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Love & Piece ! …赤×緑


 『買い物に行ってきます。おやつに食べてください。』


 「…………」

 書置きに目にして若干眉が寄ったのは、単にキレネンコの予想が空振りに終わったからに過ぎない。
 期待していた同居人の声がなく、簡素な紙切れ一枚で片付けられたことに対する些細な不満。望みと異なる結果が気に入らないのは誰でもある話だ。置いてけぼりを食らったことに、本気で怒っているわけではない。

 さて。キレネンコは考え切り替え、改めてテーブルに向き合う。

 目の前には、大皿へ乗った丸いパイ。推測するにアップルパイに違いない。秋といえばリンゴ―――と、同居人が言っていた。適度な甘みと酸味がある赤い実は、キレネンコも嫌いでない。
 作ったばかりらしいパイはまだ白い湯気が昇っていて、嗅覚を甘く誘惑する。リンゴと、砂糖と、バターと、他何か。女が撒き散らす馥郁とした香水よりも、こちらの方が指動かす力は強い。
 サッとキレネンコは時計を確認する―――時刻は三時前。が、『食べてください』とあるのだから、食べてよし。
 よし。元より止めるつもりのなかった手を切れ込み入ったパイへ伸ばす。フォークや取り皿は見当たらないので省く。指が汚れることなど、獲物を前にすれば瑣事だ。
 摘み上げた一切れを口に押し込む。躊躇は無い。躊躇う必要もない。無言で顎動かした彼は、頷いた―――美味い。

 軽い触感残して砕けるパイ生地は焼き立てなのもあってか香ばしく、濃厚なバターの風味が口一杯に広がってくる。
 そしてその下、主役ともいえるフィリングのリンゴ煮。シナモンきかせたそれも、大変良い出来である。
 いかにも手作りといった感じの、ごろり大振りなリンゴを思い切って噛み砕くと、果実本来の持つ酸味と歯ざわりが堪能できる。あふれ出てくる果汁を受けてサクサクだった生地がしっとりと混じり合っていくのもまた美味だ。
 作り手の好みか、全体的な味としては少し甘めかもしれない。しかし甘党のキレネンコにとってはむしろ歓迎すべきことである。嚥下する瞬間まで味わい深い糧食に文句連ねる道理はない。

 美味いものは、美味い。それ以外言いようがない。

 秀逸の逸品へひとしきり賛辞送り、次の一切れを掴む。零れ落ちそうになるリンゴを先に一口、それから可能なまで大きく口開けてパイへ齧りつく。サクリ歯を受け止める塊、トロリ舌上に流れる蜜の甘さ。実に絶妙。正に極上。これならいくらでも食べられる。
 頬張るたび、訪れる至福―――眉間に浮かんでいたはずの皺は、いつの間にか消えていた。
 しかし不思議なものだ、とキレネンコは思う。頬袋に詰め込んだ物体のこの美味さは、一体どこから来るのだろう。飾り気も何もない、純朴な菓子だというのに。
 材料にそれほどのこだわりがあるわけでもないはず。強いてあげれば使っているリンゴの鮮度が良いくらいか。旬の、真っ赤な色艶の良い実を使えば少しは味に影響あるだろうが、果たしてそれだけだろうか。
 答え探るよう、二個三個とさらに口へ運ぶ。やはり、美味い。キレネンコが探究心を丸めて遥か彼方へ放り捨てるまで、それからコンマ二秒も要さなかった。
 指伸ばし、運び、咀嚼し、飲み込む。無駄な動きは最小に、ぱくぱくと無言で、無心に、ひたすら食べる。
 食せばそれだけ胃袋が膨らむはずなのだが、体内が満ちていく気配はない。欲求自体も同様。美味いな、と思うほどに食指が伸びる。
 最近とみにこういう傾向が強いことはキレネンコ自身自覚がある―――秋だからか。「秋は食が進みますよね!」と、これも同居人の言である。実際来る冬眠に備え、実りの秋になると動物の食欲は増すのだから間違いともいえまい。
 別に雪埋もれる季節来ても眠ることのない、春も夏も冬も関係なしにハングリーであるキレネンコの、パイと口元を切れることなく往復していた手が。唐突に、止まった。 
 何気なく赤い瞳が焦点結んだ先、映る丸い皿。その縁沿うように円描いていたパイの外周が、殆ど消えている。
 もっと適切に表現するなら、一欠けら。何等分かされていたうちの、一切れしか残っていない。

