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 満点の空に君の声が 響いてもいいような綺麗な夜

 悲しみが悲しみで終わると疑わぬように 神様は僕に 夢を見させた





ここに居る理由。 …赤+緑





 「ほふー……」

 星空を見るのは、久しぶりだ。

 助手席の窓開けて空仰ぐプーチンの口から、思わず溜息が出た。
 黒々とした闇の中に、ちかちか輝く白い光の粒が浮かぶ。あっちも、こっちも、一面を覆う暗闇を打ち消さんばかりに輝きが溢れている。
 今が夏でよかった。寒い季節だったら車内で野宿するのは勿論のこと、こうしてのんびり星を見上げるような余裕はなかったろう。
 久方ぶりに目にする星空はただただ荘厳で、美しい。ずっと長いこと―――刑務所に入ってから、見る機会がなくなった光景だ。
 

 そこまで考え。ようやく、プーチンは今日自身の出所日であったことを思い出した。

 

 ―――早まったのかな。

 

 そう、思わないこともない。

 あと数時間、大人しく房の中にいればまた堂々と表を歩ける生活が手に入ったのに。
 さほど辛いとは思わなかった囚人生活だったが、3年間の間自由を望まなかったわけではない。
 外出た後待ち受けるのが貧窮した営みであったとしても、寝転ぶことも出来ない、狭い車の座席の上でひざを抱えるようなことはなかったはずだ。
 時折体の向きを変えてやるものの、硬いシートの上座りっぱなしの腰は悲鳴を上げている。起きて捻ればさぞ盛大な音を立てるだろう。
 柔らかなベッドも、温かな食事も、出るも帰るも自由な自分だけの部屋も、消えて。
 代わりに手に入れたのは、脱獄犯という更なる前科。 


 それでも―――あの時は、そうしなければならないと思った。


 頑強なコンクリートの壁へ開いた穴を見て、そこをくぐる背中を見て、どうしても付いて行かなければと思った。
 出所のことも抜け出した後のことも、その瞬間は何一つ浮かばなかった。
 広い背中が遠くなる。揺れる赤い髪が、体温低い手が、届かない場所へ行ってしまう。それだけが、目へと焼きついて。

 何処へ?

 迷いない背は振り返らない。前向く目は自分を捕らえない。

 置いていかないで。

 手を伸ばした。走った。問いかけることは出来なかっただけれど、そのまま横へ滑り込むように乗り込んだ。


 何も言わないまま、ちらりと赤い目が見て。車は、走り出した。


 「…………」

 はぁ、と漏れたため息は、星を見て純粋に感銘を受けていた時とは若干異なった。
 後悔は、していない。ただ、疑問に思うだけだ。


 なぜ、付いてきたのか。

 平穏な人生を捨て、犯罪者の汚名被って、それで尚ここにいる理由はなぜなのか。


 いくら考えようとも、答えは結びつかない。ぐるぐると絡まったまま回り続ける自問は余計に心掻き乱す。
 困惑した、沈んだような表情のプーチンに、腕の中から鳴き声がした。夜の静寂に同化した車内で、その声はよく響く。
 空から視線落としたプーチンは口元に人差し指を立て、そっと二匹をなでた。共に付いて来てくれた心優しい友人たちは振ってきそうな星空よりもさらに近い存在だ。
 夏とはいえ太陽の出ていない夜半は冷える。着の身着のまま出てきたプーチンにとって、膝の上から感じるぬくもりは何物にも変えがたい。
 

 では、一人後部座席に寝転ぶ彼は。一体誰が温めるのだろう。


 ギシッと座席をきしませて、静かに後ろを振り返る。眠っているのかいないのか、背を向けるようにひねられた姿勢ではその様子は窺えない。いびきはおろか、寝息すら立てていないように見える。静か過ぎる眠り方は檻の中の頃と変わらなかった。
 小柄なプーチンですら狭い座席だ、若干広いとはいえ長身の彼がそこに身を納めるのはさぞ負担だろう。同じ快適のなさでも手足伸ばせるスペースあった分だけ監獄のベッドの方がいくらかマシだったのではないかと思う。
 窮屈そうに曲がった背中は特に不平を言わない。が、同時に逃げ出せたことに対する喜びも手にした自由への興奮も示したことはない。星空は勿論、すぐ真横のプーチンに対してすら何ら心情持って見ない。
 色合いに反し情熱に欠ける赤い瞳が唯一反応を示すのは、脱獄理由でもある雑誌を眺めた時だけ。罪を犯してでも手に入れるだけの価値を、そこへ彼は見出しているのだろう。

