拍手再録2(3本)






sky・sky …赤×緑

 開け放しの窓から入る風が、髪を乱暴に乱す。
 括った前髪を押さえながら、プーチンはそぉっと体を窓から出した。
 道路標識で作ったたんこぶの痛さは記憶に新しい。気をつけないと―――そう胸に湧いた若干の警戒は、身に直接受けた風に吹き飛ばされた。

 「うっわぁー……!」

 ばたばたとはためく服を押さえもせず、座席の上に乗り上げる。
 全開まで開いた窓から身を乗り出しながら、プーチンは思わず歓声を上げた。


 風が、見えた。


 顔面を直撃する風圧の中で、木が、道が、どんどん過ぎていく。
 一瞬で後ろに行った景色は振り返れば、あっという間に小さくなり消えてゆく。

 ―――耳に、ひゅんひゅんと風を切る音がこんなにはっきり聞こえるとは。

 与えられるスピードにつられるようにして、プーチンの心が弾みだす。
 地面の凹凸をダイレクトに伝えて揺れる車は、まさに跳ね馬だ。必死にしがみついていなければ落とされてしまう。
 けれど危険に身を引くことなく、プーチンは飛び出させた体を反らして空を見上た。


 頭上一面に広がる―――突き抜けるような、青。


 灰色の天井でもなく、四角く切り取られた小さな窓越しでもなく、確かな青空が今プーチンの頭上に広がっていた。
 その空を流れる白い雲すら、一瞬で追い抜いてしまう。
 流れていく色が、叩きつける風が。
 監獄を抜けた日の罪悪も不安も全てを吹き飛ばして―――あの日までの、感傷的な日々を駆け抜けていく。


 もっと。

 もっともっと早く、遠くまで。

 この身を運んでいって欲しい。

 いっそ―――自ら巻き込まれてでも。




 走っても走っても続く青い空の先を見ながら、プーチンは車内へ声をかけた。

 「キレネンコさん」

 呼び声に、運転席の前を向いていた目が、ちらりと向く。
 体を外へ乗り出させてたまま、プーチンは窓枠に片腕を置いて運転する相手へと尋ねた。

 「もっとスピード、出ますか?」

 笑顔で―――聞き方によっては煽っているようなことを、言ってのける。
 確認するまでも無く、メーターはすでに法廷速度を軽くオーバーしている。
 シートの下ではエンジンが気の毒なくらい回転しているのが伝わってくるが、存外丈夫なこの車なら耐えられるはずだ―――壁を突き破った、自分たちのように。


 ばさばさと巻き上げられる髪を押さえているプーチンを、赤い瞳が瞬き一つ分見つめる。
 瞬き一つ分―――アクセルに乗った足が、無言でペダルを踏み込んだ。




 グォンッ―――!
 



 排気ガスを一気に噴出して跳ね飛ぶ車に、青空の下で歓声が響き上がった。



途中じゃおろして、やらないぜ?
 


*蛇足*
ポルノグラフィティのハネウマライダーが出典です……


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Midnight blue vampire …弟×緑

 夕暮れは、とうに過ぎてた。

 窓から見える宵闇は太陽の光に多い被り、深く黒い闇へ正しく塗り潰そうとしている。
 黒に変わる直前の深い藍色が、世界をじわりじわり、侵食していく。
 その底のない色に自身まで持っていかれる気がして、背がぶるっと震えた。慌ててカーテンを引こうとし―――思い留まる。
 この部屋は布の一片まで自分の意思で動かしてはならない。無機物の調度品ですら、ここでは主である人にしか従わない。
 

 ―――ならば、ここに足を踏み入れた瞬間、自分もそれと同列になるのだろうか。


 過ぎった考えを吟味するより先に、背後から声がかかった。

 「夜が怖いか?」

 低く、忍び寄るようにして聞こえた声に、慌てて振り返る。
 広い部屋は外の闇を受けて薄暗い。だというのに扉に背を預けて腕組みをしている相手の緋色の双眸は、何故か目前にあるほどはっきりと見て取れた。
 敵意は全くないのに射抜いてくるような鋭さのある瞳に、自然身体が緊張する。慌てて首を振ったが、恐らく滑稽な姿だったに違いない。
 果たしてその取り繕った様子に、声と同じ低い嗤いが漏れた。

 「別に恥じる必要はない。人は日の下でしか生きられん」

 そう、日の当たらない世界で生きていく相手は嘯く。人の真理ではあるが、曝け出す白光よりも覆い隠す深淵が満ちる場所に身を置く人物が、何故そんな事を言うのか。
 すっと身を預けていた扉から身体が離される。ゆっくりとこちらへ進んでくる足は、靴音一つ立てない。まるで、闇の中を滑り歩くように、ひっそりと黄昏を侵食する宵闇のように、音もなく近づいてくる。
 だんだんと近くなる存在に―――大きく圧迫する空気に、押されるように一歩下がる。かたん、という音がして、初めて下がる場所などない窓際で背をぶつけていたのだと気づいた。
 眼前まで差し迫った影が、ゆるりと身を下げる。片手を窓につけて顔を覗き込んできた相手の目が、何故か異なる色の蒼に染まった気がした。 