 「…………」
 
 ぺろり指を舐め、キレネンコは考えた。これは、どうすべきか。

 浮かぶのは作り手であり同居人であり現在留守中の恋人の顔―――基本、おやつは折半だ。だが、書置きには『食べてください』とある。何をどこまでどれだけでしか食べてはいけないかは、書いていない。
 皿の上の一切れ。あれもきっと、美味いに違いない。食通で通った舌を唸らせるパイを、無視していいものなのか。表面に塗られたジャムが艶々と光る。そして立ち昇るリンゴの熱く、甘い香り。キレネンコにはそれらが飢えた己を誘うパイの意思表示に感じて他ならない。「早く、私を食べて」と囁く濡れた声まで聞こえてくる。ここで手を引くのは男として、いや人として間違っている。

 ―――たかだか一切れ、残してもしょうがない。

 キレネンコは心を決めた。据え膳になっているパイへ鋭い視線くれる。

 後悔など、あろうはずもない。


 プーチンが苦労しながら玄関の扉開けたのは、三時を示した時計の短針へ長針が重なる頃だった。
 家の中は静かだ。が、これはいつものこと。本当を言えば無口な留守番相手の元へ一番に「ただいま!」と駆け寄りたいのだが、とりあえず台所目指す。袋の底が抜けそうなほどの荷物を、まず下ろさねば。
 よたよたとしながら入って直ぐの床へ買ってきた物を投げると、プーチンはホッと息をついた。漸く開放された腕が痺れている。よくここまで無事に帰れたものだとつい自画自賛した。
 少し、買い込みすぎたかも。パンパンに膨らんだ袋は当初の予定ではもう少し小さく、且つ少なかった。だから一人で出かけたのだが。店先を回るうち、だんだんあれもこれもと手を出してしまうのはプーチンの悪い癖でもある。
 見事に食料品ばかりの袋を見下ろし、彼はまぁいっかと得心した。腐らせるわけでもないし。秋はともかく何を食べても美味しい―――皿にこんもり盛った料理を食べる自分と、それ以上の量を渡した皿を綺麗にして無言で突き出す同居人にかかればこんな量なんてことない。
 早速今晩は何を作ろうか。鼻歌交じりに考えつつ、くるりテーブルに向き合う。
 まずは夕飯までの間繋ぎ、おやつのアップルパイを食べよう。そう思ったからだ。

 出来上がったときは、我ながら良い仕上がりだと思った。パイは焦げることなくさっくりと焼け、折り重なった層の隙間がはっきり見える。そして間に挟んだリンゴは旬なだけあって生で食べても十分甘いものを贅沢に何個も使っている。ちゃんと触感残るよう煮込み具合に気をつけたのも功を奏しているはず。
 オーブンから出した瞬間真っ先に食べてしまいたい衝動駆られたのだが、いやいやとプーチンは首を振った。

 おやつは三時に食べるもの。それに同居人と一緒でなくては。作ったからといって、抜け駆けはいけない。

 なので纏わりつく誘惑振り払うよう、買い物へ出た。仮に長引いた時のことを考え、遅くなったら先にどうぞとの意味合い込めた書置き残して。
 少し時間回ってしまったが、まだ十分おやつの時間内である。間に合った。
 ではポットを温め、お茶を用意し、フォークとお皿を出して彼の居るだろうリビングへ運ぼう―――早速二人分のパイの取り分けから始めようとしたプーチンの動きが、ぴたり止まる。

 ―――ない。

 いや、正確にはある。ないことはなくある、けどない。
 一体どっちなんだ、という状況を見つめる、緑の瞳へ映った大皿。パイが丁度邪魔するような形で覆っていたその皿の柄が、見えている。つるりとした陶器の上にはパイ屑も散っておらず、いっそ清清しいほど綺麗だ。
 つまりは、ない。出かける前は円で乗っていたアップルパイが、ない。
 ただ、皿の一角。あらかじめ切れ込み入れておいた円の、一部分。そこだけ、ある。

