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Дорогой брат. …弟×緑


 6月6日。

 それはヨーロッパで独立した某国の建国記念日だったり、聖書に因んだ恐怖の日だったり、くるくる巻いた形が6に見えるからというかなりこじつけ的なロールケーキの日だったり、はたまた記念日などどうでも良いという相手にかかれば、365日ある日の内の何の変哲もないただの1日である。
 多々存在する記念日の内の一つ―――天環に並ぶ双児宮から因果を受ける、今日は。
 


 兄の日。

 

 「―――で?」

 煙草片手に頬杖をついたキルネンコは、眇めた目で拳を握るプーチンを捉えた。
 明らかに、今まで受けていた説明に興味がないと目が―――態度も含めて全てだが―――語っている。ただでさえ鋭い瞳が冷めた視線を飛ばすと、睨んでいなくとも相手を萎縮させてしまう。が、根性があるのか空気が読めないのか、向き合ったプーチンはほにほにした童顔に精一杯真面目な表情を浮かべて力説した。

 「だからね、今日は兄の日なんです!」
 「そうか」
 「はい!」

 そうなんです!と頷く脳天に。「で。」と、冒頭と同じ言葉をキルネンコがかける。するとまたプーチンが「今日はねっ」と、説明を始め―――カセットテープの端と端を繋ぎ合わせたように延々繰り返す会話をシュールで面白いと思ったのは最初の2、3回だけだった。幾らなんでも飽きる。しかも、大して興味のない話は。
 殴って口を聞けなくすることも襟首を掴んで摘み出す事も容易に出来るキルネンコは、彼にしては珍しく穏当に対話の形式を取った。曰く、

 「だからどうした」

 という、ばっさりもばっさりな、懸命に言い募っている側が取り付く島もないくらい、冷淡な一言。ついでに赤い瞳へ意識して冷たさを乗せると、流石に相手の顔を見慣れているプーチンも少し怯んだ。抜き身の刃を喉元へ押し当てられて、平然と出来る生き物など居はしない。
 先ほどまでの勢いはどこへやら、もごもご小声を零す。それでも「だ、だからですね……」と変わらず同じ事を言うのは天晴れというべきか。その努力を今度は最後まで聞いてやることなく低い声が簡潔に問うた。

 「それで、その兄の日とやらが、俺に何の関係がある」
 「―――あります!とっても、ありますよぉ!」

 ぐさっ!と、突き立った実態のない刃物に沈んだのは一瞬。漸く入れた本題(入れなかったのは自身の話術のせいもあるが)に、ぱぁっと表情が華やぐ。
 緩んだ、真剣な表情より余程様になる笑顔を満面に広げながら、彼はどうでも良さげに煙草を吸うキルネンコへ一歩近づいた。その動作にこの国の裏側、暗部の中枢を握る相手に対する畏怖はない。警戒を知らないわけではないが、自衛をする気配はない。まともな銃器を扱ったことのない手は一貫して手ぶらだ。
 それを愚かととるか勇敢ととるかは相対した者次第だが、懐の内へと踏み込んでくる足を撃ち抜かなかった相手は面白いが故に好きにさせている。

 一種の道楽だ―――珍しいペットか、玩具を眺めるような。

 再びぎゅっと握った拳を近くなった横顔へと振るうことはなく、プーチンは上機嫌に語った。

 「今日は兄の日だからねっ、キルネンコさんもお祝いをしたら良いと思ったんです!」

 ―――というか、お祝いしましょうっ!

 すでに提案から確定に昇進させている意見は、半ばごり押し状態なのを言っている本人は気付いているのか。悪意はなく純真な熱意だけが溢れる言葉に、熱と対極の温度を持つ秀麗な顔は感化されることなく口を開いた。

 「誰を」
 「キレネンコさんですよ」
 「誰が」
 「キルネンコさんがです」
 「何で」
 「兄の日だから!」
 「…………」

 キラキラ―――そんな効果音を付加して、真っ直ぐ見つめてくる、大きな瞳に。
 すぅっと深く煙を吸い込んだキルネンコは―――無言で、吹きかけた。

 「―――!?ぅえっぷ、ぷはっ!」

 突然顔面を襲った紫煙に、バタバタとプーチンが手を振る。煙草に慣れていない身に直撃は堪える。しかもタール量が半端ないキツさの代物は副流煙だというのに直接紙巻を口にしたような気になる―――吸った事は、ないのだけれど。
 よく煙草を美味しいと表現するのを聞くが、苦くて煙たいだけのような―――ケホケホ咽るプーチンは、喫煙の良さは半永久的に分からないと思った。
 逆に煙が止まる時は人生の終焉の時である愛煙者は、肺に刺激と有毒性に富んだ代物を取り込んで平然としている。目の前に涙目の顔があっても気にする素振りはない。清々しいくらいスルーだ。

