「―――これはこれで、アリだけどね」 並んで座るよりもっと近くに居られるのが嬉しい、 なんて、 「なんか言ったか?」 「なんでもなーい」 言ったら笑われちゃうでしょ? 雨に濡れても、 「ザクースカはピクルスと燻製で良いよね」 「腹に入りゃ何でも構わねぇ」 「あと足りないものは?」 「替えの 「……そのラインナップどうなの」 メモ片手に並べられるる統一性のない品目に、コプチェフは若干呆れた顔をする。が、向けられた藍色の目の意味こそ分からないボリスは「あ、爪切り壊れてたな」と更に付け足す。 些細な物でも極力買い忘れなく揃えておいた方が良い。次にいつ出てこられるか分からないのだから。 犯罪史上例を見ない暴走運転の果て、二人組の脱獄犯に検問を突破され早数十日。已然逃亡者達の足取りは掴めないままだが、二人の勤務状況を見た上が流石に休暇申請するよう通達してきた。 勤労を推奨する国でも殺すまで働かせたりは出来ない。優秀な人材であれば尚更。最悪ノイローゼにでも罹られでもしたらそっちのが迷惑、というのが本音だ。 最も、その寛容とも呼べる配慮をボリスはあまり喜んでいなかったようだが―――見かけに反し頭に何とかがつくほど真面目な彼としては、一刻も早く犯罪者を捕らえたいのだ。市民の安全を守るため、国家の威信を保つため、例え連日徹夜をしてでも追うべきであると義憤に駆られている。 内何割か混ざる私憤もあって渋るボリスに代わり、届けを出したのはコプチェフだった。真横で黒眸の下の隈が日に日に濃くなっていくのを見るのは、仕事とはいえ居た堪れない。最大の壁である上司の許可が降りるのなら遠慮せず休むべきだ。 「その間にもっと遠くまで逃げられたらどうするんだよ」 「これまで以上に速度上げて追えば良いだけの話さ」 それに自分達と交代に非番明けのメンバーが入るから人手に問題はない。民警とは組織であるのだから、一人が気張りすぎる必要はないのだ。むしろ強い我は連携を乱す恐れもある。 正論を更に正論で返され、ボリスも詰まる。止めに「自己管理も仕事のうち」と顔を指されれば言い返す余地はなかった。 休日といっても、実際にはさほどゆっくり出来るものでもない。 とりあえず朝はこれまでの睡眠時間を取り戻すかのように爆睡。昼近くになってから二人ノロノロ起き上がり洗顔し、溜まりに溜まった洗濯物を昨夜の痕が残るシーツに包んで洗濯機に投入。転がる酒瓶を片付け、留守中埃を被っていた床をザッと掃き、貯蔵庫から保存 食を適当に摘み後は全て処分。(ボリスはこういう無駄を嫌うのだが、青カビのビッシリ生えたケフィールを「発酵食品だから」で納得するのは無理がある。) そこから漸く買い物へ出かけるわけだが、調達するのも実用的な物ばかり。足は署から借りたいつものラーダカスタムだし、ショッピングだのドライブだの、洒落たものとは程遠い。 それでも、軽口を交えながら街を巡っていれば、自然気持ちも上向いてくる。 夏が終わった直後の日差しは程よい暖かさで、窓から入り込む涼しい風も心地良い。本格的な冬が来る前に、と考えるのは皆共通なのか、行く先々で賑やかな笑い声が聞こえてくる。絵に描いたように平和な光景。 何より、傍らには大切な存在が在る―――緊張感に満ちた仕事の相棒としてではなく、純粋に休みを楽しむ恋人として。 そう考えているのはコプチェフだけでなく、ボリスも同じらしい。完全に疲れが取れたとは言いがたいが、浮かべる笑顔はここ最近の内で最も明るい。 時折ギアから手を離してコプチェフが戯れに触れる時でさえ、照れながらも指でちょんと突き返してくる。 