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Tritsch Tratsch Tritsch Tratsch ...


さあさあ道をあけて ジャックが街へやって来る

魔女に黒猫 ドラキュラ 幽霊 みんな宵闇抜け出した

拍手はいらない 出迎えは甘い匂いで十分

キャンディ ドーナツ シュークリーム カボチャ詰め込んだ丸いパイ

墓石ビスケットにクモの巣ケーキ 舌もとろけるお菓子たち



今日はハロウィン 楽しいハロウィン



さあ、行くよ―――準備は出来てる?





「Trick or Treat!」




 塀の中から見る空が四角い、というのは嘘ではない。
 そんな部分的ではあっても、やはり頭上に広がる澄み渡った青色は清々しく心潤わせる。頬に当たる風も未だ心地良い。白い氷雪で覆われる冬とは異なり外で待つのがさほど苦になる時節ではないのだが、職場の裏手へと佇むカンシュコフは正直気が落ち着かなかった。
 暖かに注ぐ日差しからも分かるように今は日中、勤務時間中である。一応仕事のない時間帯を狙ったものの、同僚や上司に見つかれば何と言われるか。何より待ち合わせの相手を知られたら小言だけでは済まない―――最悪、四角い空すら見納めになる。秋晴れを暢気に堪能できる余裕など、ありはしない。
 本当に、来るんだろうか。
 外と交互に睨む腕時計が指定の時刻示すまで、もう数分。約束交わした時の浮つきは苛立ちに、そして焦燥へと変容していく。
 まだか。まだなのか。有刺鉄線張るフェンスの向こう、それらしき姿は見えない。もし見回りの連中が早く来たりしたらどうするんだ。どう言い訳する。

 いっそのこと、物だけ置いておこうか。

 一瞬過ぎった妥協案に、だが頭の中に存在するもう一人の自分は賛同しない。
 リスクがあるというなら、向こうだって同じだ。度合いから言えばこちら以上といえる。それでも危険を冒してやって来ると言ったのに、自分が逃げてどうする。

 「……つーか、来なきゃ良いだけの話なんだが」

 脱走した刑務所へ、こっそりとはいえ戻ろうとする神経が分からない。しかも用件が用件だけに尚更だ―――ええいまだ来ないのか。
 あと1分。あと、20秒。早く早く、と口に出す勢いで願う。まさか、事故か。すでに来る途中捕まったなんてことだけは、頼むからならないでくれ。
 祈るのにも似たカンシュコフの気持ちを、しかし嘲笑うように時間は進む。もう、5秒―――数字へ重なる針に、目を瞑る。
 タイムアウト。待ち人来ず。失望にがっくりと落ちる肩―――が、直後届いた声に跳ねた。
 慌てて視線投じた先、映る人影。金網越しであろうと、その顔見間違えるはずがない。ぶんぶん手を振って駆けてくる姿に思わず頬が緩む。が、すぐに表情厳しくすると潜めた声で怒鳴った。

 「遅い!あと大声出すなっ!」
 「す、すみませ、っぜは……」

 重ねていうが、見つかって困るのはお互いなのだ。しかも、この様子なら遅刻したのも単に家出るのが遅かっただけだろう。心配して大損だ。
 「久しぶり」の挨拶代わりの一喝に、息切らした頭が下がる。と同時に、ずるんと頭部の被り物がずれた。
 ニタリ裂けた口で笑うカボチャ―――小さめの頭に対し巨大なそれは、明らかに吊り合いが取れていない。足元ふらついている原因は案外走ったばかりではないのかもしれない。
 わたわたと視界を覆うもの退けようと奮闘する様子に、カンシュコフの口から思わず溜息が出る。

 「たく、……少しは気をつけろよ。その格好も目立ちすぎだぞ」

 自分が遠くからでも見つけられたように、鮮やかなオレンジ色はそれはよく目立つ。引き摺るほどに長い闇色のマントも、白昼では逆に景色から浮く。密会の場にこれほど不適切な格好もあるまい。
 本当にコイツ、脱獄犯って自覚はあるのか。そう、呆れ顔になったカンシュコフにカボチャが―――もとい、カボチャを被ったプーチンが異を唱えた。

 「だって、仮装しないと―――今日は、ハロウィンなんですから!」

 11月1日の諸聖人の日を前にした、前日祭である今日。カボチャのジャック・オー・ランタンも妖をモチーフにした仮装も慣わし通りである。
 さも当然のように主張する相手へ、「いや、だから犯罪者がハロウィンとか騒ぐなよ……」というツッコミは通じない。でなければ、今日わざわざ会う約束取り付けたりもしない。
 そういえば収監時もこの日になると騒々しさが倍増していた。シーツを被ってお化けだなんて騒ぐ囚人は、後にも先にも541のナンバー受けたこの風変わりな男だけだろう。カボチャの下にある頭のネジは、当時から相当緩んでいた。
 最も、その騒動へ巻き込まれるのを面倒に思いつつ、若干楽しんでいた自分も大概ではある―――心の曇り取るあの陽気に、少なからず感化されてしまったらしい。
 自然浮かんできてしまう苦笑を隠すように、咳払いする。再会の喜びをゆっくり分かち合いたくはあるが、あまり時間もない。
 「ともかく早くしろ」と促すカンシュコフに、待っていましたと言わんばかりに高い声が問うた。

 「Trick or Treat?」
 
 お決まりの文句と共に、突き出される両手。三角に刳り貫いた穴から覗く瞳は、すでに甘い菓子に対する期待で輝いている。
 しかし、仮に要求拒否したらどう悪戯するつもりなのか。背丈よりも高いフェンス挟んだこの状態では何も仕掛けられないだろうに。思わなくもなかったが、あえて焦らさずにカンシュコフは用意していた物を取り出した。
 金網の目は腕が入るだけの大きさはない。ここでも大活躍する第二の腕―――マジックハンドの先に袋を引っ掛け、あちら側へと押し出す。大した大きさでないのが幸いして無事に穴通過したそれは、狙い通り広げた掌に乗った。

