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ママレード・ボーイ …赤×緑

 楽しみを取り上げられた刑務所暮らしで、囚人が一番心待ちにしているのはやはり食事の時間である。
 与えられる食料は大変粗末ではあれど、空腹を満たす瞬間の喜びに勝るものはない。その例に漏れず今日も両手を挙げて皿を取りに行ったプーチンは、けれど少しばかりテンションを下げて戻った。
 自分のベッドから起き上がりもせず雑誌を読んでいたキレネンコは、その事を目ざとく発見する。頼まずとも人の良い同居人が配膳してくれる皿―――本日のメニューは、カチカチに乾燥した小さな黒パンと、スプーン一杯のオレンジ色のジャムだった。

 「僕、ママレードってちょっと苦手で……」

 問いかける赤い瞳に、プーチンが少し恥ずかしそうにはにかむ。
 血糖値を急上昇させる甘いのジャムの中で、柑橘類の皮を煮込んだママレードは独特の苦味を持つ。ピールの持つその苦味が美味と評されるのだが、どうもプーチンの舌には馴染まない。
 苦いや辛いより、身も心も蕩けるほどに甘いほうが美味しい―――見た目以上にお子様な味覚の相手に、瞬き一つしたキレネンコは皿を手に立ち上がり、


 ガンガンガンッ。


 「なんだよ、死刑囚―――ああ?メシを交換しろ?ケッ、犯罪者のくせに何寝ぼけたこごぶはっ!!!!」
 「…………」
 「むほぉっ!?キ、キレネンコさん、待ってください!看守さんの口から泡が!!」

 覗いたカンシュコフの顔に一発拳を浴びせ、ついでにきゅっ。と吊るし上げるキレネンコへプーチンが慌てて取りすがる。吊るす手と反対の手が『この皿が目に入らないのか』と交換求める皿を突きつけているが、白目剥いた相手に見えるはずがない。
 好みはあっても、別にママレードが食べられないわけではない。下手に暴れて彼が懲罰されてしまったりしては困る―――あと、不当要求をつぱねったばかりに締め上げられている担当看守が鬼籍の人となるのも、非常に困る。
 プーチンの必死の訴えが伝わったのか、漸くキレネンコは手を下ろした。ぽいっと無造作に投げ捨てられたカンシュコフが床に衝突する音が聞こえるが、扉の向こうなのでどうしようもない。無事医務室へ運ばれるのを祈るのみだ。
 気の毒な看守に心の中で小さく十字を切ったプーチンは、改めて同居人へと向き直った。

 「ありがとうございます、キレネンコさん」

 皿抱える相手から返事はない。けれど、もそもそ食事摂る彼は不得手な魚が出された時ほど今日の献立に立腹していないはずだ。
 やり方は荒いものの、紛れもなく自分のために掛け合ってくれた。その事に対して、プーチンの胸がほわり暖かくなる。

 本当は優しい人だから―――知り合ってからもうすぐ三年。寡黙で喜怒哀楽の怒以外滅多に感情を表さない相手の、見えない部分も分かってきた。
 それを裏付けるよう、皿を持ったプーチンが自分のベッドではなく隣へ腰を下ろしても鉄拳は降ってこない。

 「いただきます」と質素な食事に対しても丁寧に手を合わせる。千切ったパンにたった一掬いのママレードをつけて顔へ運ぶと、陰鬱な刑務所にはそぐわない、爽やかなオレンジの匂いが鼻先をついた。
 味はさておき、さんさんと注ぐ日差しを受けた果実の匂いはとても良いと思う。太陽と風の混じる、夏の匂い。丁度今、外の世界はそんな匂いが溢れているはずだ。
 すっきりとした香りに誘われるよう、ぱくり頬張る。途端口内へと広がるジャムの甘酸っぱさ―――そして、それより際立つ苦味。
 一瞬嗅覚に騙されていたプーチンは、思わず苦笑した。

 「ジャムは、自分で作ると好きな甘さに出来て良いんですよ」

 これはもう少し、砂糖を入れた方が良いかも。材料費の削減か、甘さもかなり控えめだ。

 固いパンを苦労して咀嚼しながら傍らのキレネンコへ話しかける。もうとっくの昔に皿を空けた彼は食べるのが遅いプーチンを追い払おうとはしない。
 黙って振られる他愛ない話に耳を傾け、光少ない赤眼を静かに向ける。無表情の相手が見せるそれらの仕草は、やはり優しいとプーチンは思う。
 手が触れられる位置から与えられる、不器用な、彼の温かい優しさが。とても幸せで―――同時に少し、哀しい。