 「答えてみろ。夜は、怖いか?」
 「…………怖くは、ないです」
 「嘘だな」

 くくっと嗤った喉が、目の前で動く。欠片の猜疑もなく否定された事に戸惑うと「未だに幽霊だの化け物だのが怖い口だろう」と揶揄された。
 流石にそこまで子供ではない―――とは強く言えない。外れていないわけでは、なかったのだから。

 「夜が怖くないなら、怖れるものは何だ?」

 外の藍色は薄れることなく、闇への色を増していく。
 すでに消えた黄昏は、逢魔が時とも呼ぶのだと少し前に教えてもらった。
 だとしたら―――禍物に逢う時を超え、更に踏み込んだこの色の袂では何と出逢うのか。

 教えてくれた相手とごく似通った顔立ちが、動いた。
 顔に大きく走る縫合痕は、昔物語に出てくる闇の住人を体現化させたようだ―――今まで一度たりとも抱いたことのない考えは即座に打ち消した。
 それでも、夜の淵で見る彼の人に、その瞬間感じた畏怖を―――怖れを、払拭出来ない。
 近づいてくる顔から、逃れられない。


 ―――宵藍の侵奪者が、牙を剥く。 


 頬を舐める舌と呼気に震えた身体を、細められた目が愉しげに見た。


 「ゆっくり考えろ―――夜は、未だ来ない」


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如月・プリズム …赤×緑

 頭に投げつけられた小箱を開けた瞬間、プーチンは息を飲んだ。

 銀色の細い環の上で、ライラック色の小さな石英が煌く。
 台座にきちんと収まったそれは、窓から差し込む光を受けて虹色に輝いた。

 「―――綺麗ですね」

 ほぅ、と思わず溜息が出る。
 押し付けがましさの無い、控えめな美しさだ。装飾品としての華やかさはないが、常に身に着けるなら相応しい品の良さが有る。
 環を飾る小さなアメジストは、指に填めれば身に寄り添うようにひっそりと色を添えるのだろう。

 指輪に見とれていたプーチンは、ふと正面に佇むキレネンコを見た。

 「これ、くれるんですか?」

 真っ直ぐな問いかけに、目が反らされる。
 ДаそうだともНетちがうとも返事をしない相手に、プーチンは微笑んだ。

 「ありがとうございます、キレネンコさん」

 惜しみなく向けられた穏やかな微笑に、キレネンコの背が完全に向いてしまう。
 拒絶するようなその態度をただ単に感情の表し方が分からないのだと指摘したのは、プーチンだ。
 今もって変わることのないその態度にプーチンは小さく噴出すと、もう一度手の中の指輪を見た。

 貰ったばかりのそれは、やはり美しい。
 手荒に扱ったら、壊れてしまいそうだ。

 「大切に、とっておきますね」

 そう言って、プーチンは箱の蓋をぱちんと閉めた。

 傷つかないように。壊れないように。紫苑の光を、穢してしまわないように。
 あの小さな光を見たいと思ったときは、またこの蓋を開こう。虹色の、あの輝きをまた見たいと思ったときに。

 しかし、もう一度お礼を言おうと顔を上げたプーチンの前には、不機嫌そうなキレネンコの顔があった。
 柳眉を険しく寄せた顔は、苛立っている、ようにも見える。

 え?と、先程までの無感動な穏やかさから急に状態の変化した相手へ戸惑うプーチンに、キレネンコの手が向く。

 今しがた渡した、やると表明したばかりの小箱をプーチンの手からもぐように奪う。
 そのまま箱を握り潰すのではないか―――プーチンが目を見開いて見守るん中、彼は奪った箱を開いた。
 大きな手の中に収まる箱は、玩具のように小さい。
 その箱の中のさらに小さな指輪をつまみあげると、こっちは不要だといわんばかりにキレネンコが箱を放った。
 ころころ床の上を転がっていく箱を慌てて拾おうとしたプーチンの手が、ガシッ!と掴まれる。
 些か乱暴に引っ張られ振り向くと、目の前にある顔はその力加減を示すように不機嫌そうに歪んでいる。

 「あ、あのっ……?」

 なぜ怒っているのだろう―――目の前の表情に心当たりのないプーチンは、おろおろしてしまう。
 目の前に浮かべられた戸惑いに構うことなく、キレネンコは更に掴んだ手を引く。
 硬直した指を丁度胸の位置に持って来、彼は反対の指に持った環を同じ位置まで上げた。


 サイズは誤ることなく、ぴったりなはずだ。
 いつまでも壊れることなく、色褪せることなく紫苑の光を輝かせれば良い。


 掴み取った、その指の上で。

 



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2010.6.9
4・5月分拍手再録。