 「ほらよ。」
 「わ~い!お菓子お菓子っ!」
 「だから大声出すなって」

 性懲りなく歓声響かせるプーチンを窘めながらも、言うカンシュコフ自身声が尖っていないのを自覚していた。
 本当にちょっとした、一包みの菓子でしかないのだ。特別中身が高級なわけでもなんでもない。
 それでも小さな袋掲げて心底喜ぶ姿に、胸中がほわり暖かくなる。出会った時からずっと見てきた、純真そのものの笑顔。犯罪者と呼ばれる立場であろうと、深緑の瞳には一片の濁りもない。
 柔らかな、密かに心惹かれていた微笑み。こんな子供じみたお遊び付き合うだけでその顔が見られるなら、安いものだ。

 「あれ―――このクッキー、もしかして手作りですか?」

 くんくん、と袋へ鼻先突っ込んでいたプーチンが、ふと首傾げた。
 我慢できずに開けてしまった包みの中、甘い匂いさせる焼き菓子は大変美味しそうなのだが、心無しか一つ一つの形がまばらな気がする。店の売り物ならもう少し規格が均一なはず。よく見ると袋にも何度か包みなおした痕跡がある。
 確かめるよう見上げてくる目に、思わずカンシュコフは顔逸らした。

 焦がしてないし、味見だってちゃんとした。が、それをわざわざ説明する必要なんてない。

 「……不味かったら、捨てとけ」と、そっぽ向いて付け足す。
 意地悪そうな笑み浮かべるカボチャとは正反対の、邪気ない笑みが向いているのを感じてももう視線は戻せない。

 「捨てたりなんてしませんよぉー。大切に食べます。ありがとうございます、カンシュコフさん」
 「……いいから、見つかる前に帰れよ」

 努めて平坦な声出して、しっしっと手を振る。
 秋も深まる晩秋だというのに、やたら頬が熱い。動悸も忙しないし、まるでタチの悪い悪戯でも受けたかのよう。菓子渡したというのに約束が違う。


 ―――それでも、きっと。来年も再来年も、この日この場所へ必ず自分は立つのだろう。

 菓子も悪戯も大好きな、小さなジャックに会うために。


 ヒラヒラと手とマントを揺らして駆け出す背をこっそり見送る。あれは絶対、途中でこけるな。仮装も次からはもう少しまともなのにするよう勧めたほうがよさそうだ。

 ……などと、カンシュコフに他人の心配する余裕があったのは、後ろへ人が立つまでだった。

 「おや、カンシュコフ。」そう、予告ナシに呼ばれ飛び上がる。聞き覚えある冷徹な声―――振り返らずとも分かる相手に、思わず背中へ汗が浮かぶ。先ほどまでの熱さからくるものでない、嫌な汗が。
 しかしこのまま無視するわけにもいかない。転回拒否しようと抵抗する身体を、無理矢理捻る。哀しいかな、予想は見事、的中した。

 「ゼ、ゼニロフ……」
 「奇遇ですね、こんなところで会うなんて。休憩ですか」

 ですか、と疑問系でありながら、それはすでに確定事項である。さらに付け加えるなら、この経理の鬼にかかれば休憩とはすなわちサボり。給料泥棒と同意だ。
 咄嗟に自己弁護しようとしたカンシュコフの口はもごりとこもる―――まさか、プーチンの事を素直に言うわけにはいかない。脱獄犯と会って話して見送りまでしていましたなど、言える訳がない。かといって代わりとなる弁解も浮かばず、結局黙って突き刺さる視線に晒される。
 元より懲罰の危険は覚悟の上。腹括ってしまえ。減給か、それとも直接巻き上げるか。金でなく反省房行きならそれでもいいだろう。何でも来い。解雇はちょっと、困るけど。
 悲壮な思いで天命待つカンシュコフとは裏腹に、しかしゼニロフは思案するよう眼鏡押し上げた。

 「いえ―――折角ですし、今日は別の趣向にしましょう」
 「?」
 「Trick or Treat?」

 聞こえた内容に思わず「は?」と聞き返す。つい先ほども聞いた科白―――それよりも流暢な発音で述べた言葉は、すぐ冗談と一蹴されるものだと思っていた。が、にこりともしない目の前の相手が手まで突き出すのに、いよいよ本気である事を知る。
 菓子は菓子でも金色の最中を暗示しているのだろうか。どちらにしても、今のカンシュコフは手ぶらだ。なので素直に首を振ってその意を伝える。
 ふるふる揺れる金髪に「それは残念です」と―――その実ちっとも残念そうでない声と表情で―――言ったゼニロフは、一歩退いた。
 途端、カンシュコフは走ってこの場を逃げ出すか土下座して財布を差し出すか、頭をフル回転させて考えた。背にした塀をよじ登るという、究極の選択でさえ浮かんだ。

 黒いローブを被った子供―――白髪の隙間から覗く赤い瞳と同じ、感情の欠落した声がポソリ呟く。

 「……お菓子くれないなら、いたずら」
 「いやいやいや!その鎌いたずらってレベルじゃねぇだろっ!?」

 小さな手が握る鈍い光前に、さぁっと血の気が引く。だが何度言われようと、ポケットすべてひっくり返しても砂糖一粒出てはこない。
 待て、ショケイスキー。部屋に帰ればクッキーがある―――失敗作の、だが。

 「…………」

 無言のショケイスキーにあえて確認とるまでもなく、彼は甘い菓子を所望しているのである。黒焦げクッキーは、菓子に分類されない。

 ―――来年のハロウィンは、迎えられないかもな。

 死神が振り下ろす『いたずら』に。カンシュコフが予見した自身の未来は、大変に、暗い。


 「…………ところで、あっちのカボチャは無視って良いのか?」

 辺り憚らない悲鳴響くのを一旦横に置き、ロウドフは塀の外示す。
 重いカボチャ被った状態ではさほど遠くまで行ってはいまい。総力持って探せば―――そこで生死かけた追いかけっこしている二人でも投じれば、容易に見つけ出せよう。
 勤勉で仕事も出来る模範囚人は個人的に気に入っていたのだが、脱獄犯である以上牢に戻さなければならない。
 割と常識人であるロウドフの質問に、 恐らく刑務所内で一番の識者である同僚は「構わないでしょう」とあっさり言い放った。
 敷地外で起きることは給料に反映されないし、相手にかけられた懸賞金も低い。それに、