 「うぅ~……酷いです、キルネンコさんー」

 責めるにしては力のない非難の声にも、眉一つ動かさない。最も、あえて何も言わないその口がもし、発言するとしたら―――「寝言は寝て言え」、だろうか。今日話を始めてから一番ダメージを受けるだろう台詞を吐きかけられなかっただけ、プーチンは幸せだったのかもしれない。
 そもそも、双子の兄がいるからとキルネンコへ話を振ったのが間違いではある。同じ日付の誕生日すら互いを祝ったりした覚えがない彼が、意味も根拠も不明な記念日を祝おうなど思うはずがない。相手の命日だと思っていた日すら興味がなかったのだから。
 そして向こうも祝って欲しいなど、微塵も思っていないだろう―――自身に置き換えたらよく分かる。分かっていないのは祝おうと上げた対象にやたら懐いている、従順に飼いならされた子犬のような目をした目の前の相手だけだろう。
 そのこころは―――

 「アレの浮かれる顔を、お前が見たいだけだろう」

 ずばり言われた指摘に、ギクッ!と小さな体が跳ねる。煙から漸く回復したプーチンの顔が強張り、だらだら冷や汗を流しているのが煙草の煙越しにもはっきり見える。
 分かり易過ぎる反応を捉えたキルネンコは、冷ややかな目のまま平坦な―――その方が、怒声よりもよほど痛烈に刺さる温度のない声で、拒否の意を示した。

 「人をだしに使うな」
 「だ、だしになんて使ってませんよぉ!僕はただ、お二人が兄弟だから、その……あうぅー、何で睨むんですかー」

 『兄弟』という単語が出た途端、はっきり睨みの形に変わった目にプーチンは首を縮めた。顕にされた不快感の、その理由が純朴な彼には分からない。家族は仲良く、微笑みあって愛情を示すものだと当然のように思う頭に、顔を見合わせる度睨み合いか皮肉か最悪手が出る双子の関係は、解りはしない。
 パーツを付け替えて融合できるくらい近しい命だというのに、近寄るのも嫌だと断言するのは一体どういうことなのだろうか。

 「で、でもー……」

 完全に却下された提案を、プーチンは諦め悪く粘ろうとする。
 つい見透かされたように言われて動揺してしまったが、兄弟で記念日を祝えば素敵だと思ったのは本心である。深めな溝と高めな壁が間にある二人が仲良くなるきっかけになればと思ったのも、事実。
 それから、ほんの少し―――無表情が常な同居人の顔が柔らかくなるのを期待していたのも、真実だ。

 「あのですね……プレゼントとかしたりしたら、どうかなーって思ったんです、けど……」

 言いながら、プーチンの語尾はだんだん消えてしまう。

 限りなく、細く眇められた、赤い目が。非常に、痛い。

 徐々に下がる部屋の温度と重圧に首どころか全身がしゅるしゅる縮んでいきそうだ。視線が捉えられる部位がないくらい、小さくなってしまいたい。
 プーチンの粘り負けは、決定だった。

 隣が静かになったところで、漸くキルネンコは威圧を与え続けた目を外した。へにょ、と本人の気持ちを代弁するかのように折れている括った髪の元に、『折角キレネンコさんを喜ばせることが出来ると思ったのに……』とたらたらな未練が見て取れる。計画した動機の比率からいえば明らかに出してはいけないそれを目の当たりにしても、キルネンコは特に怒ることはなかった。対応するのが、面倒だったのだ。
 だしであろうがあるまいが、そもそも彼は双子の片割れに何かくれてやるという事自体がしたくない。恩を売るならまだしも、見返りもない施しをするはずがない。
 同じ顔をした相手にくれてやって構わないのは、嫌味と嫌がらせくらいなものだ―――

 「―――……」

 ぴた。と、煙草を持つ手が止まった。

 手元から立ち昇る煙を、赤い瞳がじっと見る。その視線の先、何が浮かんでいるのか―――思案する素振りにどうしたのかとこの場所で唯一尋ねられるプーチンは、生憎とそれを目撃していなかった。俯いたまま、まだ諦めがつかないのか微妙にうーうー言っている。
 恐らく計画倒れになるとは微塵も想定していなかったのだろう。緑の目には記念日に合わせて用意した素敵なプレゼントを前に、同居人と、目の前の相手と、自身とが笑いあっている未来の光景が確かなものとして映っていたのかもしれない。その面子を知っている第三者へ話したら「その大きな目は節穴か」と言われたに違いない。
 実際にその言葉を返す一人であろうキルネンコは、けれどプーチンをへこませる一言は浴びせなかった。代わりに、項垂れているのか画策しているのか下を向いている頭に「おい」と声をかけた。

