『幽霊タクシー』って知ってる?


 そうそう、運転中道に佇む女性を「送ってあげるから」って言って乗せたは良いんだけど、実は彼女幽霊で振り向 いたら座席には誰も居ないっていう怪談。都市伝説になるのかな?ま、その辺はどうでも良いんだけど。
 ああいうの聞くと、まさかねーって思う反面、実際あったら嫌だなぁって思うんだよ。
 職業は違えど、運転を生業にしている身なんでね。機会は結構あるってわけで……



 …………あ、気づいちゃった?感が良いなぁ。



 そ。俺、実際に遭遇しちゃったんだよ。その『幽霊』とやらに……いや、




 幽霊がただ乗って消えるタクシーより、アレはもっと恐ろしかったよ……―――






「あと少しだったのに……」   byコプチェフ






 深夜、パトロールの帰り道。署に戻るのは二度手間だからと相棒を一足先に下ろしてやって、俺は一人ラーダ・カスタムを運転してたんだ。
 月も星もない曇り空の下、繁華街から離れていく通りは街頭も少なくて前方を照らすのはヘッドライトのみ。時間帯からしても当たり前だけど、通行人は一人としてすれ違わない。俺は慢心しないよう前を見据え、ハンドルを操作する。
 ほどなくして、フロントガラスに水滴が付くのが見えた。雨が降り出したんだ。ポツポツと濡れて滲む視界に俺はワイパーを動かした。二本の触角のようなそれがウィンウィン揺れるたび視界はクリアになりながらも狭くもなる。
 その隙間から人影が見えた。電柱脇に佇む一人の女性。ライトが映すその姿に傘を持っている様子はない。俺は車のスピードを緩めると彼女の手前で停車した。

 「君、どうしたの?」

 ウィンドウを下げて女性に声をかける。
 長い髪を垂らし俯いた彼女の表情は良く見えなかったが、外見だけで判断するなら不審者らしき感じはしない。(最も相棒に話せば「見た目で舐めてかかるな」って叱られるだろうね)なんで、俺は職務質問ではなく、至ってソフトな口調で問いかけた。
 大方終電を逃したか家出かその辺りだろう、と予想していたら、案の定彼女は「帰りのバスを乗り過ごしてしまって……」とボソボソ答えた。
 衣装や髪の濡れ具合を見る限り、雨が降り出す前から居たんだろう。さぞ途方に暮れたはずだ。こんな時間じゃタクシーだって中々掴まらないもの。
 気の毒な彼女へ俺は自然に、

 「もし良かったら家まで送るよ」

 と提示した。まるでナンパみたいだって?いや、これでも一応俺、おまわりさんだから。困ってる市民を助けるのは当然なの。別に相手が女性だったからとか、そんなんじゃないよ。本当。

 「女性の一人歩きは危ないでしょう?雨も止みそうにないし、そのままじゃ風邪もひくよ。
  心配なら少し戻ったところの公衆電話で一度家族に連絡して、それからでも構わないから」

 身分証も提示、ついでにスマイル一つ。経験上この顔が一番相手の信頼を得られるって知ってるんだよね〜。
 納得してくれたのか、小さく頷いて了承の意を示した彼女に俺は後部座席のドアを示す。

 「ゴメンね、助手席は指定席なんだ」

 彼女は特に文句を言うでなく座席に収まった。バックミラーでその様子を確認し、再びアクセルを踏み込む。

 「家はどこ?」
 「……××地区東A-、」

 雨音に打ち消されてしまいそうなほどの小声で説明する彼女宅の番地は生憎と俺の担当地区外だった。行くまでなら問題ないんだけど、家一軒迷わず着くとなると……流石にちょっと難しい。
 グローブボックスに仕舞ってる住宅地図を出す手もある。けど、道を知った相手が居るんだからここはナビゲーションしてもらおうっと。

 「とりあえず知ってるところまで行くから、細かい指示出してね」と俺は彼女に頼んだ。頷くのが見えたから、大丈夫だろう。

 運転する間、道のこと以外に色々彼女へ話しかけたりしてみた。(あ、言っておくけど変な話題は振ってないよ。後で訴えられたら洒落にならないし)
 でも、どうやら話すのが相当苦手な子らしくって、反応はイマイチ……会話がキャッチボールとして成り立たなかった。まぁ、怯えきってるわけでもないみたいだから良いとすべきなのかな。
 聞き取りずらい彼女の声を邪魔しないようカーステレオの類も切ってるんで車内は本当に静か。唯一音源と呼べるエンジン音も次第強くなる雨に飲み込まれてしまう。
 彼女の自宅がある地区は車で数十分、山道を突き進んだ先にある。
 鬱蒼とした木々に囲まれた登り口まで来て、俺はワイパーを弱から強に切り替えた。視界は一気に悪くなる。

 「しかしまぁ、偶然通りかかって良かったよ。結構距離もあるし、下手したら遭難の勢いじゃない?」

 本音と冗句を混ぜた非常に取りやすいはずのボールを笑顔で投球。で、やっぱり彼女はノーキャッチ。……な、なんか凹む。
 肩を落とし、諦めて運転に集中する。山道故に人身事故の心配は少ないけど、同時に路面の悪さは浮き彫りになる。この辺りは特に未整備だから俺の運転技術を持ってしても結構揺れが激しい。ぬかるみでスリップしないよう気を配るのが関の山だ。