 「それに?」
 「悪戯されては、かないませんから」





 †    †    †    †    †    ★  †    †    †    †    †    ★   †    †    †    †    †    





 ―――正直、やってられない。


 街がカレンダーに沿って浮かれ模様になると、比例して民警達の顔は険しさを帯びる。
 イベント自体は悪くないのだ。伝統行事を楽しむ、実に結構なことである。
 ただ、問題はそれに乗じて騒動起きる確立が高くなることにある―――喧嘩、放火、誘拐。楽しい祭日とは相反する事件の応対しなければならない身では、なかなか市井に溢れる雰囲気迎合出来ない。
 ボリスもそんな中の一人だ。ただ、彼の場合はどちらかというと人に迷惑さえかけなければある程度羽目を外すのは祭りのうちと容認するタイプである。機嫌が悪いのは、偏に仕事で自身が祭りを楽しむ余裕ないため。周囲が面白おかしくやってるのに、一日中警備で突っ立 っていなければならないなんて、馬鹿みたいではないか。
 かような理由あって、彼は眼下のカボチャを睨む。括った髪型も含めてすっぽり被り物で隠れてしまっているが、三角穴から覗く緑の瞳や「Trick or Treat?」と嬉々としてのたまった声から簡単に誰か分かる―――定職についていないお尋ね者は随分と暇なのだろう。

 「遊びほうけていいご身分だな、チビ」
 「こら、ボリス」
 「ほ?」

 隣の相棒はすぐ窘めたが、こてん、と傾いだカボチャには嫌味通じなかったらしい。
 勿論、当人が望んで無職でいるわけでないのはボリスも知っている。真面目と善良を絵に描いたような相手はむしろ極一般人の生活送りたいと思っているであろうことも、なんとなく推察できる。コプチェフに注意されるまでもない。最初から全て、冗談だ。
  
 「まったく―――ああ、気にしなくて良いから。それより、はい」

 Treat、と言って手持ちのキャラメルを差し出したコプチェフは、ニコリ人好きのする笑みを浮かべた。既に何度か交わした遣り取りは手慣れたものである。小さな妖怪や妖精がひしめく街に立てば、必然的に遭遇してしまう現象―――普段甘い物など携帯しない彼だが、今 日ばかりは別だ。
 馬鹿騒ぎする一部の連中と違い、子供に罪はない。菓子求めて群がられても優しく対応するのが大人の勤めである。
 決して「悪戯しちゃうぞ」と脅されたからといって「じゃあ脅迫罪で逮捕だな」と手錠チラつかせたりしてはならない―――目付きの悪い、相棒のように。
 一皮剥ぐと案外面倒見の良い性格をしているのだが、大抵の子供の場合ドスの聞いた声を聞いた時点で泣いて逃げていく。その都度やった本人が微妙にしょげているのだからなんともいえない。せめて冗談は笑って言うよう、アドバイス送るくらいだ。
 そういった中で少しばかり付き合いのあるこのジャックは、逃げも泣きもせず顰め面の民警へ再度問うた。

 「ボリスさんも、トリック・オア・トリート?」

 どうやら一組扱いではなく、一人ずつ請求する気らしい―――ニコニコと笑顔で強請るプーチンを、黒眸が苦々しく映し出す。その理由が不慣れからくる戸惑いと気恥ずかしさであると、誰が気付こうか。

 「ほら、ボリス。お菓子出して」
 「……ねぇよ、そんなもん」
 「えぇー、持ってないんですか?グミも?ハニー・バーも??」
 「ねぇったら、ねぇ!」
 「ふぅん?」

 強固に言い張るボリスへ、すっとコプチェフが目を細める。
 ……なんで、コイツが返事をする?
 一瞬、嫌な予感に身構えるボリスだったが―――遅い。
 止める間もなく逸れた藍色の瞳は真っ直ぐ、緑の瞳と交わる。「じゃあ、」と、ニヤリ笑み浮かべた二人が叫んだのは、同時だった。

 「イタズラだ!」
 「イタズラだぁー!」
 「っうわ―――!バ、バカやめろ、くすぐんなっ!」

 ダッ!と襲い掛かってくる腕に必死に庇う。しかし、自分の2本の腕に対してあちらは4本。前と後ろ、あるいは左と右といったように挟み撃ちでこられては分が悪い。
 おまけに、これはあくまで『イタズラ』。他愛もない遊びの範疇では、暴漢に襲われた時のように関節技かけて押さえ込むことも出来ない。

 「つーか、何お前も加勢してんだコプチェフ!?」

 後ろからわき腹辺りを―――もう少しいうと、更に際どい位置を狙って―――くすぐるコプチェフは、しれっと答えた。

 「そりゃあ、お菓子くれないから。ねぇ?」

 と、話振れば腕に纏わりつくプーチンも「ねー!」と返す。尖った角した悪魔とジャックの、即席のコンビ結成。相性も中々良いらしい。息の合ったモーションは隙がなく、魔手と呼ぶのに相応しい手で迫ってくる。