 「あっ、はい?」

 唸る声を止め、プーチンが慌てて顔を上げた。一瞬目が「しまった!」と泳いだのは仕方ない。拒否している事をしつこく食い下がれば誰だって腹立たしさを覚える。あまり温厚でない相手の逆鱗に触れていたとしても、不思議ではない。
 若干身構えたプーチンに、けれど雷は落ちてこなかった。そっと向かいを伺うと、同居人と瓜二つな顔をした相手は、やはり同じ色の紅玉のような瞳を細めてプーチンを見ている。吊り上がり気味の目つきは睨んでいるようにも見えるが、煙草を咥えている口元は上がっている。
 浮かべられた独特の笑みを見る限り、立腹しているわけではないらしい―――彼の場合は、必ずしも嗤っていれば穏やかであるとは言いきれないのだけれど。
 良かった、とこっそり安堵の息を吐く様を睥睨しながら。キルネンコは、嗤いを含んだ声を発した。

 「―――良いだろう」
 「ほ?」
 「兄の日だったか。お前の提案に乗ってやっても良い、と言っている」

 付き合ってやろう―――そう、今までの拒絶が嘘のようにあっさりと翻った意見に。プーチンが驚いたように、目を見開いた。

 「本当ですかっ!?」

 尋ねる声も、思わず裏返ってしまう。悠然とした態度の相手が自棄を起こしたわけではないのは見て解る。冗談を口にしただけとも取れるが、人の良いプーチンはそうは思わない。
 紫煙たなびかせる三日月の口元に―――懐疑ではなく純粋な驚嘆で丸くなっていた緑の瞳は、徐々に歓喜の色を浮かべた。

 「わぁ~っ!ありがとうございます!」

 握っていた拳をばんざいにして、プーチンはぴょんぴょんと飛び跳ねる。向かいのキルネンコが火のついた煙草を持っていなかったらその手をとって一緒に振っていただろう。随喜と感謝と興奮とを混ぜ、まさに欣喜雀躍だ。
 笑顔を満開に、躍り上がる気持ちのまま踊ろうとしていたプーチンは「ただし」という言葉に、弾む足を止めた。

 「はい?」
 「付き合ってやる以上、そっちもひとつ付き合ってもらう」
 「へ?」
 「ただで人を動かせると思うな―――世の中、労使と報酬は等価だ」

 きょとん、と目を瞬かせるプーチンに。ひどく愉しそうな表情を浮かべた『兄』ではない方の生まれを持つ相手は―――煙草を持つ手と反対の手を、伸ばした。

 


 

 その日、テーブルへついたキレネンコの向かい、指定の席に同居人は居なかった。
 「ちょっと1日出かけてきます」と出掛けに言われた言葉が正しいなら、今日そこはずっと空席だ。朗らかな笑顔の消えた空間に微妙に落胆を覚えながら、見る相手が居ても居なくても変わらない無表情で溜息をつく。
 今更一人で留守番をすることに異を唱えることはない。元々一人の方が性に合っているし、趣味の品さえあればいくらでも静かな時間を過ごすことは出来る。ただ、それでも出かけようとする背をむんずと掴まえずにいるには結構な努力が必要だった。

 最大限の寛容をもって門限を取り付けて送り出せたのは自分でも立派だと思う―――以後取り付けるのが紐や首輪になるかどうかは、帰ってくる時刻によりけりだ。

 何度目かの無意識の溜息を零したキレネンコは、同居人の代わりにテーブルで自分を迎えたものを見下ろした。

 自分の席の方へと置かれた、リボンのかかった箱。

 長方形の箱の中身は、十中八九靴だろう。足元履いているスニーカーと同じサイズの箱は、わざわざこちらに置かれている以上開けても文句は言われないはず―――この箱を用意した相手は不在のため、無断で包装を解く。
 赤いリボンを無造作に放ってパカリ蓋を開けたキレネンコが、ほぅ、と小さく感嘆の声を漏らした。
 中に納められていたのは、予想通り靴だった。左と右、双子のように揃えられた人気ブランドの廃盤品。レア中のレアなそれをどうやって手に入れたのか。疑問に思わないではなかったが、それよりも至高の一品を手にした喜びの方が勝った。少し空いていた心の隙間が瞬時に満ちていく。