この感動を、どうやったら表現出来るか。運転中でなければ確実に抱き締めていた。黒髪からはみ出た赤い耳に注目するあまり赤信号を見落としかけたくらいである。 今日だけは脱獄犯もその他多くの事件も関係ない。浮かれて幸せを噛み締めても、誰一人文句を言ったりしない。 実に充実した休日だ。 一通り買出しが終わった頃にはもう陽が傾こうとしていた。貴重な休みも、あと数時間で終わる。 このまま真っ直ぐ部屋へ帰っても良いのだが、折角だからと二人は同僚から教えてもらったカフェへ立ち寄ることにした。仕事の間は味の薄い缶コーヒーか若しくは眠気覚まし用にとことん濃くしたインスタントかという極端な出来合い品しか飲めなかったから、いい加減味覚に 正しい味を思い出させる必要もある。 手近な場所へ車を止め、細い路地を一本奥へと入る。店は二人が脱獄犯たちと命がけの戦闘を繰り広げている最中出来たという。まぁ世間が不安に怯えてないなら良い事だ。 真新しい店内は時間帯を外したためか割と空いていた。漂う質の良い香りがこれまた久しぶりで良い。期待に心躍らせながら案内された窓際の席でメニューを開く。 ホットからアイスまで豊富に揃う中から、コプチェフはホット・ブレンドを、ボリスは同じくホットのカフェ・オ・レを選んだ。さほど体が冷えているわけではなかったが、長くお茶を楽しむならやはり温い物だろう。 「お勧めはパフェなんだってー。注文する?」 「……別に、飯前だし」 パラパラ捲っていたフードメニューの一画、大きく印のついた所を示せばボリスは気のない返事を寄越す。だが、逸らした彼の視線がチラチラメニューに戻っているのがコプチェフ側からは丸見えだった。 大方、大の男が甘い物を頼むなんて恥ずかしい、とか思っているのだろう。緩む口元をメニューで隠しながら、コプチェフはウェイトレスを呼ぶ。 それぞれの飲み物に加え「チョコバナナパフェ一つ」と臆面もなく指を立てる。当然店から咎められる理由もなし、すんなりオーダーは通った。 「夕飯食えなくなっても知らねーぞ」 「半分こすれば丁度良いくらいだよ」 「…………余計恥ずいっての」 恋人同士の男女がやるならまだしも、ムサい男二人で一つのパフェをつつき合うだなんて。恥ずかしいを通り越して、薄ら寒いだろ。 顰め面でブツブツぼやくボリスだったが、ほどなくして運ばれてきた注文品に文句も消えた。 湯気を立てるカップ二つに、その間へ置かれた細長いグラス一杯に盛られたパフェ。人相からはどちらが頼んだとも判断できないので中間なのだろう。 雪山を思わせるたっぷりのホイップクリームに、ぐるり周囲を飾るスライスバナナ。更にその上からふんだんにかけられたチョコレートソースが甘い匂いを運んでくる。いかにも女子が喜びそうな品だ。 意識して顔を引き締めているボリスも内心目を輝かせているのが分かる。「お先にどうぞ」と皿を押すと早速スプーンを手に取った。 飾りのミントをちょいと退け、まずは柔らかなクリームを豪快に一掬い。そして大きく開いた口で、バクリ。 スプーンを咥えたまま黙り込んだ彼から味の説明は不要だろう―――ひんやりとした冷たさと共に広がる甘さに、固めていた頬が分かりやすく綻ぶ。 一口食べたことで羞恥心が薄れたのか、後はぱくぱく、遠慮なしにスプーンが進む。上品さよりも男らしいと評したくなる食べっぷりだが、一心不乱な様子が愛らしくも見える。小さな子供みたいというか。言ったら即向かいから拳が飛ぶのは分かっているのでコーヒーと一緒に 喉奥へ流し込む。 