 「結託してんじゃねぇよお前らっ―――っだあぁあ、ヤメロ脱がすなくすぐるなぁーっ!!!」




 ―――そうして秋風に乗って高く遠く、どこまでも悲鳴が運ばれていくこと、暫く。




 「あった―――!」

 叫んだプーチンが高々と掲げる手の中、キラリ光るチョコレート。
 内ポケットからやっと探り当てた銀紙の包みに、喜びのあまりぴょんぴょん飛び跳ねてしまう。

 「コレ、貰っても良いですかっ?」

 勢い込んで尋ねる声に、息も絶え絶えなボリスは「っ、……す、好きに、しろっ……」と漏らすのが精一杯だった。
 正直、これ以上イタズラ続けられたら身が持たない。真っ赤な顔した彼に、チョコレート手放す以外選択肢は存在しなかった。
 こんな事になるなら、下手に隠したりせず最初から渡していれば良かった。高々菓子一つでとんだ災難だ―――乱れた息と服装戻し、ぐったりと首折る。礼言って去るカボチャが「また来年!」などと言っているのが聞こえて更に疲れが増した。

 来年もし同じようなこと仕出かしてきたら、その時は容赦なくシベリアに送ってやる。悪戯だろうがなんだろうが、知ったことか。

 最初から菓子渡せば良いのかもしれないが、それだとなんとなく負けた気がする。それにボリスとて菓子やるよりは貰いたい。取られたチョコレートも本当は自身の間食用だったのだ。
 やり場のない憤りに、ケッと足元蹴り上げる。空切った爪先は、目の前にある紫の頭へ狙い通りめり込んだ。
 
 「いっぺん死ね、この大馬鹿野郎」

 すでに何度か殴打食らわせた頭睨み、吐き捨てる。青筋浮かべた彼の発言は、今度こそ冗談でない。
 こぶも浮かんでいるらしい相手に対して同情する必要などどこにある。身内の恥でなければ即行縄打ってブタ箱に突っ込んでいる。今から実行してやってもいいくらいだ。
 それに対し、涙目で後頭部押さえたコプチェフの答えは「だって、ほら、ハロウィンだし」だった。ボリスを更に憤慨させるには十分な一言である。

 ―――何がハロウィン、だ。とぼけやがって。

 第一今日自分達は仕事で、一般人と同じようにハロウィン楽しむことなど出来もしないのに。
 いつも通りの制服纏い、夢幻の一夜に踊ることなく厳しく現実見定める。妖し跋扈する今宵であろうと、結局悪事働くのはゴブリンでも火の玉ウィルでもない。魔物より深い闇抱えた、ヒトだ。
 ああ、まったく腹の立つ―――カリカリすると俄然、糖分が欲しくなる。甘い、舌上ででまろく溶けて消える菓子を貪り喰らいたい。
 そこらを歩くお化けたち―――たとえば、さっきのちんちくりんなジャックとか―――は簡単にこの欲求満たされるのに、益々不公平だ。
 そんな心情表には出さないよう、彼は殊更大きく鼻を鳴らす。

 「こんなイベントに浮かれるなんざ、バカかガキかのどっちかだろ」
 「でも、ボリスこういう賑やかなの好きじゃん―――ああいやいや待った、落ち着いて」

 問答無用で腰の得物に伸びた手が、慌てて押さえられる。
 面白くもない祭日にボリスの苛立ちは臨界点突破目前、甚く危険な状態だ。ともすれば本気で発砲しそうな、そんな相手にコプチェフは「そうじゃなくてさ、」と苦笑する。
 そうじゃないならなんなのだ。ねめつけてくる漆黒の目の前に、彼はポケットから引き抜いた手を翳した。

 「仕事も大切だけど。折角年に一回のハロウィンなんだから、楽しまないと損、じゃない?」

 『少しくらい羽目を外してこその祭り』、でしょ―――口の両端上げた、どこぞのカボチャとそっくりな表情を向ける。
 その指に摘まれたキャラメル、それは血糖値の低下していたボリスがまさに今しがた望んでいた物。一粒頬張れば夢の世界へ飛び込める、魅惑の砂糖細工。



 それでは、問題―――お菓子を貰うとき、言うべき言葉は?

 答えはとても簡単―――大人も震える魔法の呪文を一言。



 一瞬面食らっていたボリスが、正しい解へ到達するまでさほど時間は要らない。


 だって、今日は楽しいお祭り―――ハロウィンなのだから。




 「Trick or Treat!」




 お菓子くれなきゃ、ブっ放すぞ!





 †    †    †    †    †    ★  †    †    †    †    †    ★   †    †    †    †    †    





 「とりっくおあとりーとぉーーーっ!」

 轟く、と表現するのがぴったりな声に言葉が遮られる。中断してしまった報告作業に一瞬ヒヤリとするが、彼の主人は「―――来たか」と一言漏らしただけだった。
 常ならどんな偶発であろうと横槍入れられれば冷ややかな一刀で持って制裁下すというのに。怜悧な横顔へ浮かぶ表情は普段目にする酷薄なものと大いに異なる。
 つまりそれだけ、相手を許容しているということだろう。踏み鳴らす足音も軽い、この世界のことなど何も知らない素人である相手を。自身のテリトリー、一部の隙もない懐深くへ受け入れる程度には容認している。
 それがある種奇跡と呼べることを、彼は知っている。
 組織に長く属し、階層で見れば上に数えられる彼ですらそこそこの『信用』受ける程度。背信するつもりなど毛頭ない。ただ、心開いて他者を頼るそもそもの必要性が、かの人にはない。誰の力を借りずともその手は常に自身の望むものを掴み、寄る辺などなくてもその足は真っ直ぐ立つことが出来る。臣従している多くの人員など実のところ居なくても構わないのだ。ピラミッドの形なさずとも、その身は頂点である。
 対等な立場の相手を探すのも一苦労な、そんな主人が現在までに『信頼』と呼べるもの置いたのは、恐らく血を分けた兄弟くらいなものではないか―――当人は絶対、口にしないが。
 だからこそ彼は、一客人に対する以上の礼節を持って部屋に飛び込んできたカボチャを迎えた。

 「ぅわっとっと、あ!キルネンコさんキルネンコさん、トリックオアト―――……えーっと、……もしかして、お仕事中でした……?」

 転がり込むようにして―――実際、足元絡み付くマントの裾にすっ転びかけていたが―――入ってきたプーチンは、ぎこちなく首を傾げた。
 書類手に部下と顔を突き合わせている以上、もしかしなくても仕事中である。
 思わず回れ右しかけた身体を、けれどキルネンコが呼び止めた。