 ならばなおさら、自分がここにいる理由はあるのか。


 否―――


  ここに、この位置に。自分は居ても、良いのだろうか。
 

 尋ねれば、答えはもらえるのかもしれない。何時ものように沈黙の末短い一言か、もしくは車外へ蹴り出すという直接的行動をもって。
 車に乗せてくれたのが単なる気まぐれであるなら、降ろされることだってありえよう。

 だから、訊かない。

 気になっても、疑問に思っても、プーチンはそのことを尋ねない。
 知らない顔を通して、何処とも知れぬ場所へ向かって走る車に乗る。
 遥か上空で光る星を見上げ、触れること躊躇う相手と微妙な距離を保ったまま、体を丸めて眠る。
 付いていく理由は分からない。付いていった先、どうなるかも分からない。   
 

 

 それでも―――辿り着く先、抱えるこの想いの答えも、ある気がして。

 

 瞬く星が、朧になった。とろり引き込まれる眠りの気配に逆らわず、緩く瞼を閉じる。
 光消えた世界は、不思議と優しい。手元へと当たるまどろみの呼気、背後で身じろぎ一つしない、けれど確かに存在感じさせる気配。車内に溢れる穏やかともいえる空気が、追われている立場すら忘れさせる。
 

 たとえそれが、今夜だけでも。

 安息にはほど遠い、危険と苦難が押し寄せる日々の、今日が始まりだとしても。今は。




 「おやすみなさい―――キレネンコさん」


 
 
 満点の空の下、心安らかな夢を見られるように。




 

 見えざる気持ち、それをと呼ぶのなら。

 



――――――――――



 本当に伝えたい想いだけは うまく伝わらないようにできてた

 そのもどかしさに抱かれぬよう せめて僕は笑ってみせた





そこに居る理由。 …赤+緑←看守





 隣が、五月蝿い。

 背中つけた壁抜けて聞こえてくる嘲笑はひどく耳障りだ。神経を逆なでしてくる野卑な声に一言怒鳴ってやろうと口開け、

 「―――ぃっ、つー……」

 脳天からぶっとい針で串刺しにされたかのような、激痛。思わず顔顰めると益々針は増える。まさに顔面ハリネズミ。そんな状態では威勢のいいことなど言えず、ううともぐうともつかない小さな呻きもらすのが精一杯だった。
 その無様な音聞こえたとでもいうのか、さらに囃し立ててくる連中―――うるせぇ、クズ。何が「ついにお仲間」だ。テメェら犯罪者と一緒にすんな。
 しかし現在、カンシュコフがいるのは檻の中。この世で最も最低な、仕事で面倒見なくてはならない彼が唾棄してやまないクソでゴミでクズな罪人たちと同じ場所だった。

 まさか、本当にこっち側へ入る日が来るなんてな―――

 常日頃から扉一枚挟んだ囚人と自分、どちらが収容されているのか分からないと思っていたが。自虐でもなんでもなく、真実になった。
 見上げる天井は電球一つなく、従って夜半の今視界は暗い。それがかえって助かった。錆びた配水管がむき出しの、くもの巣何重にも張った灰色の天井なんぞ見たくもない。
 構造自体良く知っている房は大変狭く、腕を水平に伸ばしたら壁端へ両手ついてしまう。勿論そんな場所では足もろくに伸ばせず、ボロボロになった体を休ませることもできない。むき出しのコンクリートの上で膝抱える姿はさぞや惨めに違いない。
 だとしても、今のカンシュコフにとっては自分の姿などどうでも良かった。
 壁の向こうで囚人達が嘲っていようが、同僚達が呆れていようが、しこたま顔を殴った上で囚人用の懲罰房へ放り込んでくれた上司が怒り狂っていようが。どうでも、良い。
 憤怒も悲哀も悔恨も自嘲も。感情と呼べるもの、全てが沸いてこない。捉える点などどこにもない、闇と同化した床を見つめるその脳裏で思うことは、ただ一つ。