 ぽつねんと残された一切れ―――他の集団から取り残されたそれはまるで「お前は不味い」と告げられてしまっているかのよう。広い皿の上で寒々しく縮こまっている。

 元々は一つの塊なのだから、そんなはずはない。他のパイが美味しくて―――それこそ、リンゴの欠片すら残さず食べるほど美味しくて―――消えたのに、その一切れだけ外すとは不可解だ。
 なら、単純に容量の問題か。腹一杯になったから一切れだけ残ったということか。妥当ともいえる自身の推理をちょっと違う気がするな、とプーチンは否定した。
 彼は、良く食べる。聞こえは悪いが要は食べ残さないという意味だ。味が気に入ったものなら尚更である。
 瞬く目へと映る、はみ出しものの一切れ。

 この一ピースが示す意味とは―――

 「キレネンコさん、ただいま」

 キュッキュッと音がしそうなほど熱心に靴を磨いていたキレネンコは、一度作業の手を止めた。すっと眇めた瞳の前、手を掲げる―――磨きこんだスニーカーは綺麗好きの彼の目から見ても合格レベルである。
 それはそうだ、かれこれ一時間近く費やしている。普段の時間の、軽く倍。
 リビドー抑制するには、それを上回る欲動を。自分を熟知している彼は台所から出るなり趣味に没頭した。別の物へ心動かすことがないよう、ひたすら手を動かしていた。
 成果顕れて輝き放つ愛好品に魅入っていた目が、ゆっくりと外される。
 無我の極致から帰還させた声。聞けなかったときは機嫌損ねた声音が名前を呼んだ瞬間、キレネンコの脳裏には何パターンかの返事が浮かんだ。

 美味かった、か、今度から幾つまで取り分か書いておけ、か、秋だから、か。

 適切な一言模索する間に顔は相手へと向いてしまう。結局、最終的にキレネンコが選んだのは、無言だった。
 おかえりすら言われなかったというのにプーチンは怒らない。柔らかく笑んだ彼は手にしたお盆示して尋ねた。

 「おやつにしませんか?」
 「…………」

 一瞬、遠まわしに責められているのかと思った。もしくは、新手の嫌味。冗句の可能性もある。
 しかし、それら湧いた憶測が全て外れであり、同時に自身が柄にもなく後ろめたさを感じていたことをキレネンコは目の前に広げられていく品々を見て漸く気が付いた。

 広げられる二枚のナプキン、湯気を立てる二人分のカップ、曇りのない二本のフォークに、それから―――

 コトリ、自分の側へ置かれた小さな皿の上。乗っているアップルパイは、最後に見た大きさよりもっとサイズを縮小している。
 僅か瞠目している赤い瞳に、置いた皿の横へもう一つ同じものを並べながら「きっとね、」とプーチンが笑う。

 

 サクサクの生地のサクが減って、大きかったリンゴは細切れになって、食欲を満たすだけの大きさでなくなった一切れにも満たないパイであったとしても。きっと。

 

 「一緒に食べると、もっと美味しいですよ」

 

 隣に座った同居人のその言葉がやはり的得ていることを、キレネンコは自身の舌で知るのである。



――――――――――



いつかのメリークリスマス …赤×緑


 一度目の冬は、寒かった。

 二度目の冬は、寂しかった。

 そうして迎えた、三度目の冬は―――

 


 「―――あ、雪だぁ」

 ひらり、鉄格子の隙間から入り込んできた結晶を見止める。
 雪が舞う、ということはすなわち外はとても寒く、入り込む、ということは室内の温度は外と変わらない、凍てつく冷気に支配されているということに他ならない。
 それでも、身の回りは温い―――暖房設備の一切を省かれた檻の中であっても、唯一の熱源である体を合わせれば一晩凍えず過ごせる。
 背中を受け止めてくれるキレネンコへ、プーチンもこの時期ばかりは一切の遠慮なくもたれかかる。隙間ができればそれだけお互いが寒いからだ。
 身を寄せ合う、という陰気な言葉が意味する通りの現状を、けれどプーチンは嘆かない。年に一度の聖夜に起きる奇跡がなくても、いいと思う。

 思っているよりここは、過ごしやすい場所だと知ったから。


 マットは堅いけど、ベッドもついてるし、(足を延ばせばぐっすり眠れる)

 ボロボロの囚人服だけど、上下セットで揃えてもらえるし、(サンダルもあるから足の裏冷たくない)

 ご馳走じゃないけど、三食きちんとご飯を食べさせてもらえる。(それに今日は看守さんがケーキを差し入れてくれた!)