 精巧な作りをされているのが一目で伝わってくる。流石通の間では有名なだけある。シックなデザインや色合いも、好みに合っていた。随分とこちらの趣味が分かるようになったものだ。

 これが自分色に染める、というやつだろうか―――スニーカーに向ける赤い瞳が僅かに緩む。自然何時もより柔らかく見える表情を浮かべた彼は、これを用意した相手が帰ってきたら、幾許か穏やかな気持ちで迎えてやろうと考えた。そのつもりで準備して行ったのだとしても、たまには乗ってやっても良い。誕生日でも何でもない普通の日に、思いがけないプレゼントを貰えたのだから。
 もっと良く見よう―――箱から靴を取り出したキレネンコは、ふと箱の底にメッセージカードが置かれているのに気付いた。

 自分の名前が書かれた、カードの筆跡を見た瞬間―――バッ!と手にした靴をひっくり返した。

 ……一応、靴底に爆弾は仕掛けられていなかった。
 一通り確認したが、これといった細工もない。物自体も、贋作ではなく正真正銘、希少品であるスニーカーだ。
 だが、その希少な品を見る赤い瞳は険しい。一瞬前までの和んだ空気は霧散し、雨雲巻く低気圧さながらにピリピリしたオーラを放ちだす。嵐吹き荒れる前兆を払い飛ばす、太陽のような微笑は今部屋になかった。

 自分の字の書き方とよく似たそのカードは無視してしまいたかったが、ひょっとしたら今日同居人が出かけた事に関与しているかもしれない。一般ルートでは入手不可なスニーカーがある理由も、納得がいく。
 だとしたら、帰ってくるのを迎え待つのではなく、引き摺って連れ帰らなくてはならない。
 

 ついでに首へ取り付けるのは厳重な鎖だ―――沸々沸き起こる気持ちを抑えて、流暢な字の綴るカードを手にし。


 ビリビリと破った借用書代わりのカードと幻のスニーカーをゴミ箱へ叩き込んだキレネンコは、同い年でありながら自分を『兄』足らしめる唯一の存在の元へ向かうべく部屋を飛び出した―――自分と同じ赤髪が、色濃さ増す瞬間を夢想して。


 ついでに、悶着の末括った髪を引っ張って連れ帰った同居人がゴミ箱を見て「僕が選んだのは、気に入りませんでしたか……」と大きな緑の瞳一杯に涙を浮かべてプルプルするのに、一体どこまで計算づくだと夢想が叶わなかった彼は兄弟の溝を一層深く掘り進めた。 



 Дорогой брат親愛なる兄へ―――?くそ食らえ、そんなもの。




―――――
 キル様は今回はプラトニックにお外デートだけご要望でした。
 プーに色々買い与えてキャッキャッと喜んでいる様を見るのが愉しかったようです。完全愛人扱い……
 



――――――――――



ごちそうさまが、ききたくて。 …双子×緑



 

 一日の終わりを告げる食卓では、ほかほかと温かな湯気が昇っていた。
 素朴ではあるが思いを込めて作られた家庭料理は舌だけでなく心も満たす。
 だから幸せを感じさせない無表情でありながらも、もくもくと料理を食べていたキレネンコのフォークが止まったのは、偏に皿の上に紅白の物体を見つけたからだった。

 固い甲殻を外されてぷりっとした身を出している、食材。

 本来皿の上ではなく海の中が住処のそれに、そういえば同居人には告げていなかった事を思い出す―――自分は魚だけではなく、魚介類全般を好まないのだと。
 知らないまま使われた食材に対して、とりあえずテーブルをひっくり返したりはしない。が、ほこり湯気を立てるエビは、どうやって処分すべきか。
 いつも空にして返す皿へ確実に残ってしまうだろうそれと、少し眉を下げてしまうだろう作り手の顔を思い浮かべた彼は、赤い瞳をはす向かいへ向けた。
 二人暮らしのテーブルの、本来は用意されていない席に、さも当然のように座った相手はもっもっと口を動かしている。

 「大勢で食べると美味しいですから!」と浮かべられた笑顔に押し切られたが、その増えた手合いは、むしろ飯を不味くする。皿の上に乗ったエビ並みに、邪魔だ。

 取り成すプーチンがデザートを用意するからと台所へ立ったので遠慮なく睨む。が、刺す視線に気付いているはずの顔は涼しいままだ。当然だ、これ位で怯むようなら食事どころかベッドの提供まで―――しかも、自分の抱き枕代わりの柔らかい存在含めて―――強要するという厚かましい事は出来ないだろう。
 とりあえず食うだけ食わせて叩き出す事でついた折り合いも、本当は納得していない―――お互いに、だが。

