君はガーベラ。  …赤×緑

 「はいっ!」

 目の前に突き出された花に、キレネンコが瞬きをした。
 とはいっても、突然突き出された花に驚きの表情を浮かべるわけではなく、ましてや頬を染めて喜ぶでもなく、デフォルトで浮かべられた無表情で花をじっと見る。
 その表情のない、しかし造詣の整った顔から送られる熱視線に春色をした一輪の花が照れて揺れてしまう前に、視線は花からそれを突き出している相手へと動いた。
 自分に向けられた問うような視線に、プーチンはにこりと邪気なく笑う。

 「市場の花屋さんで売ってたんです」

 よっと、と花とは別に持っていた買出しの荷物を置く。生活必需品から衝動買いしたものまでぎっしりつまった袋から、一緒についていっていたヒヨコと蛙も出てきた。
 「色んな花が売ってて綺麗だったんですよ」とキレネンコへ説明すると、同意をするように二匹を振り返る。
小さな生き物が声を揃えて鳴いた。
 和やかな微笑を友人達に返すと、プーチンは未だ差し出した花を手にしようとしない相手の手をとった。
 差出人のプーチンより一回り大きな手へ握らされたピンクの花は、持つ手が無骨な手になっても愛らしさを損ねることなく主張してくる。落とされることなく収まった花とそれを見下ろす無表情な相手に、プーチンは目元を緩めた。

 「その花、キレネンコさんなんですよ」

 ふふっ、と嬉しそうに告げられた言葉に、赤い瞳が僅か怪訝な色を浮かべる。

 ―――何の比喩だ。

 まさか本気で自分と花とを混同しているわけではあるまい。
 見つめてくるプーチンの瞳は間違いなく理性があり、となるとこれは何かの喩えか謎かけか。
 当たりをつけてみたものの、だからどういう話なのだという結論は見えない。
 無表情に疑問を乗せて見上げるキレネンコへ、春咲く花のような笑顔が応えた。

 「白は、律儀」
 「……?」
 「黄色は親しみやすい。オレンジは冒険。赤はチャレンジ」

 色合い的には赤、って感じなんですけどキレネンコさんは―――と、恐らく髪と目の色を見て判断したのだろうプーチンに、益々キレネンコの疑問符が大きくなる。
 花を握ったまま変な顔で止まっている相手へ一層微笑んだプーチンは、その耳へ秘密を囁くように唇を寄せた。


 ピンク色のガーベラはね、『崇高美』なんですよ―――


 浮かべられた微笑みに、ガーベラより色濃い真紅が、ぱちりと瞬いた。


――――――――――



Evening glow Lollipop …赤×緑

 ふんふん、と隣で鼻歌が聞こえてくる。
 丸い頬をさらに真ん丸に膨らませて口から棒を生やしている相手の隣で、キレネンコは歩幅を調節しながら歩いた。
 口の中の物を上機嫌に舐めていたプーチンは、僅かに視線をくれている相手に気づいて微笑んだ。

 「おまけ沢山してもらえて、良かったですね」

 こくっ、と溜まった甘い液を飲み込んで話しかける。対する高い位置にある精悍な顔は表情を変えないまま、当初予定していた量より増えた荷物を持ち直した。
 あまり商売人の気前が良いとはいえない国柄でも、店主が客を優遇する事はある。主に、整った容姿の相手限定に。
 特に人の警戒心を解かせてしまうプーチンが居ると向こうも声をかけ易いようで、予想外の収穫を得てしまった。
 プーチンの口に入っている物も、その貰い物の一つだ。
 知らない相手からの食い物等本当なら食べさせたくはないのだが、くれた相手がもう子供も成人していると言った、いい歳も歳な女主人だったため目を瞑った。何より渡された飴を手に、じーっと訴えるような緑の目で見られては咎められるはずがない。
 口の中の物をころころ転がす姿は、本当に子供のようで―――時々忘れそうになるが、一応隣で歩くちょんまげの相手は女主人の子供同様もう成人している―――確かに見ているとなんやかんや物を渡したくなってくる。
 一般の感覚が分からないキレネンコも、この時は奇しくも一般的な意見とシンクロした。