 いつもならない皿へ乗った、ケーキの橋っこ―――多分それは祝日の今日もやっぱり休みなしで働く彼の給食へついてたのを、わざわざ残してくれたんだろう―――を房内へ押し込んだ本人の、ブラウンの瞳は結局のぞき窓から見えなかったのだけれど。扉に向かって力いっぱい叫んだお礼の言葉は、ちゃんと伝わったはず。
 貰った小さなケーキは半分にすると本当にたったの一口分の大きさになってしまったけれど、一人で食べるよりずっと胸を膨らませてくれる。ボソボソしたスポンジも、甘さの少ないクリームも、二人向かい合って食べると不思議と美味しく感じる。


 ちかちか光るツリーはないけど、空には星が一杯散らばっているし、(空気が澄んでいるからとくにはっきり見える)

 大きな靴下はないけど、どんな願い事でも叶う夢が見られるし、(身長が天井まで伸びたりとか、あと空だって飛べちゃう)

 サンタのおじさんは来ないけど、傍にはずっと暖めてくれる相手が居る。(そういえば彼の衣装も赤色だ!)


 ならやっぱり、赤い彼には白いひげが必要なのかなぁ。とこっそり思い浮かべてみたプーチンの背へ、のしっと重量がかかる。

 「ふぉっ!お、重い~!」
 「…………」
 「キレネンコさん、重いです重いです潰れるー!」

 逆は容易いが肩幅のあるキレネンコの方が凭れかかってくるのは、体格的にちょっと、かなり、きついものがある。
 ぐいぐい押されるまま沈む上体にプーチンが手足をばたつかせる。重い、というその言葉がまた心外だったのか益々身を預けてくるキレネンコの下で悲鳴を上げていたプーチンはけれど浮かぶ笑みは崩せずにいた。


 負ぶう体は重いけど、はみ出ない背中はあったかいし、(とくんとくんと心臓の響く音まで聞こえてくる)

 畳まれる体は窮屈だけど、肩から座る膝までくっついていられるし、(降りかかる呼吸さえぴったり近い) 

 後ろの顔は見えないけど、伝わってくる空気はとても柔らかい。(それってきっと、お互い様!)


 乗りかかった体からは余計な力が入っておらず、触れる事を拒む意思見せない。言葉には表さないけれど、全ての信頼を置いてその身を寄せてくれている。


 ―――ここまでくるのに、三年かかった。


 一年目は、初めて経験する冷え込みと配給の遅れでひもじいのとで、一人身を抱えて震え上がっていた。

 二年目は、やっと見てもらえだした顔を覗き込んで祝いの言葉を伝えたら、「くだらない」と目を逸らされた。

 そうして迎えた、三年目。


 少しだけ緩められた圧迫に、また体勢を戻す。やはり被さられるより、小さなプーチンが抱えられているほうがお互いしっくりくる。さしずめ、湯たんぽか。
 体温の高さを遺憾なく発揮しているプーチンは微笑を浮かべたまま、首を後ろに倒した。
 ごく至近距離から、キレネンコの顔を覗き込めばすぐかち合う赤い瞳―――ああ、そうだ。


 プレゼントは貰えないけど、ここには何より、綺麗な宝石がある。(手を伸ばせばいつでも届く、二つの輝石!)