そうしてクリームの山はあっという間に半分切削完了。バナナも下のチョコアイスもきっちり半人前胃に納めたボリスはスプーンを持ち替える。 「お前も少しは食え」 「えー、食べさせてくれないの?」 「アホか」 テーブルの下で軽く足を蹴飛ばし、無理やりコプチェフにスプーンを握らせる。 とはいえ、元々ボリスのために注文した品。まだまだ彼が食べ足りていないのは明らかだし、味見程度に口に運ぶ。 見た目ほどにクリームはしつこくなく、甘さの中に少し苦味のあるチョコレートソースが混じって思ったよりも美味しかった。完熟バナナとチョコの相性も文句なし。星三つ、といったところか。間に苦いコーヒーを挟みながら食べれば男でも無理なく完食出来そうだ。 律儀に残してくれたトッピングのブラウニーを口に運びながら、コプチェフはそれとなく向かいを観察する。この食べ合わせにも関わらず手元のカフェ・オ・レに砂糖の塊をぽちゃんぽちゃん放り込むボリスに無理をしている様子はない。相変わらずある意味感嘆させられる。これで味 オンチなのかといえばそうでもないのだから、また不思議である。 ついでにパフェ同様ガッツリ一気飲みをするのかというと違う。これは不思議でも何でもなく、ボリスが猫舌なだけだ。 そろそろ適温なはずのお茶も彼にとっては危険物。両手で持ち上げたカップに息を吹きかけつつ、慎重に、慎重に口つける。ああもう可愛いなぁ、などと糖分とは別の甘さでやに下がるコプチェフを、不意に黒眸が捉えた。 「今、スッゲー腹立つこと考えてなかったか?」 「気のせいだよ」 まるで狙撃対象を見るような目付きにしれっと惚ける。誉め言葉のつもりでも彼が知れば怒ることは必至。黙っておくに越したことはない。 尚緩まない眼圧は自白させるに十分な力を持っていたが、 「俺もうお腹一杯だから、あと食べて」 との言葉と共にスプーンを向ければ、渋々ながら疑いを下げる。本当可愛い。 なんとか顔に出さないよう視点をあっちこっちさせていたコプチェフは、ふと、窓ガラスに映る自分が濡れているのに気づいた。 「雨だ」 ポツポツとガラス面に張り付く水滴は外の物。見れば外は薄暗く、空の低い辺りを灰色の雨雲が覆っている。店内は照明で照らされているため気づくのが遅れた。 「あ~!ついてねぇな」 「通り雨じゃない?暫くすると止むかもよ」 今朝の天気予報では雨なんて一言も言っていなかったから、当然傘なんて持ち合わせていない。 顔を顰めるボリスにコプチェフは少し様子を見ようと提案する。この時期よくある一過性ものなら十分ほどで上がるはずだ。まだ時間に余裕はあるし、のんびり待っても大丈夫だろうと―――本心を言うと、この甘やかで、幸せな空気にもう少し浸っていたい。 というわけで、コプチェフはコーヒーをおかわりし、ボリスは引き続きグラスの底へ残ったソースを浚えようと奮闘する。繋ぎの会話に困るでもなく、時計の針は易々進む。が。 雨は通り過ぎるどころか、益々激しさを増した。 初めは降っているかな?程度だったのが今や土砂降りの域。 呆然と窓の方を向く二人にも雨礫の音がはっきり届く。 「……コプチェフ~!!!」 「俺のせい!?」 「お前が待てって言ったんだろ!」 確かに言いはしたが、あくまで推測だ。コプチェフが降らせているわけでもないのに―――まぁ、長居したいと思いはしたけど、―――睨まれても困る。 数人いた客も諦めたのか席を立ち、荷物を傘にして雨の中駆けてゆく。店に座っているのはあとコプチェフとボリスの二人だけ。レジに佇む店員の気配がなんとなく居心地悪い。 