りないサイズのテレビがパッと明るくなる。
 画質はあまり宜しくない。レーベルが書いてなかったから海賊版かと思ったが、正しくは個人撮影だったみたいだ。暗いトーンのBGMと薄暗い中に浮かぶ大きな建物、そしてその空気をぶち壊しにするきゃあきゃあ姦しい役者の声。
 どうやらとある学生グループが肝試しをする、という設定らしい。出ると噂の廃病院を舞台に探索するその一部始終を録画し、視聴者側も一緒に恐怖を体感する―――実にB級作品にありがちな構成だ。オチまで見える気がする。
 そんな冷めた心のツッコミには取り合わずムービーは進む。手ブレのひどい画面には懐中電灯で照らされる病院施設の内部と団子になった学生たちの背中が映った。
 で、見始めて数分後―――俺は堂々欠伸した。眠ぃ。はっきり言うが、コレは駄作だ。
 そもそも期待していたわけではないけれど、つまらない。演出の仕方も撮影アングルも陳腐で新鮮味がない。加えて、出演者が下手のさらに下を行くド素人なのが致命的だ。兎も角騒げば良いと思ってるのか、嘘くさい悲鳴が片時も止むことなくスピーカーをガンガン震わせる。なんだコイツら、ホラー舐めてんのか。役者ならもうちょっと前フリ考えて怖がって見せろ。
 砕けたガラスや注射器の散乱した院内もさほど恐怖を掻き立てる要素にならず。そりゃ、仕事柄見慣れてるしな。壁にちょっと血の跡がついてるくらいじゃ、怖がれるはずがない。
 隣のコプチェフもすっかり白けている。最初のテンションはどこにいったって聞きたいくらい。持ちかけた手前止めると言えないだけで、本当は寝たいとか思ってやがるんだ。朝まで眠らないどころか子守唄代わりかよ。

 「誰だこれが呪われるから見れないとか抜かしたアホは」

 本当、とんだヘタレが居たもんだ。明日職場に行ったら思いっきり鼻で嗤ってやる。
 そうして仕方なく流しっぱなしにしているテープはようやく半分が過ぎた。
 特に幽霊に遭遇する事もなく病院の最奥部まで到達した学生たちが「大したことないじゃん」と口々にはしゃぐ。つまり、ここまでは前フリだ。この後気の緩んでいたところをアッと驚かせるホラー要素を用意しているのだろう。どうせ下らない仕様だろうが。
 思った通り、折角だから証拠として何かを持ち帰ろうと一人が良い、なんやかんやの破片と一緒に落ちてあった指輪を拾い上げる。

 「あの指輪、絶対呪われてるパターンだよね」
 「だな。後で女の死霊が鬼の形相で追っかけるぜ」

 何なら賭けたって構わない。
 来た道を引き返すカメラに白い影が映る―――ホラ、始まった。学生たちの立てる足音に混じり別の音が聞こえる。ピシッ、ピシピシッ、と軋むような、甲高く耳障りな音。ラップ音、とかいうんだったか?天井とかから聞こえるアレだ。
 画面の中の学生もざわめき出す。「何の音だよ、」「空耳じゃないのか」ってお決まりのやり取りに被せるよう鳴る異音。大根役者どものいかにもな戸惑う素振りが逆に笑いを誘う。


 『…………返して、』


 スピーカーから、小さく女の声がした。それまでの下手な演技とは違う、低く這うような声に思わずゾクッとする。ああ、そういやこれホラービデオだったんだよな。今更ながら実感出来た。

 『……返して……返して、……』

 女の声が繰り返す。返して。指輪を、返して。大切な所有物を取り戻そうとする、悲しみとも怒りともつかない声だ。
 素直に指輪を返せば良いのに、とこういう時俺は思うのだが、当然学生たちは原因の指輪を手放さない。半狂乱になりながら、只管出口目指して駆ける。
 女の声は遠ざかるどころか次第に大きくなる。まるで、テレビ画面の中ではなくすぐ近くから聞こえてくるみたいだ。傍らのコプチェフもゴクリと唾を飲んでる。

 「……急にグレード上がり過ぎだろ」

 それとも、ここまで見越した上での伏線張ってたのか?
 返せ、という言葉に合わせて今度はカリカリ音がした。カリカリ、カリカリカリッ。壁か床かを女の霊が引っ掻いてるんだ。いやにリアルで、心臓を圧迫する音が―――

 「…………」

 ……オイ、待てよ。
 俺の気のせいかもしれねぇけど、いや、気のせいじゃないと困るんだけど。音が―――カリカリという、迫ってくる音が。俺たちの……室内から、聞こえる気がする。
 自慢じゃないが耳は良い方だ。スピーカーから流れる音と反響音、そして生音の違いくらい区別がつく。
 咄嗟に隣を見た。すると、同じようにこちらを見ていたコプチェフと目が合う。戸惑う顔はむしろ今見たくなかった。二人揃って聞いたんじゃ空耳とすら呼べねぇ。

 「……ボリ、ス」
 「……冗談だろ」


 『返して……返して、返して、返して返して返して返して』


 カリカリカリ、カリカリカリッ―――


 なんてタチの悪い冗談。そう笑いたいのに、女の声と引っ掻く音は一層近づいてくる。
 映し出されるビデオはブレまくりで混沌とした悲鳴しか伝わって来なかったが、そんなの気にしてられない。全神経集中した耳が体の温度を一気に下げる。
 ここは病院でもないし、俺たちは肝試しをしていたわけでもないのに。何で、こんな。たかがテープを見てただけなのに。返せと言われる指輪なんて、知らないのに。
 耳をふさぐこともビデオを止めることも出来ない。持ち上げられない手でソファを這い、近くにあったコプチェフの手を掴んだ。どっちも震えている。
 体面をすっ飛ばして俺たちが重ねた手の間に、けれど、変に冷たい感触が挟まった。



 それは小さくて、円形で、真ん中に広く穴の開いた…………オイ、ウソだろ。なんでだよ。
 俺もコプチェフもアクセサリーなんか身に着けてない。この部屋に、そんなもの転がってるはずがないのに―――……



 『返せ返せかえせかえせかえせカエセカエセ』



 ―――バンッ!!!!


 
 「「っ!」」

 
 俺たちは揃って首を振った。ビデオのついている前ではなく、横へと。
 そちらには施錠済みの窓がある。ベランダのついていない、地上から三階上がったところの窓―――それが外側から激しく叩かれている。バンバンッ、と引いているカーテンが衝撃で揺れるほどだ。



 バンッ、バンバンッ!バンバンバンバンバンッ!!!!



 「やめろ、やめろよ……!」


 ビデオからは悲鳴が聞こえる。女の声も。同時に、俺たちのすぐ脇からも同じものが聞こえる。
 なぁ、もう良いだろ。俺たちはお前の指輪を盗ったりしてない。追いかけられる謂れなんかない。この手にあるのがソレだっていうなら、すぐ離すから、









 『「…………返して、」』











 ……耳に届いた声は、スピーカーからだったのか、肉声だったのか。握った手の上へ重なった、冷たいものはなんなのか。
 ブツリと切れたテープを巻き戻すことも出来ない俺たちには、知る由もない。










――――――――――
2012.07.31