 どうして―――


 おかしいだろ、と一番に思った。なんで、と。

 ほんの数時間前、挨拶を交わしたばかりだった。
 365日を掛ける事の3回、毎朝必ず寄越してきた、朝の挨拶。
 こちらがどれだけ不機嫌な顔見せても返事を返してやらなくても毎度変わることのなかった、鬱陶しいくらいの笑顔と「おはようございます!」の一言―――そしてその後続けた、「お世話になりました」の、別れの挨拶。
 最初の挨拶に比べると幾分表情と音量控えた模範囚の周りには複雑ともいえる空気が渦巻いていた。
 漸く外へ戻れることに対する無類の喜悦と、仮住まいの場所後にする寂寥。
 普通なら前者しか感じないだろうところ、出所する担当囚人の眉下げた顔見て、本当に変な奴だと思った。
 まともに人間扱いされなかった、環境としてはこれより下は存在しない牢獄暮らしだったというのに何を寂しく思うのか。意思も自由も頑強な壁と共に封じられた、何もないこの場所のどこに思い残すことがあるのか。
 無辜でありながら受けた3年間の罪科は、日向の下生きるのが当然の身にとって不幸でしかなかっただろうに。

 「嫌なことばっかりじゃありませんでしたよ?」
 「うそつけ」
 「本当ですよぉー」

 扉の向こう、「だって、色んな人と会えましたし」と続けた口元が、再び朗らかに綻んだ。


 「カンシュコフさんとも」


 思いがけず名前呼んだ、穏やかな響きと向けられる微笑に。一瞬胸の内掻き乱された気がして、覗き窓の目を慌てて外へと逸らした。
 高々囚人相手に何をやってるんだ。そう自身を密かに罵ってみたが、その理由を本当のところは知っていた。

 ここ数日、ずっと落ち着かなかった自身の気持ち。

 今朝扉の前立つ瞬間まで感じていた、息苦しさ。

 ともすれば重くなりがちだった足を引き摺って廊下を歩く、その短くも長い時間の間には、すでに。知っていたのだ。

 


 だからそれをおくびにも出さず、「もう悪さはするなよ」と皮肉をくれてやって、手続きをするために扉の前を離れた。

 


 それが。

 


 鳴り響くサイレン―――耳劈く警報に混じって溢れる怒号、野次、銃声。

 声潜るように駆けて戻ってみれば、もぬけの殻になった担当房の丁度中央部、分厚い壁にぶち抜かれた大きな穴。

 唖然として見た塀の、さらに穴空いたその向こう。

 

 なんで―――

 

 疑問ぶつけたのは、飛来する銃弾の的となる車の、運転席へ座る方ではない。
 縫合痕残る人相も含めて凶悪な、刑務所で極刑待つだけしか赦されていない赤髪の死刑囚へは目も行かなかった。
 構えた銃の引き金ひくことも出来ず、硬直したままの視界の先。門ではない場所から出て行く、背丈低い後姿。
 ちょんまげ頭庇いながら必死に走っているその体が振り返った瞬間―――確かに目が合った。

 真ん丸に開かれている、あの緑の瞳と。

 


 なんで、お前そこにいるんだよ。

 


 問いかける言葉なく、呆けている目の前で、助手席埋めた車はあっという間に逃走していった。

 


 