しかしこれ以上粘っても雨が止む確立は限りなく低いと思われる。店から駐車場まで約300m。全力疾走すれば全身濡れ鼠、とまではいかないか。 「しょうがねぇな、車まで走るか」 諦めたように溜息を吐くボリスに、コプチェフも頷く。通りに面していれば自分だけ車を取りに行って迎えに戻る、と言い出せるが、ここの立地では無理だ。 残しておいた最後のバナナを放り込み、立ち上がる。 会計を済ませ(勿論割り勘だ。)店の外に出ると、想像以上の雨量が二人の進路を塞いでいた。最高だと思っていた休日の最後の最後に、コレだ。 滝さながらな光景にげんなりしてしまうが腹を括る。軽く屈伸をし、ボリスは前を見据えた。 「よっしゃ!行くぞ」 気合を込めた一言を合図に思い切って飛び出そうとした、その時、バサリ頭上に何かが降ってきた。 思わずたたらを踏んでボリスが止まる。驚き丸くなった黒い目の先、被せた自身の上着を広げてやりながらコプチェフはにっこり微笑んだ。 「なっ!?」 「そんなのでも少しは雨避けになるでしょ。 万が一、ボリスが濡れて風邪引いたりしたら、俺イヤだし」 「ッ!」 薄手のコート一枚でもあるとないとでは大分濡れ方に差がある。屋根の下で待たせられないなら、せめて少しでも体を冷やさないようにさせたい。 目を白黒させているボリスに一人頷くと、コプチェフは改めて走り出そうとする。 と、その腕が先ほどとは逆に、ぐんと引っ張られた。 「…………お前は?」 ―――俺だって、お前が風邪引くの、イヤだ。 コートの下から、ボソボソ、そんな声が聞こえる。布地にすっぽり覆われたボリスの顔はほとんど見えないが、何やら掴んでいる手が熱い。今度はコプチェフが呆気に取られる番だった。 上着を突き返す、なら普段の性格上想像出来なくもない。何すんだと怒り出す、も然り。 別に本気で迷惑に思っているのではなく照れての行動だとは分かっている。同じ男でありながら気遣われることが、ボリスは恥ずかしいのだ。 だから文句を言うどころか、こちらの心配までしてくれた彼に正直ビックリした。どう反応しようか迷って―――結局、衝動のまま抱きしめてしまう。 「ボリス~!」 「バッ!店の前だぞ何考えてんだ馬鹿!」 怒鳴り声が耳を突き刺すが、気にならない。運転中はかろうじて出来た自制も吹き飛ぶ。 跳ね上げた赤い顔が可愛くて、愛おしくて、仕方ない。 「じゃあ、これならどっちも解決?」 ボカボカと殴りつけてくる腕を潜り、コートに半分身を納める。先程よりも一層密着する体に、けれどボリスは大人しくなった。 せーの、の掛け声に代わり呼吸を合わせ、雨の下へ駆け出す。 降り注ぐ雨は思ったとおり冷たい。うひゃあ、なんて悲鳴を上げながらお互いの腰を抱え、駐車場目指して一直線。一秒でも早く車へたどり着くよう、水溜りを踏み散らす。 「まぁ、―――」 「なんか言ったか?」 「なんでもなーい」 激しい雨音の中、首を一振り。鼻先の距離にある顔を覗き込み、コプチェフは声を大にする。 「風邪ひかないよう、帰ったらもっと抱き締めてあげるね!」 「……うるせ!」 「ボリス可愛い!」 飛んでくる肘鉄も軽く流しつつ。次第重くなる相合 濡れた体を温めるのが、この手の内にある体温なら 今日は最良で最高に幸せな休日、だ。 ―――――――――― 2012.05.31 micu様が拍手にて投下して下さったお話を僭越ながら書き起こさせて頂きました。 話頂いた時点で既に綺麗に纏まっていたので、無駄な脚色つけたというか…(汗) 駄文にしてしまい恐縮ですが、micu様に捧げます。ありがとうございました! 戻 |