 「ちなみに、ここからだとどれくらい走ったとこに家あるの?」

 通り過ごすことはないと思うけど、先に訊いておく方が安心だ。すると彼女は「もっと先」と答えた。うん、間違 いじゃないけどね。
 そのままずんずん車を走らせる。脇の木へライトが反射し、大きな影が前方左右に浮かび上がる。こういうの、子 供が見たらきっとお化けと勘違いするんだろうな。俺でもちょっとドキッとするし。まるで闇に飲み込まれてるみた いだ。
 上がったり下がったり、カーブを切ったり、結構道を進んでから俺はもう一度彼女に尋ねた。

 「この辺からだと、どれくらい?」

 彼女はまた「もっと先」とアバウトに指示。……目印らしい物もなかったし、仕方ないか。
 アクセルを軽めに踏む。雨粒がバタバタと車体に当たって弾ける。最早暴雨の域だ。小さく雷の音も聞こえる気が する。ついてないと言おうか……なんとなく、嫌な感じの予感がしてきた。

 「……あの、さ。やっぱりこの道、もっと先?」

 念に念を重ね、確認。答えは「もっと先」。そりゃ家の一軒も見えてないんだから先に決まってるんだけど、でも 、なんか変じゃないか?俺の記憶にある地区までの走行距離は、こんなに長くなかった気がするんだけど。
 無意識にバックミラーに目をやる。彼女は、ちゃんと後部座席に居る。消えたりはしてない。小声で必要最低限だ けど、返事もあるし…………


 ……………………そういえば、彼女の服、なんで濡れたままなんだろう。


 タオルとか拭けるものが手元になかったんで、代わりにエアコンで乾くよう気を使って温度上げてたんだけど。効 果なかった?

 疑問がさらに膨らむ。どうであれ、あんまりジロジロ見ては失礼だ―――そう思って前に戻した俺の視界右半分に 閉塞物が飛び込んだ。脇の樹木から伸びた木の枝だ。油断してた!
 慌ててブレーキを踏み、ハンドルを―――

 「ッ!?」

 どうしたことか、ブレーキが効かない。足で目一杯踏み込んだのに車体はつんのめりもせず、スピードを維持して 走り続ける。
 何故、と考えるより先、咄嗟にハンドルを大きく切った。左の限界まで回し、即座右に戻す。車体が半分地面から 浮いて直後叩きつけるような衝撃を伴い地面へ接着、蛇行するのを捌いて体制を立て直した時車内も車外も被害を受 けずにいたのはまさに僥倖としか言いようがない。ビバ俺。
 とはいえ、自らの腕前に酔っていられる状況でもなし。ブレーキは効かない、そのくせアクセルはペダルから足を 離してるのに戻ってこない。それどころかメーターが加速している。
 焦る自分に落ち着け、と念じ頭と腕をフル稼働させる。ギアをシフトダウンさせても効果なし。エンジンブレーキ を引く。止まらない……
 指先が白くなるほどハンドルを握りしめる。雨で前が見えな い。闇に、喰われる。ゴロゴロと唸る雷鳴が耳を劈く音を立てた。


 「もっと先……」


 ―――っ勘弁してくれッ!
 叫びたかったけど、実際には声なんて出なかった。背後へ漂う言いようのない気配と絶体絶命な状況に全身が冷 たくなる。もう振り向こうとは思えない。振り向く余裕も一切ないけど。
 落雷が視界を真っ白に染める。轟音に音の消えた聴覚。でも、眼前に再び映る太い、今度は樹木の幹そのものに息 を飲み、俺は最後の望みをかけて片足を思いっきり振り下ろした。


 ガンッッッ―――!


 全体重を持ってブレーキを蹴り付ける。バランスを崩した上体が倒れ、派手にクラクションを響き渡らせた。


 「ッハァ、っは、……」

 木霊する音の中、荒い俺自身の呼吸が混じる。…………と、止まった。時速0キロになった車内でハンドルの上にヘ ナヘナ脱力する。
 それからすぐ、本能に従いドアを開けた。逃げないと、ともう一人の自分が言ってた。
 降り注ぐ大量の雨が体を一瞬で濡らす。けど、俺はそんなこと気にもせず、只管唖然とした。


 目の前には道から横向いて止まるラーダ・カスタム。
 それと、茶色い土の山があった。


 道を遮るようにうず高く積まれた土と瓦礫は車体の鼻先まで迫っている。ラジオの類をつけていたらきっとこう放送されただろう。『××地区へ向かう山道にて土砂崩れあり。全面交通止め』と。
 もし、あのままブレーキがかからず走っていたら……
 笑えない想像に背が震える。不意に、後部座席の存在を思い出した。見たくない、そんな本音を抱きつつ俺は恐る恐る振り返った。


 ……誰も、いない。


 目を凝らすまでもない。女性の姿も形もなかった。
 ただ、座席のシートがそこにさっきまで誰かが居たかのようにぐっしょり、濡れている。それと……






 「あと少しだったのに……」







 …………耳元撫でていった声は俺の心を打ち砕くには十分だった。
 運転席に乗り込み、乱暴に進路変更。先ほどまで自由が利かなかったのがウソみたいに思い通りに動く車を飛ばし、俺は土砂崩れの跡地から去った。
 何が『あと少し』だったのかなんて、教えてくれなくて結構だよ。




 後日、俺は高熱で寝込んだ。
 単に夜半の雨に打たれたからかもしれない。気分も最悪な病床で俺はとりあえず見舞いに来てくれた相棒の手を握って離さなかった。(かなり怒られたけど、)
 血の通った人の温もりを頬で確かめながら、俺は思ったんだ。二度と助手席の彼以外、車には乗せたくないなって。






 皆も運転をする際、知らない誰かを乗せるようであればくれぐれも気をつけて……












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2012.07.31