 「……もうすぐ、夏も終わりですね」

 無意識に目をやった先。壁にかかるカレンダーの、丸い印で囲んだ日付まで。もうあと、幾許か。

 遠くに聞こえる、蜩の声。オレンジ香る季節の終わり。

 ずっと待ち望んでいた出所日の、それから後―――こうして二人並んで食事する事も、話をする事も。永久に、出来なくなる。


 ぐっと噛んだ口内に苦い味が増す。
 だんだんしょっぱいものに変わっていくその味は、ジャムに入れる砂糖と塩を間違えたかのようで。パタパタと落ちる雫を受けてパンは柔らかくなるが、食べる手は完全に止まってしまった。
 俯いた顔へ、そっと手が触れた。益々塩辛さを増す口を無理矢理開き、見下ろす目にプーチンは微笑む。ぼやける視界を誤魔化すように、目を細くして。

 「僕ね……ジャム作るの、得意なんですよ」

 料理をすることと、工具を扱うことくらいしか取り柄はない。テンポがずれていてよく人を怒らせてしまう自分を、それでも冷たい檻の中、彼は受け入れてくれた。
 何時だって、静かな赤い瞳で、見守ってくれた。

 再びこの赤い瞳と向き合う時は、分厚いガラスを挟んでの再会となるだろう。隔てる壁は強固で、どれだけ涙を零そうと大きな手で拭ってくれることはない。

 「キレネンコさんは、甘いものも好きでしたよね」
 「……プーチン」
 「ママレードは、作ったことがないんですけど―――頑張って、美味しいの、作りますから……だから」

 もういい、と言うキレネンコの声が、よく聞こえない。耳へ届くしゃくりあげているような、嗚咽発する自身の口が塞がれるまで。プーチンは、一人檻へと残る彼へ約束する。


 ―――時が流れた先、二つの運命が数奇に交錯する事は未だ誰も知らない。

 今は、ただ。重ねたオレンジの味が消えてしまう、別離の未来が哀しくて。


 「……逢いに、来ますから」


 触れる唇は甘く。

 別れの約束は、ほろ苦い。



 ―――ねぇ、この壁を打ち壊して。



――――――――――



ストロベリー・フィールズ 看守…×緑

 その日、カンシュコフは大変ご機嫌だった。
 仕事は相変わらず重労働で給料は薄給。囚人共の相手は反吐が出るし、ストレスのため胃薬が手放せない。それでも担当房に向かうその足取りは軽い。何故か?
 答えは、彼が抱える籠にあった。
 鼻先に甘い匂いを振り撒く、ころり小さな赤い果実―――瑞々しいイチゴは、雪国の長い冬の終わりと春の到来を告げている。その赤い実を運ぶカンシュコフ自身、今春の真っ只中だった。
 職務上行う配給とは別の、特別な差し入れ。渡すのは勿論、担当する囚人へ、である。

 「果物って美味しいですよね!僕は特に、イチゴが大好きなんです」と笑ったのは何時だったか。真冬の曇り空よりも陰鬱な監獄に差し込む柔らかな陽春は目に眩しく、思わず「俺はお前が大好きだよ」と言いそうに―――ああいやそうじゃない。
 望んでいるものとは甚だ違う干からびた果実を食べるいじましい姿に、何が何でも新鮮な、真っ赤な実を食わせてやろうと決意して暫く。激務の間をぬい滅多に行かない市場にまで足を向けて、漸く手に入れた春の代名詞は宝飾店に並ぶルビーよりも色濃く鮮やかだ。

 「つくづく欲のない奴だよな」

 色気より食い気。童顔の見た目通り子供な相手の、そんなところも気に入っているのだけれど。
 きっとこのイチゴを見たら、また子供のように目を輝かせるだろう。よく響く明るい声で「ありがとうございます!」と臆面なく言って、覗き窓からフレームアウトするほどの満面の笑顔を扉へ向けるはずだ。
 花咲く微笑みを独占した自分は、きっとこう言うだろう。



 「気にすんな。大したもんじゃないし」
 「ううん、すごく嬉しいです!本当にありがとうございますっ!」
 「分かった分かった。良いから、早く食えよ」
 「はいっ!あ―――でも、全部貰ったらやっぱり悪いですし……カンシュコフさんも、食べましょう?」
 「俺はいいって」

 何を遠慮してるんだか―――扉の向こうの底抜けのお人よしに、カンシュコフは苦笑する。
 檻の外に居るカンシュコフはイチゴなどいつでも食べられる。新鮮な果実も甘い菓子も、好きに食す自由がある。だというのに、大好きな赤い実を手にしたプーチンは齧りつきたい気持ちを横に置いて扉の方へ差し出してくる。
 心優しい気遣い溢れる姿は大変健気で愛らしく、模範囚という人の枠を飛び越えて妖精のようにさえ見えてくる。笑顔の似合う春の妖精―――イチゴを食べるのにこれほど相応しい存在はいない。