 食事の手を止めているキレネンコとは対照的に、同じ顔をしたキルネンコはもくもくとフォークを動かす。改めて見るとそっくりな持ち方をして食べ進めるその手は、時折軌道を変えて皿の端に動く。釣られるようキレネンコが視線を動かすと、そこには彼が処分に悩んでいた食材が既に寄せ集められていた。
 どうやらあちらは悩みもせず、残す気満載らしい。
 ならば。

 ―――ぺいっ。

 もっもっもっもっ―――も。

 ぽとっ、と。皿の上に落ちてきた塊に、キルネンコはもっもっもっ、と動かしていた口を止めた。

 「…………」

 基本なんでも食べる中で唯一食べられない、否、食料として認めていない品目の一つ。例え初見のレストランであっても出されたら皿を叩き割るそれは、この度の料理人に悪気がない事を考慮して目を瞑っている。最終的に皿端に残したそれに気付き、次回から出さなければ合格だ。
 別名贔屓という名の寛容も、しかし突然皿に出現した物体に対しては別だった。
 皿から顔を上げ、エビが飛んできた方向を見る。視界から完全シャットアウトしていた方向、食欲を減退させる相手がナイフで切り分けた料理をもっもっと頬張っている。そのナイフ捌きが微妙に自分と似ているのはさておき―――手元以上に似ている横顔は、今しがた行った恥知らずな行為を悪ぶる様子はない。
 完全そ知らぬフリを決め込む姿を冷ややかに一瞥した彼は、飛んできたエビを掬った。

 ―――ぺいっ。

 もっもっもっもっ―――も。

 ぽちゃっ、と。皿に飛び込んできた物体を、もっもっもっと動く口を止めて、キレネンコが見た。

 「………………」

 ……これは一度自分の物から外れたのだから、出戻りとは呼ばない。不法投棄だ。
 華麗な逆ジャイアニズム理論の元、ナイフを握る手が悪質な行為を行った相手へ引取りを強制執行した。

 ―――ぺいっ。

 つまらないものですが、どうぞ。と寄越された代物を、のしをつけて返却する。

 ―――ぺいっ。

 なんだかおまけ付きで渡された粗品を、着払い便で発送する。

 ―――ぺいっ。

 ―――ぺいっ。

 ―――ぺいっ…………


 「おい―――何ふざけた真似してやがる」

 無言の遣り取りを続けて暫く。終わりの見えないラリーに、先に忍耐を切らしたのはキルネンコのほうだった。
 自分の一部分と接合してからやたら気が長くなった片割れに対して、射抜く視線を送る。温かな料理を急冷凍するような、冷え冷えとした空気が食卓を包んだ。

 「人の皿に入れるな」
 「……どうせ残すだろ」

 なんといっても、お互いに嫌いな食べ物なのだから。
 幼少期から顔を合わせて食事をしていたのだから、今更相手の嗜好が分からないという事はない。
 一個も二個も同じだ、と無言で訴える赤眼に、同じ色をした眼がジロリ睨む。

 「黙れ。自分の皿に置いてろ」

 食べる食べないは勝手だが、こちらへ寄越す必要はないはずだ。
 邪険な言い方だが、確かに最もな理屈である。特に、皿を下げる相手はその程度の事で怒りはしない―――逆に、「苦手な物出してすみません」と頭を下げるだろう。
 至極当然に言われた言葉に対し、返すキレネンコもまた、落ち着き払った何時もの調子で返した。曰く、

 「残したらアレが泣く」

 実際に涙を流すかは分からないが、少なくとも緑の瞳が悲しそうな色を浮かべるのは確実だ。誰がどんな顔をしようがどうでも良いキレネンコにとって、例外的にあの表情は忌避しようと思わせる。見ていると何だか胸の奥がざわつく様な、落ち着かない気分になるのだ。
 そして綺麗に欠片も残さず食べ終えた皿を下げる時の嬉しそうな笑顔を見ると、何となく温かな―――そう、例えるなら綺麗に磨いたスニーカーをじっと眺めた時のような、ささやかな幸福を覚える。
 作った側も食べた側も気分が良いなら、やはりどんな苦手な物であっても残さず、いつもどおり皿を空にしておかなければならない。
 というわけで、最初から残す気である相手に押し付ける、もとい一纏めにしておくのはまさに最善の策である。
 夕飯を食べさせてやってるのだから、せめてそれくらいは役に立て。

 そんな内容を、ワンフレーズから全て読み取ったキルネンコは「ほぅ」と頷いた。
 成程、分からない事もない。
 そう、鷹揚と理解を示すように縦に振った首を上げ―――席を蹴る。