 それから後の事を、カンシュコフはあまり知らない。
 事後対応に追われる同僚達を尻目に彼は一人、上司直々の懲罰を受けていたからだ。
 担当囚人による脱獄を許したのだから叱責を受けるのは当然である。手続きで現場を離れていたからというあまっちょろい言い訳は通じはしない。
 おまけに逃げた二人のうち、片方は今世紀始まって以来至上最悪ともいえる凶悪犯なのだから事態はさらに深刻―――つまり、顔赤くして激昂している上司は丸つぶれになった面目に大層お怒りだった。クソでゴミでクズな罪人預かる場所でも上に付けば辞めたいと思わないらしい。赤い顔色の裏側が青くなっているのだと思うとなんだか滑稽で、笑えた。ら、もう一発殴られた。
 鏡をみてはいないが、中々酷い様相になっているはずだ。だが、それでもまだ温い。逃亡者である死刑囚の殴り方はもっと過激で、容赦なかった。

 その度に、アイツは「大丈夫か」って聞いてきたんだよな―――大きな目を困ったように瞬かせて、扉の前でオロオロしてみせる風変わりな囚人。奇特ともいえるその姿も今や記憶の中残っているだけ。
 

 どこへ行ったのか―――どこへ、行くのか。
 

 逃げ出したのが本人の意思によるものかどうかも不明だ。出所日当日にわざわざ脱獄の罪被るなど、一体どんな馬鹿だ―――ただ仮にそうだとしても、指名手配書回ることは免れない。早晩民警の手によって縄打たれ、再びこの檻の中へと舞い戻ってくる。
 陰気で日の当たらない、不似合いな場所へ戻ってきた、その時。果たして、あの笑顔は消えずにあるのか。

 「…………」

 嘆息一つ吐き出す。それだけだけで、ズキンと突き抜ける痛み走る。殴打によって切れた口内の傷も一向に塞がらず、舌上へとめどなく広がってくる血液の鉄臭い味が不快で唾と一緒に床へ吐き出した。
 へばりついた血の色さえ見えない暗闇の中で、それでも瞼を下ろす気にはならない。どうせ今夜は眠れやしない。体の痛みと、その奥の軋み抱えて朝日が昇るのを只管待つだけ。
 その後現れた日輪のように自分へ陽光が与えられるとは思っていない。
 厳罰でも免職でも告げるが良い―――どうせこの生にだって、意味などない。
 この上なくスペクタクルな一日は、カンシュコフへ人生の無味を悟らせるに十分だった。
 長い夜を少しでも楽に過ごすべく、首を壁へと持たれかける。と、その拍子に唯一視界開かせる換気窓が目に入った。
 四角く刳り貫かれた、鉄格子つきの窓の向こうに広がる闇夜。房の暗さと変わらない漆黒の中で、けれど白く浮く点がある。

 あれは―――弱々しく、今にも闇に侵されてしまいそうなあの光は。星、か。

 額のような、ほんの小さな枠の中に納まる粒はたった一つきり。鉄柵抜けた先では無限の輝きが広がっているなど、到底信じられない。夢や希望を託すにはあまりに儚い光彩。
 この風景をずっと見ていながら、あの瞳は光失うことなかった。もう一度満天の空を仰ぐ日がくるのを疑いもせず、鮮烈なまでに煌く深緑の色で見てきた。
 

 『どうして』の疑問は、消えない。
 

 『なんで』の問いも、失せはしない。

 


 それでも―――何処とは知れぬ場所へと向かった、彼の目にも。





 「なぁ……プーチン、」



 

 あの星は、見えているのだろうか。

 

 

 

 

 忘れ得ぬ想い?それはだろうか。



――――――――――



 ほら 僕が僕から離れてく そんなことさえも忘れたくなる

 「真実とはねそれだけで美しいんだ」 と 言って





ともに居る理由。 …赤+緑





 ―――狭い。


 その一言に尽きる。
 もともと寝ることなど考慮されていない席なのは分かっているが、それにしたって狭い。後部座席のシート全部使っても上半身が余り、組んだ足は落ちかけてしまっている。
 流石は大衆車。昔使用していた車はこんなではなかったはずだが。もう少し車種を考慮すべきだったろうか。
 まあ良い―――思案するより早く、キレネンコは結論出した。
 車を求めたのは寝床にするためではない。走れば、それで良い。ボロ車でも徒歩よりは格段に早いし、楽だ。
 妥協案を推すよう、頭の下敷いていた雑誌を取り出す。
 辺り一体包む宵闇はさほど影響及ばない。静寂も深淵も馴染み深い。昼間の明るさよりむしろ、好ましいくらいだ。
 その夜の大気と同化したように静かだった胸も、開いたページには易々波打った。