 「良いんだよ。お前のために用意したんだから」
 「だけど……」

 申し訳なさそうに下げられる眉に沈む表情。
 ほらほら、そんな顔が見たいんじゃないんだ。花咲くように、春の日差しのように、心ときめく微笑を浮かべてくれ。
 自身の大切な妖精へ諭そうとしたカンシュコフに、緑の瞳がぱっと輝いた。

 「じゃあ、こうしましょう!」

 ぽんと手を叩いたプーチンは、不思議そうな目をするカンシュコフの前でパクリイチゴを頬張った。
 瞬間、口の中に溢れる甘さ―――忘れかけていた懐かしい味の感動に身が震える。滴る果汁も柔らかな果肉も、一体どれくらい口にしていなかっただろうか。久方ぶりの赤い果実は外の世界に居た時と同じ、否、運び手の想いが加わった分余計に格別な味がする。
 言葉では最早、例えようもない。「美味いか?」と尋ねるカンシュコフへ頷いてみせるのが精一杯だった。
 頬がポトリ落ちてしまいそうな味をしっかりと噛み締め、飲み込む。喉を滑る時でさえ甘い味がする。ほぅ、と至福の表情を浮かべるプーチンに、覗き窓から見えるカンシュコフの目も釣られて細まった。

 こんなに喜んでくれるなら苦労して買ってきた甲斐があった。上に見つかれば「犯罪者に施しをするなんて」と小言の一つでも言われるだろうが、構いはしない。幸せそうな彼の笑顔が見られるなら叱責も反省文もいくらでも受けよう。

 その笑顔がもっとよく見たくて、一歩扉へと近づく。額をくっつけるようにしてカンシュコフが覗き窓から顔を出した時―――プーチンが、背伸びをした。

 「!!!」
 「イチゴの味、しました……?」

 触れた唇から伝わる、果実の甘み。突然やってきたイチゴの味は今まで食べてきた実の中で最上級に、甘い。
 真っ白にはじけたカンシュコフの視界の中、イチゴよりも赤い顔が微笑む。籠の中からもう一粒、手にした赤い実を食んだ唇が再び近づき―――



 「―――っなんてなー!!!」

 春風吹き乱れる脳内のシュミレーションに、カンシュコフは歓声を上げる。

 寂しい独り身にとうとうやってきた心の春、凍えた唇を暖めてくれる春の妖精と赤い果実のダブルファンタジー。

 「待ってろよ、模範囚ーーーっ!」と雄叫び上げる彼に怖いものなどありはしない。



 まさか向かった先、イチゴより赤い目をした相手に思い描いていた内容全てをもぎ取られるとは夢にも思わなかったのだけれど。


――――――――――



バーガンディ・チェリー …弟×緑

 瓶の中へ満ちる、深いワイン色―――その中から一粒、磨かれた爪が実を摘む。触れた指は当然汚れてしまうが、白い指先の持ち主は気にする様子なく引き出した実を薄い唇の向こうへ果実を押し込む。
 歯を立てた柔らかな果肉から溢れ出る、甘みと酸味。果実の爽やかな味が洋酒へと溶け込み喉を熱く焼く。酩酊が訪れるほどの強さはないものの、舌上に広がる上質なアルコールの味はまろやかで悪くない。確かな一級品に切れ長の赤い瞳が満足げに細められる。
 その目がふと、汚れた自身の指を見た。長く整えた爪先を染める果実の色―――放っておけば色素が沈着してしまう。

 悩むことはない。穢れは、取れば良い。

 自明の理に持ち上げた指先が向かったのは、拭うためのナプキン―――ではなく、口元。艶やかに弧を描いた唇が開き、ひとしきり口内に残る風味を堪能していた舌が躊躇いなく指を舐めた。
 つぅ、と。赤い舌先が、紫の上を這う。今しがた口にした物と同じ味を舐め取った指先は元通り白く、僅か濡れ光る。
 行儀に適っていないにも関わらず下卑ていない所作は、妖しい艶を放つ。
 ゆっくりと、見せ付けるかのように―――酒精よりも蠱惑的な姿は、彼を崇拝する部下が目にすれば喉の一つでも鳴らしたかもしれない。


 見る者を魅了する、その相手へ。向かい合う緑の瞳が、釘付けになっていた。


 バニラアイスを口へ運ぶ手も止め、ほうっと魅入られたようにプーチンは正面から目を放せない。顔へ走る傷跡すら醜いと思わせない、秀麗な面差し持つ相手の―――その手にある、瓶から。
 ラベルにチェリーの描かれた瓶詰めからはテーブルを挟んだプーチンの鼻先にまで芳香が届く。甘く爽やかで、酔い誘う香りにアイスの皿持つ手がつい前へと伸びた。