 ガタンッ!と音を立てて倒れた椅子へ気を取られる事なく、キレネンコは眼前に迫る手を掴んだ。赤色の目玉に突き刺さる僅か数センチ前で、フォークが鈍い色をキラリ光らせる。
 先端恐怖症でなくても悲鳴を上げそうな光景に平然としたまま、掴む手の向こうを見る。尖ったフォークよりも突き刺さる眼光を向けた先、まるで鏡写しのように同じ目付きをしたキルネンコの顔が映った。
 違うのは、あちらでは喉元に突きたてられる直前のナイフを持つ手を止めている、というところか。
 勿論、ナイフを振るっているのはキレネンコだ。
 ぐぐ、と両手にそれぞれ力を込めながら、容赦の欠片もなく本気の殺気を放つ―――和やかな食卓は一変、戦場と化した。

 「……とぼけた事、抜かすな」
 「……文句があるなら、とっとと帰れ」
 「……お前に、指図される、謂れは、ねぇ」
 「……お前が、居て良い、理由も、ない」

 ぐぐ、ぐぐぐっ。

 刺さろうとする凶器は押さえ、相手に突き刺す得物は振るおうとする力が、見事に拮抗する。
 挟んだテーブルが揺れ、食器がガチャンと鳴るのも無視して睨み合う―――一瞬でも気を抜けば確実に殺られる。幾ら気に入らなくても、それぞれに実力は認めている。
 普通の相手ならノーガードでやっても構わないが、押さえている手が振るえば流石に無事では済まない。白いテーブルクロスが赤色になったら、それを敷いた相手はさぞ驚くだろう。
 ただでさえ丸く大きい緑の瞳をさらに見開いて、

 「ど―――どうしたんですか、二人ともっ!?」

 ―――こんな風に。

 ボトリ、抱えていた三人分のデザートを落として立ち竦むプーチンに、僅かに二対の赤眼が動いた。完璧に顔を向けないのは、気を逸らした瞬間が敗北になるからだ。攻める時は先手を打てば良いが、武器を先に納めるのが常に正しいとは限らない。
 片目で向こうの赤眼を睨み、もう片目で真ん丸になった緑の瞳を見た二人は「何でもない」と言う。そのタイミングは、不思議と同時だった。

 「え、っと―――なんでも、ないって……」

 そんな感じじゃ、ないと思うんですけど。

 絶句したプーチンの心中を推し量るのは、容易い。
 なんといってもフォークが刺そうとしているのは朝食メニューに似た名前はあるが焼いてはいない目玉で、切ることではなく突くことを主目的としたナイフはせせりを捌こうとしている。
 あわやカニバリズムか、これが本当の共食いというヤツだろうか―――な、そんな状況で「はぁ、そうですか」と流す程にはプーチンも空気が読めないわけではない。落としたデザートの存在も忘れて、オロオロと食卓を見回す。
 一体、このつかみ合いの原因が何なのか、プーチンにはさっぱり分からない。彼にとっては、人数も増えた今夜は和気藹々とした楽しい夕飯だったのだ。腕によりをかけて料理を作ったし、味も悪くなかったはずだ―――けれど。

 「あの……ひょっとして、ご飯美味しくなかったですか?」

 椅子を蹴倒して立つ二人の向こう、テーブルの上でひっくり返っている皿にプーチンは気付いた。
 つかみ合いに発展する途中被害を受けてしまった皿は、最早どちらが食材を残していたか判断つかない状態だ。ただ、仔細を知らない緑の瞳には、それは口に合わない料理に対する無言のクレームに映る。
 
 何を作っても綺麗に食べてくれるからつい忘れていたが、二人は揃って良家の出だ。
 庶民的な家庭料理で肥えた舌を満足させるのは―――難しい、のだろうか。食べて来た遍歴が違うから分からないだけで、自分が良いと思った味もお粗末なのかもしれない。

 しゅんと眉を下げている料理人に、また異口同音に「違う」と答えるが、落ち込んだ心には届かない。
 俯いている頭に同時に舌打ちしながら、キレネンコとキルネンコはそれぞれが元凶だと思う相手へ目で指図した。


 ―――さっさと手を引いて、詫びを入れろ。


 云わんとする事は間違いではないのだが、お互いが同じように思って同じだけ牽制する手に力を込めるのだから、状況は余計悪化する。
 無論、自分から、あるいは揃って頭を下げようという発想は、互いに浮かばない。良くも悪くも、似通った考え方をしているのだ―――意地を張る性格も、全くもってそっくりに。