 同じ二つの目で―――翡翠の色した瞳で、外されない双眸を見たプーチンは笑う。

 

 「С Рождеством[メリークリスマス]、キレネンコさん!」
 「……С Рождеством」

 

 三度目を迎えた、二人きりのクリスマス。


 奇跡の起きない聖夜に、心からの祝福を。


――――――――――



世界で一番、 × × × 。 …双子


 人数が増えれば、必然的に意見が割れる。

 それはどの世界においても共通事項。無論、この世界[マフィア]であっても変わらない。


 『―――血統から見ても、正当な継承者は貴方のはず』


 『―――世襲制など最早旧来の考え、流行りはしません』


 私怨、計略、打算、策謀。

 垂れた頭と実情は異なる、見え透いた思惑抱えて狸どもは嘯く。


 『その実力は本物、誰もが承知していること』


 『上へ立つに相応しい資質を、皆が認めている』


 上っ面だけの甘言、空疎なばかりの巧言。

 三流舞台の脚本にも劣る耳障りな美辞麗句。

 それで踊るのは喋る当人だけだというのに、愚かな道化はまだ口ずさむ。


 『弟君に義理立てせずとも、役を負うのは一人で十分なはず』


 『お兄様だからといって遠慮する必要、どこにもないでしょう』


 『貴方こそが、』


 『貴方の方が、』
 

 

 『絶対にして最大、唯一にして無比な存ざ』

 

 「「煩い。」」

 

 何とでも謳えば良い。


 「御託は聞き飽きた」


 どう嘲笑おうが勝手だ。


 「追従に興味はない」

 

 ―――だが。

 


 「「『俺』に仕えるつもりがあるなら、その口を塞いで即失せろ」」

 

 

 それが嫌なら、今しがた讃えたこの手で消してやる。

 

 

 気のない、僅かな一瞥くれる。

 息を飲む気配、それと共に今にも卒倒しそうなほどに引きつった青い顔が目に入る。

 

 ―――この程度のことで、気圧されるのか。

 

 アイツはこんなもの、鼻にもかけない。


 腹立たしいほど生意気な目で、同じようにやる気なく見返すだけ。

 

 それすら出来ない、弱者なら。

 

 
 「「黙って、従え。」」





 『俺達』に。 

 


 *   *    *    

 

 『新作モデル登場!購入するなら、お早めに』


 なお、初回限定版は一足のみの販売となっております。―――ページの隅、こじんまりと書かれた注意書きに。

 「…………」
 「…………」

 ソファに座って雑誌を開く目と、背もたれの後ろから覗き込む目と、二対の赤眼が瞬く。
 視線は正面そのままに、どちらからともなく手を伸ばす―――ゴリッ、と側頭部に当たった銃口の感触はさほど驚くものではない。

 
 先に、撃ち抜けば良いだけの話。

 
 とりあえず目先の邪魔者を消すべく、二丁の銃身は揃って火を噴く。 

 
 

 世界で一番、 × × × 。
          大 嫌 い  。

  

 (―――お前を否定出来ないこの身、何たる悲運!)


*****
×に入るのは勿論『大好き』ではありません。(反転解答)



――――――――――



行く年に思う候。 …赤×緑


 草木も眠る、丑三つ時―――の、それよりも数時間前。灯りを落とした刑務所は、周囲の暗がりに溶け込んでいた。
 一般的には早い時刻ではあるものの、定められた消灯時間である以上守らなくてはならない。今この建物内で動いているとすれば見張りの看守か、脱走を目論む犯罪者かだ。

 ―――その例外として、寝ながらコサックを踊っていたプーチンの目が、不意にパチッと開いた。

 「ほっ!」

 ぱちょんっ!と音を立てて割れた鼻ちょうちんに、ステップが止まる。瞬きする視界の向こう、広がる闇を暫く彼は眺めた。
 目覚めたばかりの頭は、見慣れた房内であってもすぐには慣れない。物音一つしない。しんとした静寂が支配する空間は、自分の知らない世界のようだ。少し、寒い気がする―――コサックのお陰で体温が上がっていても、冬なのだから当たり前だ。壁一枚挟んだ外からは底冷えする冷気が入ってくる。
 今は、冬だ。12月。カレンダーを持っているから知っている。出所日までの日付を数えつつ眺めている、もう残り1枚だけになった今年のカレンダー。
 その最後の欄に、今日は丸を書き込んだ。