 「あのー……僕にも、ひと」
 「やらん」
 「あうぅ……」

 『一つ下さいお供します』、の言葉はあっさり却下された。
 スプーンを咥えて眉を下げる顔に、キルシュ漬けのチェリーを独り占めしているキルネンコはすげなく言い放った。

 「お前は酒が入るとロクな事にならん」

 何度かその様を見て閉口した。はっきり告げられる事実に、流石にプーチンも反論できない。酒に弱い自覚は、一応ある。それが元で投獄された過去があるのだから、身に沁みているというものだ。
 が。童顔の見た目にそぐわず酒好きな彼にとって、目の前の深紫の果実は是非とも口にしたい一品である。純度高いキルシュの濃密な味を付加したチェリーは、摘みたてとはまた異なった趣がある。

 白いバニラアイスに、深い色合いのシロップをとろりひと垂らし。漬け込んだ実を一粒脇へ添えれば、それだけで一流レストランのデザートに匹敵する品が完成する。

 じゅるり。思わず出そうになった涎を非常に色気なく飲むと、彼は指先を染めながらアルコールと果実、両方を味わう相手を羨ましそうに見た。

 「美味しいですか?」

 傾げる首に、「不味くはない」と若干ひねくれた答えが返る。指に付いたキルシュまで味わっているのに不味いはずがない。
 天邪鬼な相手の性格を知っているため、キルネンコがそっけなくすればするほどプーチンは瓶の中の紫が欲しくなる。

 ―――一粒、一滴、いやもうアイスにかけなくて良いんで、指の先程度に味見を。

 そんな訴えが聞こえてきそうなくらい、じっと見つめる。真摯に、見つめる。大きな緑の瞳で、じーっと、食い入るように。見つめる。
 勿論、子犬が餌を欲しがるような、物欲しそうな目で見られたところで怜悧な横顔は動じない。情で左右されるようでは裏の世界で人を束ねる事など出来はしない。容貌以上に冷ややかな心の琴線を弾くのは至難の技だ。
 だから「―――仕方ない奴だな」と、貢物も武器もなく視線一つで相手を折らせたプーチンは、ある意味世界で最強だった。

 「わ~!ありがとうございます!」

 しょげた表情から一転、ぱぁあっと顔が光輝く。背もたれとの間にパタパタと揺れる尻尾が見えたのは気のせいではあるまい。
 意図せず得た称号は全く関せず、解除されたおあずけに嬉々として彼は食べかけのアイスを差し出した。
 持ち上げられる瓶を、キラキラとした瞳で見守る―――香り高いキルシュがかかるのを今か今かと待っていたプーチンは、けれど液体がアイスへ落ちる前に瓶へ潜った指にあれ?と思った。更に指先が摘み出した実が皿ではなく取り出した本人の口に運ばれるのに、あれれ?と首を傾げる。
 暫く待ってみたが、指先の紫をぺろり舐めるのもやはりキルネンコ自身の舌で。いつまでたっても、瓶が皿の上で傾けられる気配はない。

 ……先程までの状態と、ちっとも変わらないような?

 待てど暮らせど変化はない。これは一体、どういうことだろうか。
 白いままのアイスを手に、抗議とまではいかないものの疑念を呈そうとプーチンが口を開けた。

 ―――瞬間。

 「―――っわ!?」

 ひょいとテーブルの向こうから伸びた手に引っ張られ、バランスを崩したプーチンはアイスもろとも相手の腕の中へと落ちた。そしてその落下先。待ち受けていた弧を描いた唇に、当たった。

 合わせた口内へ広がる―――ほのかな甘みと、アルコールの刺激。

 本来より薄まっているはずのシロップの味は濃密で、少しどころか飲み零すほど多くて。柔らかな果実の代わって押し込まれた舌に、誤まって噛み付いてしまいそうなくらい、翻弄される。
 ボトリ落としてしまったアイスが膝上で溶けるが、その冷たさを意識する余裕はない。もう十分、と押した肩が離れた時にはすっかり酸欠状態だった。
 与えられたような、奪われたような。肝心のチェリーの味はさっぱり分からなかった上にアイスもパァ。ただし、それを相手へ責める言葉は出てこない。
 息切れた口から伸びる痺れた舌を、仕上げと長い爪がカリリ引っ掻く。

 「Хотите пополнение?おかわりは?
 「け、けっこうれふ……」

 嫣然と笑む赤い瞳に、答えられるのはそれだけ。


 やっぱり、お酒は口にしたら駄目かも―――


 ひりつく舌に残る、主役のチェリーより強い味。完全酔い回ってクラクラする意識の中、プーチンは少しだけ、学習した。




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2011.09.21
拍手再録。