 そんな訳で。


 「……僕、これからもっと、料理の勉強しますね……」


 ―――美味しく作られなくて、ごめんなさい。


 ぺこり下げた頭を上げ、悲しげに緑の瞳を揺らしながら無理に浮かべる笑顔へ。


 「……っそうじゃないと、」
 「言ってるだろうが……!」


 ギリギリと増した殺意の合間から繋げられた言葉は、やはり届かないようだった。



――――――――――



「この味がいいね」と君が、言ったから。 …双子×緑


※上の続きっぽいです。


 


 生物が『食事をとる』目的とは、生命維持に必要な栄養素を摂取するためである。極論を言えば食物を食べなくても点滴や投薬で事足りる。
 にも係わらず人があえて食材に手を加えて口径摂取する労力を費やすのは、食事という行為そのものに心因的な価値が付加されているからだ。
 それは視覚や嗅覚、味覚から得る直接的な満足を得ることであったり、食す場をコミュニケーションツールとして利用するためであったりと種類はさまざまであるが、要約すると『皆揃って何でも美味しく食べましょう』となる。
 斯様にして食卓を預かる主婦は、少しでも栄養のある物を美味しく食べてもらうため日々努力している。その苦労を食べる側も理解せねばなるまい。よって。

 「…………」
 「…………」
 
 フォークとナイフを握ったまま、赤い二対の目がテーブルの上の皿を見た。
 殆ど片付いた夕飯の席、サラダ用の大皿に乗った、あと二欠片を食せば今夜も完食―――和やかであったかは微妙に疑問な食卓も、平穏無事に「ご馳走様でした」と閉められる。
 その皿の上に乗る物体は、二人にとって久々に目にする物体だ。

 ずっと食事には自由を言える立場だったので、作り手に使うなと言葉と腕力で指示してすっかり世界から抹消していた物体―――魚の形をしていない、魚。

 赤と白の二次加工品からは心なしか海の香りがしてくるような気がして、それが余計気持ちを萎えさせた。
 若干皿から距離をとるように引いた顔が、自然はす向かいに向く。
 眉間に皺を二三本、きっと鏡に映しても同じ絵が映るだろう顔と目を合わせれば、向こうの心情はありありと伝わってくる。普段なら冷笑の一つでも浴びせるところなのだが、現在心まで鏡写しである身にその余裕はない。
 相手に聞こえない程度、本当に小さく漏らした溜息―――同時に吐かれたそれは相乗効果で音を増し、両者の耳へと届いてしまった―――にもう一本皺を増やしながら、無意識に振った首が揃って台所へ向いた。

 壁の向こうから聞こえる、上機嫌な鼻歌。
 食後のお茶を準備しに行ったプーチンはきっと、帰ってきた時にはもうテーブルの皿全てが片付いていると思っているのだろう。

 どんな料理を出してもどれだけの量を用意しても、いつも空になる皿に作り手である彼は大変喜ぶ。最近はそれに合わせるように料理の腕も磨きをかけており、食べる側のキレネンコとキルネンコも悪くない事だと思っている。毒薬でも飲める体だが、味覚が鈍重なわけではない。
 口では特に感想を述べないまま、もっもっもっ、と頬張る―――ニコニコと笑顔を浮かべて緑の瞳が眺めるその口元を止めて、赤い瞳が再度皿を見た。
 目を逸らしている間に食材がなくなっている、という事は当然だがない。
 緑の葉っぱも嫌わずもしゃもしゃ食べた皿へ、相変わらず鎮座している二切れのカマボコに二人の手がどちらからともなく動いた。


 ―――すっ。

 どうぞ召し上がってください。
 
 ―――すっ。
 
  いえいえ、そちらこそ遠慮せずご賞味なさい。

 ―――すっ。

 お構いなく、食べて下さって結構ですから。

 ―――すっ。

 そうおっしゃらず、ぱくっと一口でどうぞ。

 ―――すっ。

 ……いいから黙って食え。

 ―――すっ。

 ……お前がな。


 「…………」
 「…………」

 テーブルの上を行ったり来たりしていた皿が、真ん中で止まった。押してもガチリ動かなくなった皿の端を、それでもどちらも離さない。
 苦虫を噛んだように顰められた顔が向かいの顔を睨んだ。

 「さっさと片せ」
 「煩い。言った奴がやれ」

 グググッ、と。左右から圧力を加えられる皿は、いつパリンッと割れてもおかしくない。低い声のやり取りを交わす中、出来るなら皿ではなく向かいの喉仏を押したい、と互いを睨む赤眼が訴えている。
 本来なら心の篭った手料理を食べて幸福感に満ちる瞬間だというのに、食べ残った物体と向き合う相手とでぶち壊しになってしまった。
 しかし、このまま皿が片付かなければ、余計後味が悪くなる―――殺気立った鋭い目より、憂いを帯びて伏せられる丸い目の方が何故か身に刺さる。丈夫な胃が消化不良を起こしてしまう事態は、やはり回避したい。
 台所からはほのかにお茶の香りが漂ってくる。プーチンがテーブルに戻ってくるまで、時間はあまり残っていない。これ以上の持久戦は不可能だ。


