※注意※
・明るさはあまりありません。
・緑がなんだか可哀想です。
炉心溶融(メルトダウン)地点。 …赤×緑
どうしようどうしようどうしよう。
頭の中が耐熱限界を超えて、壊れてしまいそうだ。
「キレネンコさん、朝ですよー」
檻の外に見えない太陽が昇る、起床の時刻。シーツを被っている隣人をゆする。一足先に起きて同居者を起こすのは刑務所に入ってからの日課だ。
放っておけば点呼の時間まで寝てしまう相手は看守に怒られても殴られても至って平気のようだが、見ている方が心配になる―――起き上がらせる事が出来る日は皆無だが。
「キレネンコさーん、朝ですー。起きてくださ~い」
ゆさゆさと、シーツの下の体を揺らす。控えめに、というよりは少し強い力で動かしているのだが、枕に埋まる赤髪は起こされる素振りがない。
来た当初は触った時点で手を叩かれ睨み付けられていたものだが、許容か慣れか諦めか―――今は無視の形に移行している。唸り声一つ上げない相手に特に腹を立てることもなく、揺らし続ける。
ひょっとしたら向こうも意地で体を起こさないのかもしれない―――根気比べのような攻防に、最終的に終止を告げるのは今日同様、不機嫌そうに開かれる赤い瞳だからだ。
眉間に皺を寄せた表情をさせるのは申し訳ないと思うのだが、瞼の開く瞬間、宝石のような色合いの瞳を見るのが実は好きだ。ゆっくりと現れる濡れた紅玉は、埋まる整った造詣と合わせて何度見ても息を飲む美しさを感じる。正直、それを見たいがために起こす役を買っているともいえる。
鮮やかな色を目にした途端少し高鳴った胸を押し隠すようにして、覗き込んだ顔へと笑いかけた。
「おはようございます、キレネンコさん」
今日も良い天気ですよ―――確認の出来ない外の様子を想像して告げる。晴れでも雨でもこの狭い檻での生活に変わりはない。起床の時刻が来て、点呼がとられて、そこから決められたタイムラインの一日が始まって。夜眠る時間が来るまで同居人と顔を合わせた生活を送る。些細な外的要因では何一つ崩れ変化することのない場所で、変わることのない赤い瞳を見ながら過ごす日々はそんなに悪くはなかった。
その目が何を考えているのか解れば、もっと良いのだけれど。
いつも眠そうな、衝動とは無縁な―――怒っているときは別として―――静かに落ち着いた瞳は、どれだけ覗き込んでももっと深い場所にある心情を伺わせない。
今眼下で自分の姿を映している瞬間は、一体何を考えているのだろうか。
その答えは、思いがけず向こうから伸びた手が行った。
「―――!?」
見惚れていた赤い瞳に変化を示さないまま、頭を強く引かれる。全く予期していなかった動きに首の筋肉でブレーキを効かせることも出来ずにまともに突っ込む―――相手の、眺めていた目の真上に。
ゴチッ、と下唇に自分の歯のぶつかる衝撃で目の前で星が散る。痛い―――ただ、それ以上に。
外側の唇へぶち当たった柔らかな感触と、内側に入り込んできたぬるり動く生暖かな物体に。頭が、真っ白になる。
「んっ―――ふ、ぅっ……!」
ベッドの縁に手を突いて起き上がろうとするものの、後頭部を押さえる掌一つで動きを制される。もっと言えば、口内を舐め絡む舌の動きに思惟が奪い去られ、動くという命令を脳が下せなくなっている。
なんなんだろうこれは。
一体なにがどうしてどうなってこんなこんなこんな。
理解できない事態に、混乱して止まりかける意識に。それでもきゅぅっと舌を強く吸われた瞬間背筋を駆けたものに、神経は完全に停止せずびくりと体を震わせる。
自分の体感時間ではとてつもなく長く、たっぷりと時間をかけて触れていた部位が離れる。抜き際ぺろりと外側の唇を舐めた舌と、それと同じ色をした熱を感じさせない眼が。じっと至近距離で見ているのに―――今度こそ、ぎゃあともひゃあともつかない、意味不明な悲鳴を上げて飛び退いた。
バッと後ろに跳ね飛んで、縺れた足によろけて転んで、尻餅をついて。床の上でじたばたもがいて立ち上がれないので腰で這いながら反対側の自分のベッドまで帰り、剥いでいたシーツをバサッと頭から被る。
布一枚巻いてずっとこちらへ向けらていた瞳と隔てる。けれど、自分の眼球へ焼き付けて帰ってしまったのか、薄暗くなった視界の先にはあの無感動な緋色の双眸が浮かぶ。目を閉じても開いても消えない色に、体温が急上昇した。
―――なんでなんでどうしてなんで?