 目に飛び込んでくる、艶やかな真紅。
 大輪の華よりも鮮麗な、流れる血脈より鮮烈な、 極彩鮮明な色彩。
 そこに浮かぶ幾多の星の眩いこと―――まるでそれ自体が発光しているかのように、煌き放っている。

 無意識に、口から息が漏れる。人は真に美しいものを目にした時言葉を失くすらしい。ならば、空翔る彗星の形したそれを見てとやかく言うのは無粋だろう。手に入れたい―――純粋な衝動が、全て代弁する。
 勿論、監獄内にあっても手回しは容易だ。小うるさい看守を介すのが少々面倒なものの、それも一発殴れば話は済む。新作のスニーカーであろうと、例外はない。
 それでもあえて自主行動選を択したのは、発売までの期間じっとしていられるほど衝動が弱くなかったのと。


 ―――飽きた。


 そう表すのが一番、適切か。
 要求する物全てが手に入る。生活の瑣事は全てを看させられる。必要最低限の動きさえすれば優雅ともいえる日常を謳歌できる刑務所の、ベルトコンベアーを彷彿させるシステムはそこそこ悪くはなかった。
 時折ローラーの回転方向へ介入する異物―――分厚い壁だろうと聳え立つ塀だろうと阻む効果ないキレネンコにとって、軟弱なそれらは障害と呼ぶにも値しない―――はあったものの、放置するなり蹴り落とすなりすればまたベルトはつつがなく進んだ。
 単純単調、停滞することのない日々。生きてきた中でも一番生温い、ぬるま湯浸かっているような生活をさて何年くらい送ったか。どうでもいいことなので覚えていない。
 そして快適であるというのは同時に冗長でもある。端的に言えば、刺激がない。慢性的な倦怠感は徐々に降り積もり、濁った滓のように蓄積していく。
 退屈は人を殺す―――どこかで聞き覚えのある格言が示すとおり、鬱屈とするのは好みでない。だから、出てきた。―――ら。

 

 「…………」


 珍品光る一面から上げた赤目が自動車のフロントを見た。運転席と助手席、並ぶ二つの座席の片方からひょこんと生えている、薄金色の毛束。
 夜目がきくからかやたらくっきりと見える、麦の穂にも似たそれの正体をキレネンコは知っている。知っているが、しかし。


 …………何故、乗っている?
 

 論点は、そこだ。
 パチパチ瞬く目。そこに差し当たって答えらしいものは見当たらない。視線の先の金糸は車窓から入る夜風に揺れるだけ。シートに隠れてしまっているがその向こう、毛先の持ち主の目が開いていないのは確実だ。
 こじんまりした助手席に座る相手―――檻の中流れるキレネンコのベルトの上に最近紛れ込んできた、異物の一つ。相部屋だった房のスペースの何割かを削り取る、所謂同居者。
 それが、居る。
 気が付いた時には横に乗っていた。声をかけられた覚えもないし、許可した覚えはもっとない。だというのに、一体、何故。

 そもそも、壁の穴から出ずとも出所日ではなかっただろうか。コイツは。

 しかも、日付は確か、今日。

 他人に一切興味ないキレネンコでも、カレンダーに印つけながら横で延々聞かされた同室者の出所日は一応覚えている。あまりにもしつこかったため自分のカレンダーへも早々印つけたくらいだ。騒々しい異物が居なくなる日、と。
 悠々とした監獄暮らしは結局自適な旅へと指針変更したが、いずれにしてもそこに余計な手合いは含まない。一人気ままに、過ごすはずだったのだが。
 スニーカー一色だった脳内から一旦星柄のそれを端に寄せ、考えてみる。

 同乗されたこと自体は大した問題ではない。コンベア操業時同様、蹴り落とせば済む。

 ただ、それで解消するのは状態のみ―――何故、という疑問は晴れない。
 はっきりいって、謎だ。
 薄い靄か霧かに覆われたような、不鮮明な感覚。違和感とも言い換えられるそれを正しく取り除くべく、思惟張り巡らせる。