 四の五の言わず、腹を括るしかない―――


 決心を固める呼吸を、一つ。

 ギュッ、と力を増して握ったフォークが、カマボコへぐさりと突き刺さった。

 

 

 ふんふふん、と鼻歌交じりに三客分のカップを運ぶプーチンは、至ってご機嫌だった。
 元々料理をするのは嫌いではない。食べる事自体も好きなので自作して食べるというサイクルは非常に理に適っているし、自分の食べたい物を食べる事が出来るというのも利点である。
 そんなただの趣味程度だった料理も近頃力を入れて取り組んでいる。自分以外の食べてくれる人が、出来たからだ。
 ちょっと味が濃くなった時や焦がしてしまった時、自分だけなら仕方ないで済ませていたが人の口に入る以上そうはいかない。食べてもらう以上、美味しい物でなければ。
 だが、そのプレッシャーにも似た責任は決して重苦しいものではなく、逆に作る楽しみを増してくれた。

 「美味しい」と直接言葉をくれる事は少ないものの、出した料理は何時も綺麗に平らげてくれる。綺麗に空になった皿を下げる瞬間は、料理人冥利に尽きる。
 時々失敗した時ですら、黙って食べてくれるあの二人は本当に優しい―――もっもっもっ、と規則的に動かされる口を見ていると、次は何を作ろうか、どんな物が喜んでもらえるか、と俄然頑張って料理をする気が起きる。

 なので、ちょっと弾む会話の欠けた、それでも和気藹々とした食卓へ弾む足取りで戻った彼は、ぱちくり目を瞬いた。

 「ほ?」

 若干傾げられた首に、席へついているキレネンコとキルネンコから反応は返らない―――首を後ろへ背けあっている二人に、そんな余裕は、ない。
 赤い瞳を声のする方へと飛ばせば、確実に口元へ突きつけられているフォークが襲撃する。先端に刺さったカマボコは顔を逸らしていても魚臭を伝えてき、胃の中身をせり上げるような不快感を齎す。口の中へ突っ込まれたら確実に吐くだろう。テーブルを汚すようなマネをしては元も子もない。

 だから早く食べろ―――自身の顔は遠くにやりながら、胸倉を掴んだ相手に食品を食べさせようとフォークを押し付けあう鏡映しな光景を見て。
 ぱちぱちっ、と瞬いた緑の瞳は、ああ!と納得したように目を輝かせた。

 「二人とも仲が良いですねー」
 「…………」
 「…………」
 
 にこにこ、と。トレーを持っていなければぽんと手を打ち鳴らしていただろうプーチンのやたら嬉しそうな声に、傷跡走る頬がそれぞれピクリ引きつった。


 ―――一体何を、どこをどう穿って見れば、そう思えるのか。


 詰問したいのは山々だが、口を開ける事の出来ない。
 そんな二人に代わって、食卓を取り巻く殺伐とした空気に気付いていないプーチンはほにゃり頬を緩めた。


 「それって、『あーんv』ってやつですよね?良いなぁ、そういう事兄弟で出来るのって!」


 「…………!」
 「…………!」


 核弾頭、投下。
 辛うじて平和を保っていた食卓を崩壊させたのは、他でもない彼自身だった。
 最も―――それを適切に指摘できる状態の者は、この席にいない。
 
 『あーん』どころか、強く引き結んだ口の向こう。ゾゾゾゾゾッ!と走った寒気が声にならない悲鳴を発せさせた。

 ビシッと全身に浮き出た鳥肌は滅多に立つものではない―――赤い瞳を見開いて硬直している姿を見て尚「素敵だなぁ」と言う相手は、ポロリ手から抜けたフォークを見咎める様子はない。
 床に落ちてしまった嫌いな食べ物は、確かに口にせずに済んだ。フォークを拾い上げ、食器を下げる小さな主夫の機嫌もすこぶる良い。

 が―――カマボコを口にした時以上に猛烈な吐き気に揃って見舞われた二人は、到底食後のお茶を飲める状態ではなかった。


 必要なのは、飲みすぎ食べすぎでなくても効く胃薬―――今日はそんな、サラダ記念日。



―――
 多分、使われていたのはサラダ用カニカマ。
 


 



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2010.07.13
6月分日記再録。