ぐるぐるぐる。
混乱した頭のままで、考える。
何をどう思って、あんな事をしたのか。あの赤い目は、何を見てあんな行動をとったのか。
平然としたまま、自分を見て。
いやいやいや。
違うきっと寝ぼけてたんだ間違えてたんだ単なる勘違いなんだ。
他の誰かと―――そう、例えば刑務所に入る前に残してきた恋人とか、可愛い女の子とか。
あの赤い目で、きちんと見ている誰かと、寝起きに勘違いしただけ。
―――でないとありえない。絶対にありえない。
寝起きのぼんやりした、靴以外興味を示さない、冷めた赤い瞳が色事を考えてこちらを見たなんて。
そう言い聞かせようにも、分裂連鎖を繰り返す頭の中は制御不可能。
鳴り響くエマージェンシー・コール。臨界点、突破。
爆発直前の頭には、扉の外から聞こえてくる点呼の呼び掛けすら聞こえてこない。
*蛇足*
緑は赤がプラトニックだと思っておりました。
――――――――――
※上の続きです。
A convict cage. …赤×緑
―――逃げられた。
シーツを被って団子になっている隣人を見る。人を起こしておいて、自分はまた寝る気なのか。
―――最も、あの状態で眠れるはずがない。きっと今頃、頭の中では夢見羊が柵を突き破って暴れまわっているだろう。数えられるだけの余裕があるのなら逆に見物だ。
欠伸一つ―――まだ、眠い。途中で邪魔された自分の眠りは、羊を数えるまでもなく簡単にやってくる。
降りていって向こうのベッドで続きに興じても構わないが、今はそっちの欲求よりよりも純粋に惰眠を貪りたかった。本能が告げるまま再度伏せる。手を出すのは目覚めた後でも、それよりもっと先でも問題ない。
どうせ逃げ場はない―――狭い檻の中一角に居続けるしか、ない。ならば状況はこちらの物だ。
布を引き剥がすのも組み伏せるのも。いつでも容易に出来る。
眼前に身の全て曝け出させるのも、合わせた目が理性消すまで蕩けさせるのも。いつだって。
気の向いた時に。気の向くままに。この手で。
鉄格子の中―――囲う腕の檻からは、逃げれやしない。
一眠りした後の、お楽しみといこうか?
――――――――――
IMITATION LOVER. …弟→←緑
唇へと刺さってくる、硬質な歯の感触。
柔らかな肉に牙が深く、止まる素振りなく埋まるを察知して目の前の胸を叩く。一瞬加減をするのを忘れて拳で強く、殴るように叩いたというのに―――びくともしない。
身を抱きすくめる腕との、明らかな腕力差。見せ付けられたどうしようもない力量に愕然と開いた目に、至近距離の目が愉しむように哂った。
「…………っ、!」
ガリッ―――耳へ、塞がれた口の内側から直接音が響く。
破られた皮膚から生じる焼け付くような熱と、半ば覚悟していた、疼痛が。目の前を赤く染ていく。口内へ広がる鉄錆の苦い味に、口を開いているのは限界だった。
吐き気に急かされるよう、最後にもう一度強く体を押す。舌を噛んでしまう―――その直前に、さっきまで動かなかったのが嘘のようにあっさりと離れた。
口内にあった、血を溶け込ませた唾液全て飲み上げていって。
ゴクリと動く喉が、満足げに細められた目を、信じられない気持ちで見やる。
なんで―――ズキズキと痛覚に訴える傷口の痛みも忘れて、叫んだ。
「なんで―――なんで、こんなことするんですか……!?」
まともな返答が一度も返ってきたことのない問いを、それでも尋ねずにはいられない。熱と痛みと、行為の残りでじんわりしていた目元が、更に他の感情を付与されて熱くなる。
駄目だ、泣いたら―――噛み切られた唇を噛み締めて、込み上げてくるものを堪える。涙を零したところで目の前の相手へ訴える要素にはならない。一層、惨めさが増すだけだ。
愉しそうな、まるで理解できない笑みを浮かべる相手は一体何なのか。少なくとも、こんな事を―――情愛があるのか責苛んでいるのか解らないような行為をする間柄では、ないのに。
触れてこようと伸びる手から顔を背けながら、精一杯の気持ちを込めて訴える。少しでも、不可解なその胸の内に届くように。