 来た時は賑わっていた雑踏も、買い物を済ませて時間を過ぎた今は人通りがまばらだ。歩く影は長く伸び、小さなプーチンを大きく、大きなキレネンコを一層大きく石畳に映し出す。
 遮る物のない黄昏の光を浴びながら、プーチンはぽんっと口から棒を抜いた。

 「このキャンディー、同じ色ですよ」

 翳した真ん丸い、少し濡れているオレンジの球が光を弾く。

 棒に刺さった飴の塊は、見るからに柑橘系の甘酸っぱい味がしそうだ。
 安っぽい、人工の香料で誤魔化されているそれを赤い瞳が眺めると、プーチンがふと眉を下げた。

 「ごめんなさい、僕だけ食べちゃって……」

 若干申し訳なさそうな声に、「別に」とキレネンコは答える。
 別に、構いはしない。駄菓子が取り立てて食べたいわけでもない。それを食べて隣で顔を綻ばせているなら、それで十分だった。
 けれど食べていた当の本人は一度気になったら気まずいのか、抜いた飴を口に戻す事ないまま手に携える。
 橙色の街の中で、外に出された飴が一層色を濃くする。

 まさか、食べかけの物を勧めるわけにもいくまい。

 どうしよう―――と困ったように飴の棒を振ってみる。子供の頃、一緒に歩いた母親に「落としちゃうでしょ」と注意された時と同じ仕草で。
 今隣を歩く母ではない人に、一応飴を勧めてみようか。そう思って上げたプーチンの顔から、光が消えた。

 眩しさを遮り、視界一杯に広がる黒い影。


 ―――口の中の甘みが少し、持っていかれて薄くなった気がした。


 ぽかっと開いた口が驚愕の声を上げる前に、落としかけていた飴が突っ込まれる。途端、口内へと再度充満する甘い味。
 だが、それで先程口にあった柔らかい物体を忘れ去る程、頭は都合良く出来ていない。
 目を白黒させているプーチンを置いて、味を奪った相手は「ごちそうさま」の挨拶もせずに、夕焼けに染まる道を一歩、歩を進める。




 あまいあまいロリポップ。


 口に残る、オレンジの味。


――――――――――



電気兎は黄色い夢を見るか? …赤+緑←看守

 机の上に投げられたカードに、プーチンは冷や汗を浮かべる。

 出された数字は、11。

 その数字を脳へ焼きつけ、改めて自分の手札を見る。
 2を筆頭に、1桁台の数字ばかり揃っているカード群。
 改めるまでもなく知っていた事実に、プーチンが頭から机に突っ伏した。

 投了。ゲーム・エンド。ドロップアウト。降参です、看守さん。

 ばさっ!とて手札を落として負けを認めた相手へ、カンシュコフはチップを振りながら勝者の笑いを上げた。

 「お前、本っ当に賭け事弱いなぁ!」
 「あぅー……こんな予定じゃなかったんですよぅ」
 「どんな予定だったんだっつーの」

 こんだけボロ負けで、とのカンシュコフの揶揄に、その通りであるプーチンはますます項垂れた。

 「うううっ……」
 「さぁさぁ。今度は何賭けるんだ?ん?」

 ニヤニヤと歯並び揃った口元を三日月形にする。賭けようにも、プーチンの手元にチップはない。
 それでも何とか出すとすれば、あとはもう現物―――服だとか身体だとかいや別にそんな邪な事は決して考えてない天地神明に誓ってほんの少ししか考えてませんでした―――くらいしかない。
 まぁ健全な賭け事なので間違っても後者は出てこないだろう。若干残念に感じたりしながら、向こうの出方を待つ。
 完全に余裕を浮かべた相手の前で、プーチンは困ったように唸る。
 弱いながらも無自覚に賭け事が好きな彼は、正しい引き際が見極められない。
 明らかに下り坂を転がり落ちている現状でも、まだ何かコールする物がないか必死で頭を捻る。
 と、その顔が何か思いついたように輝く。「ちょっと待っててください!」と、カンシュコフに告げると、ベッド下の自分の荷物を漁り始めた。