 「―――ほっ!!」

 瞬間、緑の瞳が大きく見開く。衝撃の事実に気付いたプーチンは、念のためもう一度全ての思考改め―――今は冬、カレンダーが12月、今日はその最後の日―――自身の考えの正しさを確証づけると、バッ!とベッドから飛び降りた。
 硬いコンクリートの床へ着地した足がじんわり痺れるが、構わずに踏み込む。急げ、間に合わない。両手を振って大急ぎに駆ける。猛然と全速力で、距離にして大体3歩程度の区間を詰めたプーチンは、終着地点である隣のベッドへ勢い良く飛び乗った。
 毎度のことながらこっちのマットは自分のものより柔らかい気がする、と頭の片隅で思いつつ、そこへ眠る相手を彼は掴んだ。

 「キレネンコさんっ!」
 「……」

 毛布を被った肩をゆさゆさっ、と揺する。ちょっと強めの方が低血圧な相手には効くかと思ったし、何より、緊急事態だ。起きてもらわなければ。
 しかし、プーチンがどんなに懸命に両手で押しても、はみ出している赤髪が持ち上がる気配はない。

 「ねぇ、キレネンコさんっ!起きてくださいっ!」
 「……」
 「キレネンコさんキレネンコさーん!起きて~っ!!」
 「……」
 「起きてキレネンコさん起きて起きて起きてってばおき」
 「煩い」
 「むほぉわっ!」

 ぼふんっ。
 顔面を打つ衝撃に、思わず手を放してしまう。目の前に、お星様が。マット同様綿が一杯に詰まった枕から浴びせられた会心の一撃は、寝ぼけてベッドから転がり落ちた時の衝撃に匹敵する。あの時は、確か首がムチウチになりかけた。
 そのまま遠くなりそうな意識をなんとか呼び止める。正した焦点の先では、ほんの僅か捻っただけだった体が再びマットへ横たえられようとしていた。今しがた鼻を折りかけた枕へ埋まろうとする頭を、プーチンは必死に取り縋る。

 「キレネンコさん待って、寝ないで!」
 「……」
 「寝ないでーっ!!!」

 寝言一つ零さない、そんな相手から伸びた髪を引っ張る。ブチブチッと何本か切れる手ごたえがあったが、ここで離したら負けである。後には引けない、と珍しく譲らない姿勢を見せたプーチンは、長い赤髪を手繰りよすようぐいぐい引っ張る。加えて「起きて起きて!」と耳元で、より大きな声を持って繰り返す。傷跡残る頬を、ぺちぺちと往復ビンタする。鼻を摘む。
 ―――等々、重ねる努力が報われたのは、割と間を置かずにだった。


 「…………なんだ」

 のそりと緩慢な仕草で半身を起こしたキレネンコは、閉じたままだった瞼を漸く開いた。
 暗闇の中浮かぶ、紅。
 剣呑さに光るその色はさながら鬼火のようで、地を這う低い声音と合わせて周囲の空気を一層凍りつかせるものにしている。刑務所に入れられて然るべきと、誰もが判じざるを得ない存在―――半眼の瞳から向けられる眼光は、それだけで人を殺せる。
 おまけに、眠っているところを叩き起こされた彼の機嫌は大層下がっている。基本キレネンコは就寝の時間がくれば即寝て(勿論睡眠より優先したいことがあれば周囲に一切灯りがなかろうとそちらを遂行するが)日が昇るまでの間目覚めない。怒りの沸点の低い彼の数少ない平穏な時間、そこへかけられた突然の奇襲。不快にだってなろう。
 不機嫌さ顕な視線が、容赦なくプーチンへ―――起き掛けに食らわせたチョップで悶絶している頭部へ―――と突き刺さった。
 ちょんまげ頭を押さえてべそべそしていた彼は、「……何か用か」という一言に跳ねるように顔を上げる。
 意外と、頑丈なヤツだ。結構加減せず叩いたのに―――キレネンコが再認識する中、さっきまでのいざこざがまるでなかったかのようにけろりとした顔をプーチンが向けた。

 「そ、そうだっ!寝たらダメですよキレネンコさん!」
 「……なんで」
 「なんで、って当たり前じゃないですかー!だって、今日は特別ですもん!」
 「…………」
 「僕も毎年この日は寝ずに頑張るんですよ~。あ、ところで今何時で―――だから寝ちゃダメですってっ!」