「こういうことは……好きな人と、することなんです……!」
口付けを交わすのも、頬を柔らかく撫でるのも。間に挟んだ傷つける行為を除いて、全て特別な相手とだけ成立する事柄だ。だというのに、肩を軽くすくめてみせた相手がそれを理解した様子はない。その口から紡がれるのはいつだって、どこかずれた―――氷塊のような冷たさのある言葉ばかりで。皮膚を裂いた牙よりも鋭利に、心へと突き刺さる事がある。逸らした視界から盗み見た赤い瞳はそれを裏付けるよう、温度がない。
「気に入った、と言っただろう?」
「違います……!そうじゃなくて、もっと、ちゃんとした―――愛情があって、やることなんですっ……!」
そう、振り絞るように、叫んだ想いは。
一笑に、付された。
「愛情?何だ、それは」
鼻で笑う、せせら笑いが。整った顔に張り付いた笑みが、深められていくのに。声を失う。
揶揄するように口の端を上げて言いながら、その実向こうが冗談で言っているわけではないのが解る。間違いなく本心から、そう思っている。
まるで違う惑星に住む相手とコンタクトを取っている気分だ―――言葉を交わせば交わすほど、歪みが見つかる。
決して相容れることのない、絶対的な感覚の差異。疎通出来ない意思。触れ合う意味さえ、同じ想いで認識出来はしない。
―――何で。
紙一枚挟まる余裕ない距離で向き合っていて尚、この人は。
本心を、見せてくれない。
竦然と垂れ下げていた手が掬われる。気付いて引っ込めようとしたが、意識とは裏腹に神経が麻痺したかのように腕は動かない。捉える腕が伝える、振り払うなという命令に勝手に本能が従う。
押さえつけていた時とは一転、壊れ物を扱うようにそっと持ち上げられた指先に唇が触れる。吐息を滑らせて、恭しく。まるで恋人にするように口付けた相手の目と―――かち合う。
カリッ―――と予告なく噛まれた指先に。全身へ、電流が走る。飛び上がった耳元へ、綺麗な弧を描いた口が寄せられた。
「なら、『愛してる』とでも言ってやれば、服の一つでも脱ぐのか?」
「―――っ!」
特別な一語を殊更強調するようにして、囁く声。言葉戯びを愉しんでいるだけの相手を、食まれた手で突き飛ばす。抵抗なく生じる隙間から翻した身に、赤い眼が薄く哂う。
その眼をもう見たくなくて、一気に駆け出す。滲む血の味を噛み締め、後ろを振り向くことなく。只管走る。
走って、走って、逃げるように、走って。
千々に千切れそうな心を抱いたまま、止める事の出来なかった涙が伝うまま。追いかける手のない後ろから、只管。只管、逃げ走る。
―――その手が捕まえてくれたのなら、こんなに悲しくなんて無かったのに。
なんて、ひどい、ひと。
――――――――――
※上の続きです。
ココロ、オドル。 …弟→←緑
バタバタと騒々しく駆ける足音が遠のく。静かになった場所で一人、満たす感情に浮かぶのは自覚できるほどの満面の笑みだ。
愉しい―――本当に、この上なく。非常に、愉快だ。
掌の上で踊るような予想通りの反応が返ってくるのが、これほどまでに面白く思えたことはない。
愉悦に持ち上がった、濡れた唇を舐める。
表面に残る、自分の物ではない錆の味―――泣いて逃げ出していった、オモチャの味。
未だだ。追い詰めるのは、未だ早い。
もっともっと逃がして。離して。遊んで、戯んで、弄んで。それから。
「安心しろ……どうせ、手に入れてやる」
せいぜい逃げろ―――この手で絡め取る、その日まで。
逃げ戸惑う姿すら、心躍る。
――――――――――
嗤フ、イカサマ師。 …看守→←緑
「僕のこと、どう思いますか?」
一瞬、手札の揃い具合を見ていた目が止まる。飛んでくる視線から隠れるように、カードの向こうへプーチンの顔が隠れた。
―――変な事を尋ねているという、自覚はあるらしい。連敗中のゲームの流れを変える揺さぶりの発言ではないようだ。
「……そうだなぁ」