 「おい、ガラクタは受けとらねぇぞ」

 唯でさえお前の私物ゴミだらけなんだから、とからかうカンシュコフの声に、ごそごそガラクタをひっくり返していたプーチンは「あった!」と叫んだ。
 くるりと振り返ったその手に握られていたものは―――黄色い、布。
 ハンカチかタオルか―――いや、それよりももっと長いそれは、リボンなのか。
 なんでも収集する性質だから、多分それも要るものとゴミとの狭間に存在する物体で保持していたのだろう。
 そんなものどうするのだといわんばかりの目つきのカンシュコフの前で、プーチンは黄色いリボンをしゅるっと己の腕に巻く。
 きゅっ、と結び目を作ると、高々と自己の腕を上げて宣言した。


 「次は、僕自身を賭けますっ!」


 負けたら大工仕事から料理まで、何でもやりますよ!


 そう、笑って大見得を切って席に戻ったプーチンは。

 「さぁ、始めましょうか!……カンシュコフさん?」

 机に突っ伏していたカンシュコフへ、不思議そうな目をやった。向けられる目の下、顔を隠すようにべったりと机へ押し付けられた上体から、くぐもった声がする。

 「……良いんだな?」
 「はい?」
 「―――良いんだな本当に良いんだな!?お前を、お前自身を賭けてコールして、本当に良いんだな模範囚!!!」

 ―――だったら、俺は俺自身を賭けてやる!!!

 そう高らかに宣言して、積んだチップを脇に退ける。びっくりしているプーチンの前で、やる気十分に札を取ろうとしたカンシュコフの手へ、手が下りてきた。
 それを「え?」と疑問に思うより先に、自分の腕のミシリと鳴る音が鼓膜を打った。

 「―――っぃいいでででででっ!!!っいってぇえーーーっ!!!」

 万力のような力で締められ、カンシュコフが全力でのたうつ。が、絞める力は一向に緩むことなく、片腕一本で大の男を押さえつけていた。

 「…………」
 「あ。キレネンコさんも混ざりますか?」

 冷徹な赤い眼に物怖じすることなく、プーチンが自分の手札を揃えながら声をかける。
 呼ばれたキレネンコは、「わっ、良い手札来てる!」と隠すことなく伝える顔とその腕に巻かれた黄色のリボンを見、ついで捻りあげた腕とその下叫び続ける金髪頭を見て。

 ―――無言で、金髪の方を蹴り飛ばした。

 腕も離されたお陰で床に顔から突っ込んだカンシュコフは慌てて起きると、自分の席を占領したキレネンコに対して怒鳴った。

 「おい何しやがる凶悪犯!さては、お前模範囚の身体目あ」

 てぇっ―――と、めり込んだ靴底に、声が吸収された。
 その向かいでは自信満々に、しっかりと手札を握ったプーチンがゲーム・スタートを告げる。

 「いっきますよー、キレネンコさん!」

 ワクワクとした面持ちで輝く顔を見ながら、カンシュコフが薄れゆく意識の中で、やめとけ―――と、言いかけた。

 やめておけ、模範囚―――お前は賭け事に向いてない―――

 言っても自覚は宿らないだろう、性格そのままのトレートな勝負しか出来ない相手に思う。
 せめて蹴られる際盗み見た、凶悪犯の手元に揃ったのがジョーカーばかりだったのを伝えようと、思念を送ってみるが当然伝わるはずはなく。