 半分以上覚醒していないキレネンコの頭は言われる言葉の大半を通り過ぎさせる。特別って、何が。頑張るって、何を。第一、時計のない房で何時か聞かれても答えようがない。
 うつらうつらと船をこぐ肩を、プーチンの小さな手ががくがく揺する。随分必死な様子だが、安眠を妨害してまで要する『何か』がキレネンコには思い浮かばない。とりあえずあと5秒だけ、と辛うじて薄く開いている赤眼に、プーチンは慌てて口を開く。

 「えっと、時間良く分かんないけどいいや!それじゃ、5―――4―――」
 「……?」

 突然始まった、カウントダウン。閉じかけている目から送られる不思議そうな視線も気付かないまま、秒は読まれる。
 カチリ、カチリ。静かな部屋へ響くその声は、見えない針に重なるように進み―――

 「2―――1―――С Новым годом[あけましておめでとう]!」

 

 ゴーーーン……!

 

 どこかで、鐘が鳴った。


 ―――と、プーチンだけが想像した音の聞こえないキレネンコは、相も変わらずなぼんやりした表情を浮かべる。「わーいわーい!」と大はしゃぎするプーチンを見て、寝るタイミングを逃してしまった彼は首を傾げた。

 「……で?」
 「はい?」
 「なんで、起きてないといけない?」

 さっぱり分からない。といった感じの顔を前に、プーチンはまたしても「当たり前じゃないですかー!」と繰り返した。

 「だって、今日―――ああ、もう昨日かな多分、は大晦日じゃないですか!」

 「皆、寝ずに迎えるでしょ?」という言葉は、概ねその通りだ―――大晦日の晩ともなると家族や友人で集まって家でわいわいやるか、もしくは花火を打ち上げる赤の広場まで赴き、クラッカーとシャンパンを手に騒ぎ立てるか。いづれも、大体の国民が年を跨ぐこの瞬間だけは外せないと目を爛々にしている。
 時計や広場の鐘が12時を告げた途端、あとはお祭り騒ぎなのは恒例のこと。新年最初の朝日が昇るまで、延々飲み食べ歌い続ける。
 その感性自体、キレネンコにはよく分からないのだが。高々西暦が一つ増えるだけなのに、何が面白いのか。
 むしろ刑務所へ入ってから祝いも何もせずに静かに過ぎていった、ここ数年の方が性にあっていた。肉も酒もないが、楽で良い。

 だがそれもどうやら今年―――いや、この場合は先ほど言われたように昨年になるのだろうきっと―――までらしい、とキレネンコの起きている片側の脳は、勘に近い判断を下す。

 恐らく、それは正しい。何故ならそろそろ寝に戻っても良いだろうかとまどろみかける意識を、小さな手は掴んだ腕ごと離そうとしないからだ。

 「ねー、新年ですよキレネンコさん!今年も宜しくお願いしますねっ!」
 「…………」
 「まだ寝ちゃダメですよー。初日の出、見ないと!」
 「…………」
 「そうだっ!眠いなら歌とか歌っちゃいましょうか!あと寒いし、コサックとか?むほっ、朝まで耐久コサックなんて僕初めてですよ~っ!よーし、がんば」
 「うるせぇぞ、お前ら!大人しく寝てろっ!!」
 「あ、看守さーん!明けましておめでとうございます~」
 「明けまして、じゃねぇ!こっちは寝たくても起きてなきゃなんねぇんだよ!」
 「…………」
 「キレネンコさん起きてー!」

 ぺちぺち頬を叩く音と、扉の前で怒鳴る声と、ほんの少しばかり立てられる寝息とが交錯する、明るさなどどこにもない監獄を新年の朝日が照らし出す頃。


 「むにゃー……ごちそう、いっぱいー……」
 「…………」

 まぁ―――年に一度くらいなら。

 付き合ってやらない事もない、と。コサックを踊りながら結局日の出より前に眠りについたプーチンを抱えて、珍しく陽光を浴びたキレネンコは思うのだった。

 

 毎年、お前が居るなら。

 悪くは、ない。



*****
 姫初めのお誘いじゃなかったことにボスががっくりしているわけじゃ、ないんだからねっ!(何)


 
――――――――――
2011.01.01
日記12月分再録。