クラブか、ダイヤか。8より強い数字はないか。手札のカードを選ぶフリをして、カンシュコフは向かいの表情を伺う。ポーカーフェイスの出来ない正直な相手は、眉を寄せてカードを握っている。形勢逆転の一枚は、どうやらその中に含まれてはいないようだ。
何を出しても勝てるだろう相手の前へ、選んだカードを引き抜いた。
「チビで、」
クラブの6。
「やかましくって、」
ダイヤの9。
「馬鹿が付くくらい、どうしようもない―――お人よし」
ハートの12。
手札は全て、出し切った。
「……そんなとこか」
「……ひどいなぁ」
パタッと、プーチンが手札を倒す。散った一ケタばかりの弱小カードの集まりに、カンシュコフが笑った。
勝者のからかうような笑い方に、プーチンも一緒に笑った。連敗中とは思えないほど、穏やかな笑みを浮かべた顔の前。勝利の女神に握られない人差し指がすっと立てられる。
「もう一回。お願いします」
「これだけボロ負けなのに、お前もよくやる気になるよなぁ」
ま、良いけど。
勝つのは悪い気分ではないし―――顔に似合わず賭け事の好きな相手の、何度目かの『もう一回』にカンシュコフは付き合ってやる。
テーブルに散ったカードをかき集め、手際よく切る。シャッフルを対戦相手へ任せるプーチンの目は和んだままだ。きっとカンシュコフがイカサマやをすするとは微塵も思っていないのだろう。
そんなチビでやかましくて馬鹿が付くくらいどうしようもないお人よしへ、山を渡す。当然、何の仕掛けも施してはいない。完全な運勝負に次こそはと袖を捲くる相手へ苦笑しながら自分の手札を引き抜く。
中々良い組み合わせで来てる―――翳すカードで隠した口元を上げたカンシュコフとは対照的に、プーチンは難しい顔をして唸っている。やはり案の定な具合らしい。
この勝負もいただきだな、と早くも勝利宣言を掲げたカンシュコフは余裕の頬杖をついた。
一枚弱小カードが紛れているが、何度かターンが回れば出せるだろう―――あちらが、それより弱いカードを持っていれば、だが。
向かいではどれを出そうか悩む指がカードの前でさ迷っている。右、左、右、左。端から端まで往復させループしてしまっている優柔不断な相手を珍しく急かさす気にならず、気長に待つ。
こういう奴なんだから、仕方ない。
チビでやまかしくてお人よしなのをどうしようもないのと、同じように。
そう、知らず見守るような目をしていたカンシュコフの視線の先で。
プーチンの指が、止まった。
「カンシュコフさんは、僕のことをどう思っていますか?」
「…………………」
先の質問とは若干異なる言い方と―――カードから上げて、真っ直ぐ見つめてくる目に。連勝が確定して揺さぶられる要素のなかった胸が、揺れた。
思わず頬杖を解き、手札へ目を落とす。
ハートか、スペードか。6より弱い手札はないか。出す順序も手数も決めていた、確認する必要のないカードをもう一度見直して―――引き抜いていく。
「俺は、」
ハートの10。
「お前のこと、」
スペードの13。
「……家族みたいに、思ってる」
出来の悪い、弟のような。
手札を―――全て、出し切る。
「……そっか。」
ぱたん。とプーチンのカードが、広げられる。7を筆頭に、相変わらずの弱い手札。
敗者から再戦を申し込む指は立てられない。代わりにぺこりと頭を下げた、今日一度も白星を掴めなかった顔が微笑んだ。
「遊んでくれて、ありがとうございます。それから―――家族みたいだって、言ってくれて」
「嬉しいです」と言って穏やかに笑うプーチンに、カンシュコフも笑う。笑って、隠さず出されたカードと隠して出したカードを、手のうちへと、かき集めた。
一番弱いカードを重ねて出した卑怯を、馬鹿がつくくらいのお人よしは責めなかった。
出し切ったフリをして卑怯に逃げた言葉を、どうしようもないお人よしは、責めなかった。
本当は、伝えたかったんだ―――好きだ、と。
*蛇足*
トランプのルールは考えてないので見逃してください……
――――――――――
2010.6.9
5月分日記再録。
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