 「構わずに入れ」


 ―――割と重要な案件なのですが、ボス。


 早々切り替えられた優先順位に、思いはしても口には出さない。彼に判別出来る程度のこと、主人は当然認識済みだ。その上で振るう采配もまた、間違いがない。余計な進言は身を滅す。
 分かりやすいよう明け渡した場所へ、とてとてとプーチンがやって来る。向き合う赤い瞳―――人によってはその目を見るだけでも困難だ。畏怖に、戦慄。そのつもりがなくても滲み出る威圧を前に膝を屈する。そうして消えていった敗者を彼は星の数ほど見てきた。
 心酔するファミリーの人間でさえ、改めて一瞥向けられれば視線外さずにいられるかどうか。言葉交わすなど、もってのほかである。
 果たして、沈黙は破られる―――萎縮することなく、はっきりと声上げたプーチンによって。

 「Trick or Treat!お菓子下さい、キルネンコさん!」

 野菜の皮程度では防ぎようのない眼圧平然と浴び、且つ要求までかませるこの度量。毎度のことながら、彼は肝を抜かれる。目の前の小さな身体にはもしや心臓が埋まっていないのか。馬鹿げていると分かっていても思わずにはいられない。
 下さい、と突き出した手を切り落とされても文句は言えまい。代価となる心付けすら、持っていないのだから。
 ストレートな、いやストレートすぎる発言。ふてぶてしいともとれる態度に立場上即刻たたき出すべきか、正直迷う。
 ただここで一つ明確なのは、決断下すのは彼ではない、ということだ。
 僅か空気が震える―――そっと向けた視線の先、主人の口の端が上がっているのを彼は見止めた。合格、だ。
 知らずつめていた息を吐き出す。カボチャ頭と胴の分断ショーは、どうやら免れた。
 「隣にある」とキルネンコが示した扉に、両手上げたプーチンは迷わず突進していく。
 この無警戒さが彼にはまた信じられない。用意されているものが無害な菓子だという保証などされていないのに。それ以前に、対峙している相手へ背を見せるということ自体ありえない。
 驕りとも策略とも違う、直向なまでの純朴。
 一般人だから、という枠で括ることは出来ない。裏も表も関係なく、人の世は醜悪で陰惨だ。
 献身は酔狂に、清廉は無知に。美徳と称されるものは尊敬より嘲笑の対象として目をつけられ、都合よく利用される。現実的な観点からすれば疑うことのない実直な生き方は愚か以外のなにものでもない。
 それでも尚、曲がらない意思―――その点は、評価しても良いだろう。強い信念こそ人の真価を示す。
 最も根っからのお人よしである当人には信念などという確固たる意識ないようなのだが―――ともかく。弱者など歯牙にかけない主人がこの相手を認めている理由はその辺りにあるのではないか、と彼は推察するのである。


 否―――もっと踏み込んだ言い方すれば、魅せられている、のだろうか。

 今まで遭遇したことのない、稀有な存在に。曇ることを知らない、自分とは異なる色で輝く翡翠の瞳に。


 仔細は何にせよ、敬愛する主人が多幸であるのなら彼に異論はない。それに彼としても、嘘偽りない、少年のようなと呼ぶのがぴったりな童顔の相手を見ていると悪い気はしなかった。
 日輪を思わせる笑みは深淵に慣れた自分には些か眩しいが、胸中がすっと透くような気がする。心、と呼べるものが未だ己にあるのなら、闇色に染まったその場所が多少なりとも洗われているのだろう。
 そのような相手であるからこそ、明るい声から一転、微妙なニュアンスで主人の名を呼んだ時は訝しく思ったわけである。

 「あのー……これは、どうしたら……」

 もごもご、と歯切れ悪く言うカボチャの向こう側から戸惑いの気配が伝わってくる。
 あれだけ喜び勇んでいたというのに、一体どうしたことか。まさか本当に菓子ではなくダイナマイトが置かれていたとか―――場所柄、あり得ない話ではない。
 下世話とは知りつつ気になり、彼も首を伸ばして隣窺う。鼻腔を掠める空気は、甘い。危険を嗅ぎ分けられる鋭い嗅覚が判断した匂いに懸念する要素はどこにもない。ないの、だが―――


 …………流石にやり過ぎでしょう、ボス。

 
 目にした光景に、彼は絶句した。相手と場所さえ違えば頭を抱えていただろう。人はそれを、呆れと呼ぶ。
 開け放たれた隣の部屋。
 そこはまさに、お菓子の国を呈していた。

 手前からザッハトルテ、クーヘン、モンブラン、ピーチタルト、マカロン、ベリーのムース、ティラミス、シャルロット。
 虹色アイスクリーム、アップル・フリッター、ミルフィーユにズコットにババロアにフロマージュにメープルシフォンetcetc……
 その中央にどんと置かれた赤と白のコントラストも鮮やかな苺のデコレーションケーキに至っては挙式でも敢行出来そうな勢いである。

 見える一部の範囲でも気圧されてしまう量。感動、ではなく、圧巻、が正しい。
 そういえばなにやら今朝方調理場が慌しかったようだが。まさか、このためだったとは。よくもまあ、とつい漏らしかけた口を慌てて塞ぐ。
 困惑する二人の狭間で、当のキルネンコはとえば涼しい顔で嗤っている。陣頭指揮執った本人はこの状況を異常とは思わないらしい。というより、表情を見る限りこれらの反応を承知の上だった感すらある。承知で、愉しんでいた感が。