 「―――コール」

 ギャンブルの熱気とは真逆の冷めた声が、場を満たした。


――――――――――



地球を回して …赤×緑

 摘み上げたガラス球を覗き込むと、煤けた天井が緑色に染まった。
 天井だけでなく、壁も、足元も。黄色いヒヨコも、皆緑色に染まる。
 一色刷りになったキレネンコの世界で、緑色のプーチンが嬉しそうに笑った。

 「それ、透かして見ると綺麗ですよね」

 球体から目を外し、直に相手を見る。それでも目の前で輝いている瞳は緑のままだ。
 ガラス球よりも大きな目を、ガラス球以上に輝かせて、プーチンは笑う。

 「キラキラしてて。宝石みたいで、僕、好きなんです」

 はにかむように笑う翡翠のような目は、禄に宝石など見たことが無いのだろう。
 安っぽいガラス球と一財産必要とする鉱石とを同列に並べて、ただ純粋に美しいものを美しいと評する。それぞれが持つ金銭的な価値など、微塵も考慮されていない。
 分かり易くルーブル紙幣とガラス球とを並べておいてやっていても、ガラス球のほうを取るのではないか―――今と同じ、ただ綺麗だからという理由で。

 欲が無いのか、子供なのか。

 真っ直ぐに見ることしか知らないような澄んだ瞳は稀少で、無意識にキレネンコは眼を細めた。

 その瞳をずっと見ていたい気もするし、目を逸らしてしまいたい時も、ある。
 余りにも自分とかけ離れた存在が、曇りの無い瞳でこの身の暗部を糾弾しているかのように思えてくる時がある。
 否―――きっと、この瞳は糾弾などしない。
 例えキレネンコの過去の所業全てを知っても、その内に宿る深淵に気づいたとしても、責めめも詰りもせず、今と変わらない新緑の色を持って見つめるのだろう。
 この感情は、ただキレネンコ自身が抱いた自己への評価だ。さらけ出された己の矮小な部分が、美しいものを見る事が出来ず逃避を示している。

 一体いつからこんな、情けない念に捉われるようになったのだろう―――思い返せば返すほど、脳裏に鮮やかな色が焼きつく。ガラス球を通した時と同じように、世界が深緑に染まっていく。

 「……キレネンコさん?」

 訝しむ声に、いつの間にかまた視線を逸らしていたキレネンコは顔を上げる。見つめる先でプーチンが、曇らないと思ったばかりの瞳は若干揺らして、眉を下げた。

 「あの……やっぱり、そんな子供みたいなのは嫌いでした?」

 あげます、と渡した物を手に、相手が心ここにあらずになってしまっては不安にもなる。
 物自体がつまらない物なのは重々承知している。人の目から見れば、単なるガラクタでしかないことも。
 けれど、価値なんて微塵もないそれが、プーチンにとってはとても大切な物だった。
 覗き込めば世界を一変させてくれる、その緑のガラス球は生涯裕福とは無縁の自分が手に出来る宝石だ。
 宝物といっても遜色ないそれを、だからこそ大切な相手にあげたかったのだが。


 迷惑だったろうか―――と沈みそうになったプーチンの手へ。

 ガラス球が、押し戻された。




 思わず目を見開いてキレネンコを見る 予想していた、けれど本心では考えていなかった事態に、プーチンは立ち尽くした。
 本当に、迷惑だったのか―――戸惑い顕に硬直した顔へ、キレネンコのガラス球を押し付けていない方の手が伸びる。
 ぐいっと引き寄せられる反動で、どちらの手からも外れたガラス球が落ちた。ころころ、と床を転がってしまう緑を覗き込む目は、無い。

 「キレ―――」
 「こっちで、十分だ」

 至近距離にある緑の中で、自身の色が変わる。


 ―――欲しかったのは、深緑の至宝二つだけ。

 



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2010.6.9
4・5月拍手再録。