 推理、考案、思索、沈思。一通り黙考した末。掲げていた腕を、下ろした。

 パタン、と思った以上に音響かせて閉じた雑誌を元の場所へと戻す。入れ替わるようにして上体起こしたキレネンコは、全く反応返さなかった前の席を覗き込んだ。
 軽く首伸ばすだけで狭い空間は越せる。
 ヘッドレストの脇から出した顔へ触れる、ふさふさした毛先。気のせいか、心なし甘い匂いが漂う―――独特の髪型に結わえたその袂、見覚えのある顔が覗いた。
 年不相応というのか、やたら丸い頬した相手は予想通り目を閉じていた。狭苦しい場所に丸めた体はすぽりと納まっている。小さいというのは意外と便利なのかもしれない。
 それにしても。


 ―――静かだ。

 
 いっそ、不思議なほどに。
 眠っているのだから当然といえばそこまでだが、普段あれだけ騒々しいだけに意外だ。部位の中で一番に生まれただろう口も今はすうすうと寝息立てている。見かけによらず図太いのか。否、思い返せばかなり豪胆な性格だった気もする―――房に入ってきた当初から恐れる様子なく、平然と自分に声かけてきたところとか。
 やはり図太いからか、見ていても一向に瞼開く気配はない。
 深緑の、身体割合からすれば比率大きすぎな―――星でも埋め込んでいるのかと時折いぶかしんだ、光多い瞳。


 ……あの目を、見れば。


 真っ直ぐと、正面から自分見てきたあの目を見れば。ひょっとしたら、この不可解な謎も解けるのではないか。


 理論的とは言いがたい。だが、理屈では答えが出てこなかった。頭で導き出せないなら、勘に従うまで―――割合外れることのないそれが、命令を飛ばす。
 自身の奥深くが指示出すとおり、キレネンコは顔近づける。
 鼻先くすぐる匂いを、柔らかく弧を描く輪郭を、より強く認識する。風受けて揺れていた髪と同じ、薄金色の睫毛縁取る目元―――薄く開いた唇から漏れる吐息が当たる距離来て尚、描く色は現れない。
 もう少しか。さらに身を乗り出し、首をギリギリ一杯まで伸ばしてほぼ真向かいへと顔持っていき、


 「―――っぷし!」


 瞬時に退けた。


 「…………」

 飛来した飛沫を難なくやり過ごしたキレネンコは、無言のまま指を伸ばした。
 元凶たる鼻をぎゅっ。と若干、強めに摘む。今度はくしゃみの代わりに「むぎー」と意味不明の言葉が流れたが、気にしない。このまま捥ぎ取ってしまっても構わない―――衛生上、ああいうのは許容できない。
 動物二匹抱き込んでおいてまだ寒いとでもいうのか。だったら最初から窓を全開にするな。
 一瞬それこそ車窓から蹴りだしてやろうかと思い至り―――


 …………面倒だ。


 全く、そのとおり。
 いちいち足上げるのが面倒くさい。狭い車内、寝ているチビとは異なりこちらは四肢を伸ばすのに難儀する。
 短く息を一つ―――最早疑問も謎も、どうでもいい。どれだけ顔近づけても、頬引っ張ってもきっと眼下の目は開かない―――現に抓ってやった鼻先が赤くなっていてもむにゃむにゃ寝言零しただけだ―――のに、費やす労力が惜しい。
 再び座席へ寝転び、雑誌広げる。それだけで鼓動は正確に4拍子を刻み始める。
 現れた星雲に対し、急速に薄れる同室者の―――今は同乗者となっている相手の面影。
 ゆっくりと動き出した景色の中でちらつく、この想いが何なのか。


 今はまだ、辿り着けない。

 

 

 

遠浅の場で思うもの。それはなのです。

 


 

 


全てはいつか繋がる、揺らぐことトレモロ ない想い。


 



――――――――――
2010.09.26
作中共通でRADWIMPS『トレモロ』使用。