 「どうした。足りないのか?」
 「い、いえ!十分です!そのぅ……どっちかっていうと、足りないんじゃなくて……」
 
 多すぎて、どうしたら良いか分からない。

 複雑そうに零すプーチンの言に、彼は内心深く頷く。言葉には出せないが、非常に同感だ。他にハロウィンの客が来るならまだしも、彼が管理している主人のスケジュールにそのような書き込みは勿論ない。必然的に、用意された菓子は全てここにいるプーチンただ一人の物となる。
 溢れるほどの甘い歓待が決して嬉しくないわけではないのだが、素直に受け取ってもいいものか。割と常識備えた緑の瞳が上目遣いに窺っている。
 お菓子を貰って困るジャックというのも中々どうして珍妙なものだ。おまけに、

 「そうか。気に入らないか」
 「えっ、いやあの気に入らないわけじゃ、」
 「なら仕方ないな―――処分しよう」
 「むほおぉぉ!僕のお菓子ーーーっ!」

 ……完璧、遊ばれている。
 くつくつと喉鳴らすのが哂い顔刻んだカボチャの方ではないのだから、もうどちらが本日のメインなのやら。
 まぁ、主人も楽しんでいるようであるし、半泣きでケーキに取りすがっている相手も胸焼け必至なクリームを口にすればまたコロコロと笑顔を浮かべるから良しとするか―――話も漸く落ち着き、菓子運び出すよう部下へ指示していた(念のため添えると処分ではなく、相手宅 へ運搬するためだ)彼が思いもよらない一言耳にしたのは、そんな最中である。

 「Trick or Treat.」

 その言葉を一瞬誰が発したのか判別つかなかった。ケーキで頭が一杯だったプーチンも多分、同じだったのだろう。三人きりの部屋を見回した丸い瞳がきょとり瞬く。
 それが、運の尽きだった。
 ぐわしッ!と、鷲掴まれるカボチャ―――頭部もろ共握り潰す勢いでめり込んだ指先に「ひょっ!?」と叫び声上がる。
 驚きに見開かれた目を覗き込む、鮮血の色落とし込んだ双眸。真紅のそれが埋まる先、ハロウィンの演出でなく縫合痕走る美貌に浮かぶ笑みに、しかし見慣れている彼であっても背筋が粟立つ。至近距離から見るプーチンはより一層だ。被り物から覗く素顔は気の毒なほど青ざめてしまっている。
 血色失くす理由は明快だ。部屋にあった菓子が丁度今しがた、全ての搬出を終えたからである。ついでにここへ来るまでに得たチョコレートやキャラメルは、すでに胃袋で消化済み。
 ということは、言うも言わないもない。迫られた二択のうち、答えは半強制的に確定していた。

 所詮、カボチャ小僧が魔王相手に敵うはずもない―――

 上がる悲鳴へ僅かなりとも同情を寄せていた彼は、「おい、」と呼ぶ主人の声に慌てて返事した。


 「準備が全部終わったら、呼びに来い」


 高圧的に告げられる至上にして絶対の命令―――一体、誰が逆らうことできるだろう。


 「……了解しました」
 「ちょっ、まっ、待っぅきゃあぁぁみみっ!みみ食べないでくださいいぃぃぃぃ」

 ぃぃい、と。断末魔を強制分断した扉に手を突き、彼は息を吐く。零れたそれは呼吸なのか嘆息なのか。あえて自己へ追求しないほうが良い。
 思考切り替えるよう腕時計確認する―――全ての準備整うまで所要するのは大体、5分くらいか。
 その程度の時間ならそこまでの『悪戯』に発展するまい。多分。
 何割かの希望的観測を混ぜながら、忠実な使い魔である彼は主人の期待へ沿えるべく動く。

 せめてその間に、カボチャがぺろり、頭から食べられてしまわないよう儚い祈りを込めて。


 ―――戯れはほどほどに、ボス。





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 キレネンコの『楽しみ』を語るのに多くの言葉は要らない。
 一言で表すなら、靴である。スニーカーに携わる事。触れる事。愛でる事。それだけで事足りる。
 食に関しても割と注文が多いがそれは単に味覚の問題であり、不味いものより美味いものを食べる方が良いという万人共通の感覚に基づきセレクトしているにすぎないため、食事自体が楽しいわけではない。むしろ毒物ゲテモノ何でも平気で口に出来るキレネンコにとって 食事は作業と呼ぶのが相応しい。
 新聞を読むのも単なる習慣と暇つぶしのため。そして記事から探すのは、やはりスニーカーに関する内容だ。世間の動向など眼中に在らず。
 そんな彼であるからして、

 「あ、こっちの隅にお願いしますー」

 と、黒い布纏ったカボチャが部屋の扉開け放った時も、

 「…………」

 その後ろから同じく黒尽くめの男達が上がりこんできた時も、連中が無言で甘い匂い巻き放つケーキを運び込む間も。赤い瞳は丸くなることはなく、チラリ申し訳程度の一瞥くれただけだった。
 興味ない―――眠たげにも見える半眼はやってきたのが正真正銘不届きな強盗であったとしても、ぱっちり開かれなかったに違いない。自身とコレクションのスニーカーさえ被害被らなければ気に留める必要などない。逆の場合もまた然り。一時停止した靴磨きを再開する手 に不法設置阻もうとする意思はない。
 そうして次々と積まれる菓子はタワーとなり、山となり、最終的に隅と呼べる部分からはみ出して部屋の一角を堂々占拠した。
 あっという間に搬入作業終え、去っていく黒服達―――深々と頭を下げたそのうちのいくつかの顔に見覚えがあるようなないような、そんな気がしなくもなかった、が、キレネンコは深く考えたりしない。これもまた、どうでも良いからだ。

 「ご苦労様でした!」

 終始腰も上げなかった家主に代わり見送り済ませたプーチンは上機嫌な様子で戻ってきた。ふんふふんと鼻歌漏らすカボチャの下、うず高く聳える白い巨塔を見上げた目元は否が応でも緩む。
 息を深く吸い込むとそれだけで舌の上へ広がる、甘やかな味。甘党であれば誰もが至福を覚える瞬間だ。
 道中様々な苦労や困難があった―――どんな、かはあえて言わないが―――ものの、この成果を前にすれば辛労も吹き飛ぶ。知り合いたちに付き合ってくれるよう頭を下げておいて、本当に良かった。
 衣装にしても結構な自信作だ。素顔隠す仮装なら往来だって大手振って歩ける。この下へ指名手配書の写真と同じ顔があるなんて、誰も思いはすまい。一生懸命刳り貫いたカボチャの中身は早速今夜スープにする予定である。

 ―――でも、その前に。

 よっ、とカボチャの被り物正し、プーチンは部屋を振り返った。

 「キレネンコさん!」

 必要以上の大声に、キレネンコの手が再び止まる。ゆるり顔上げる彼の体勢はプーチンが出掛ける際見たのと全く同じままだった。そしてそれは、最早恒例のことでもある。
 朝起きてから晩まで靴を磨いて、飾って、若しくは情報誌を読んで。身を囲う檻抜け出したというのに外出するのは新作シューズを買いに行く時ぐらいな、基本引き篭もりな彼のライフスタイルは365日ほぼ崩れることない。
 飽くことなく繰り返す日々に、本人は大変満足している。窓の外からどれだけ賑やかな声聞こえてこようと、同居人がなんだかテンション高く遊びに行こうと関係ない。キレネンコにとっては今日もいつもと同じ、趣味に没頭する日なのだ。

 だから、目の前に突き出された手の意味が分からない。

 上向きにされた掌も、滑稽な顔したカボチャの意図も。さっぱり理解出来ない。
 何のリアクションも取らず瞬きだけ繰り返す目へ、更にずいと手が迫る。

 「Trick or Treat?」

 ―――お菓子か、いたずらか。

 脳内で言葉を反芻したキレネンコが、すっと壁際を―――つい先ほど出現した、お菓子で出来た壁を―――指差す。
 菓子なら、そこにある。
 当たり前のことを呆れず指摘してくれる、見方によっては親切な彼の行動はしかしぶんぶん振られる首に否定された。

 「あのお菓子じゃなくて、キレネンコさんの持ってる分です。お菓子、持ってますか?」

 今度はキレネンコが首を振る番である。
 確かに甘味は好きだが、携帯するようなことはない。というか、食料の管理はプーチンの担当だ。気の効く同居人が買うなり手作りするなりで用意してくれた物でキレネンコの熱量はまかなわれている。
 張本人であるプーチンはよく知っているはずだが。訝る思考とは裏腹にやはり表情出ない顔に、何故か三角目から覗く瞳は輝いた。

 「持ってません?お菓子持ってないんですね?じゃあ―――Trick!」

 言うが早いが、プーチンはバッとキレネンコの手からスニーカーを奪った。

 「…………」
 「あっ、お、怒ったらダメですよ!お菓子くれない人にはいたずらして良い日なんですから今日はっ!」

 瞬間深さ増した眉間の溝に、慌ててプーチンが自己弁護する。
 自分の行動は正当な理由に基づいている。処罰の対象にはなり得ない。暴力反対。後ろ手にスニーカーを隠しながら―――ついでに条件反射で後ずさりながら高らかに主張する。
 なんだ、それは。腑に落ちない理屈に皺寄せながらも、とりあえずキレネンコの手は垂れたままだった。
 取り返すのは、簡単だ。それこそ赤子の手を捻るより楽にプーチンの腕など捩じ上げられる。が、『叩いたら、泣いちゃいますよ!』とプルプル全身で訴えるところへ手を出すほどキレネンコも頭が働かないわけではない。同居人に飛び出されて困るのは、自活能力ゼロの自身 なのだ。
 不承不承取られた袖手の構えに、ホッと安堵の息が空気を揺らす。心底胸を撫で下ろしたプーチンの精神的重圧は計り知れない。だったらやるな、とどこから声が聞こえてきそうだが、彼も男だ。やらねばならない時がある。

 「じゃあ、じゃあねっ、次のいたずらです。僕の言った言葉を復唱してください」

 いたずらとは微妙に違う気のする命令に、しかしスニーカー盾に取られたキレネンコは強く出られない。仮に自棄を起こしたプーチンが愛玩しているヒヨコを押し込んだりしたらどうする。想像するだけで総毛立つ。
 勿論その後はキレネンコの方も教育的指導を体の隅々にまで叩き込んでやるつもりでいるが、靴の穢れは払えない。それは耐え難い。人質ならぬ物質護るため、ここはひとつ辛抱するしかあるまい。

 「いきますよー―――Trick or Treat?」
 「…………」
 「キレネンコさん、トリック・オア・トリート、です!さん、はいっ!」

 強い口調で強要するプーチンは一体どれだけキレネンコの忍耐を試すつもりなのだろう。いつ拳が飛んでもおかしくないこの状況、無謀とは彼の為に存在する言葉である。
 自滅間違いなしかと思われた勝負はそれでも引き結んだ口が解けるという、意外な終結を見せた。

 「……Trick or Treat」

 ボソリ、と。小さく、発音だけははっきりした声を被り物越しにプーチンの耳はしかと拾い上げた。
 やった!と思わず小さくガッツポーズ。達成した目的に感無量なプーチンに、言わされた当のキレネンコはマントの下で示される喜びが一体何なのかよく分からない。分からないが、これで気は済んはずだ。
 催促するよう手を突き出す。すでに禁断症状が出始めている指は、これ以上焦らされたら流石に目の前の頬を掴む。大福よりもよく伸びる肌を勢いまかせに引っ張ればストレス解消になるし丁度良い。
 それが嫌なら返せさあ返せ今すぐに返せ。と、不穏なオーラ隠そうともしないキレネンコの手へ、待ちに待ったプーチンの手がぽんと置かれた。

 ―――ただし。乗った手は、スニーカーを取り上げた側の手と反対の方である。

 キレネンコに比べ一回り小さな手が押し付けてきたもの―――それは芸術的な流線型でもなければ磨きぬいて宝飾品にも劣らない光放つようになった布張りでもない。

 真っ赤な、毒々しいまでに赤い球体。
 
 セロファンで包まれただけの、見るからに安っぽそうな駄菓子は多分、イチゴ味。

 「ささっ、遠慮せずにぱくっと食べて!」

 別に、遠慮は欠片もしていない。プーチンが出した物なら危険なものでもなかろうし、さしあたって拒む理由はない。
 しかしながら、これはスニーカーではない。縦横斜め、どこからどう見ても飴玉だ。落とした斧がどちらか問われる寓話にすらならない。
 かみ合わない行動に、どういうつもりかと問い直す―――のが一般的な反応なのだろうが、漏れたのは面倒くさそうな嘆息一つ。食べて食べてとせかす声にせかされるよう、キレネンコは開いた口へ飴を押し込んだ。
 味はというと、まぁ、甘い。予想通りな、予想よりはかなり甘い、甘いだけの塊。ほのかな人工香料の風味がなんともお粗末である。
 舌の上で転がる物体を正しく分析するそんなキレネンコに、朗らかな声かかった。

 「これでキレネンコさんもハロウィン・パーティーの仲間入りですねっ!」

 ハロウィン―――その言葉に漸く、キレネンコは今日が何の日であるか知った。
 だから、カボチャなのか。万聖節の前夜祭、ハロウィンの象徴ともいえるジャック・オー・ランタンに今の今まで気付かなかったのは別に作り手の美術力が低いと揶揄していたわけではない。
 ハロウィンといえば司法的に菓子の強奪が認可されている日である。成程、角砂糖にも喜色見せる同居人が飛び付くのも当然。口内の飴もそんな戦利品の一つなのだろう。
 どのみち、キレネンコには縁のない話だ―――菓子の一つや二つもらえたところで、嬉しくもなんともない。それよりもスニーカーを磨いているほうがずっと有益だと彼は断言する。腹は膨れないが、心中が最大値まで満たされる。それで十分だ。
 よって、本日の予定に一切の変更なし。つつがなく優雅な一日を過ごせる―――はずなのだが。
 
 「それじゃ、行きましょうか!」
 「……?」
 「ほんとはキレネンコさんの衣装も考えてたんですけど、ちょっと間に合わなくって」

 でも、そのままでも十分仮装だと思ってもらえるだろうし―――ブツブツ呟く声に、キレネンコの継ぎ接いだ顔が若干顰められる。
 行くって、どこに。
 飴を食べている―――すでに舐めることに飽き、ガリガリ噛み砕くのに忙しい―――ため発せない言葉に代わって問いかけの視線飛ばす。それに対し返ったのは、「外!」という一言。
 簡潔なその答えに益々キレネンコの表情が歪む。説明するまでもなく、今日の彼が立てた行動プランに外で行う項目は含まれてない。現在地の部屋から一歩も出ずとも果たせるものばかり。なのに、何故外。
 疑問と抗議と拒否とを一緒くたに、憮然と睨む。眼光鋭い双眸は見るものを震え上がらせ、前言撤回させるだけの力がある。にも関わらず、見上げるプーチンは穏やかな口調でキレネンコを呼んだ。

 「ねぇ、キレネンコさん。今日はハロウィンで、街中どこもお祭り騒ぎなんです。
 あちこちにお化けが居て、カボチャのランタン掲げて皆口々に言うんですよ。Trick or Treat!
 貰ったお菓子で両手がすぐ一杯になっちゃいますよ~。
 ね、キレネンコさん―――ハロウィンは今日だけ、一日きりのお祭りなんです。誰もが心から楽しんで笑っている日―――
 だから、ねっ!今日は外に行きましょう!」


 僕と一緒に、愉快な街へ!


 真っ直ぐに差し出される手―――またしてもそこにスニーカーはない。飴玉もなく、菓子を要求しているわけでもない。額面通り受け取るなら、その手が求めているものは垂れ下がったキレネンコ自身の手である。
 プーチンの言った言葉の大半はキレネンコには解せないものだった。靴を磨いて、眺める。これ以上に楽しい日をキレネンコは知らない。そんなものが存在するとも思っていない。
 第一騒がしいのは嫌いだし、自分から口開くのは億劫だ。人ごみに揉まれるなんてもってのほか。キレネンコの価値観で見れば煩わしいものばかりのハロウィンを、どうして楽しむ事ができようか。

 ―――だというのに、無骨な自分の手が掬われるのを彼は振り払えない。

 ぷいとそっぽ向こうとしていた瞳―――赤い、飴玉よりももっと色鮮やかな瞳をカボチャに覗き込まれた瞬間、脳が信号の一切を停止した。
 まるで古の魔術か幻術か、見えない糸に絡め取られたように四肢が動かない。荷物になるからいらないとばかりに置かれたスニーカーへ指伸ばすことさえ出来ない。
 今日初めて瞠目した赤眼の、開いた光彩見てプーチンがにっこりと―――被り物の奥浮かぶ、ランタンに灯る炎のように煌々と輝く瞳へキレネンコの視線釘付けにさせたまま―――笑う。


 「じゃ、しゅっぱーつ!」


 揺れる裾も軽やかなジャックの引き摺って行く先。

 カボチャが影絵浮かびあがらせる街へ、今日限りの魔法かけられたマリオネットは付いて行くしかないのである。



Tritsch Tratsch Tritsch Tratsch ...



ほらほら前をどいて 水先案内ジャックの案内

ミイラ男にガイコツ・レディ 狼男 またお一人様ご到着

熱いお茶をどうぞ シロップもミルクも沢山いるでしょ?

マシュマロ ヌガー マドレーヌ カボチャの中はとろけるプリン

血色のゼリーにまんまる目玉のコンポート まだまだ食べたりないお菓子たち




今日はハロウィン 愉快なハロウィン





 それではみなさん、ご一緒に―――!




 「Trick or Treat!」

 



――――――――――
2010.12.18
あまりにも遅くなりすぎたハロウィン……
そして無駄に縦に長くなってしまった……