※日頃の感謝の気持ちを込め、フリー配布しております。
宜しければお好きな文をお持ち帰り下さい。(報告任意)


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いちめんのはな …赤+緑






 決めた、今日から此処は、



 広がる空は突き抜ける秋晴れだった。
 厳しい冬が到来する直前の、早秋の空。高く、それでいて澄み渡った蒼穹と相対するよう、山間の葉はチラホラ色を変え始めている。
 本格的な紅葉もすぐそこだろうか。ドライブを楽しむには申し分ない絶好の行楽日和の折、山道に停車した一台も在って何ら不審抱かせるものではなかった。
 
 「オイルよーし、タイヤよーし!」

 旅は道連れ世は情け、或いは良き道連れは里程を縮める―――古くから詠われるように、道中に連れ合いが居るというのは心強い。互いに励まし、協力し、そして時には一方へ頼ることも大切である。
 だからプーチンは途中明け渡された運転も了解したし、車検に出せば一発アウトなエンジンカスタムも承知した。連れがうっかり天国への階段を上りかけた時は死ぬ気で介抱&改造も行った。
 一市民生活を送っていた頃には決して逆らわなかった国家警察機関を無視したり振り切ったりというかなりな無茶もした、もといしている最中だ。休憩を早めに切り上げての車体チェックなど、率先してやろう。
 嬉々として指差し確認を行う、ちょんまげに結ったその頭の隅に『利用』の二文字は掠めもしない。

 「エンジンよーし、ブレーキよーし、外観は、……まぁまぁよーし!」

 数多の弾痕を付け且つガラスからフレームに至るまで激しく損壊した外観がまぁまぁなら逆に良しとした部分が不安に感じてしまう、そんな若干アバウトなプーチンの点検は一応合格に収まる。
 まぁ、レンチ一本で出来る事といえば限られてくるし、民警から色々分けて貰った(ということにしておく)部品でも代替のきかない箇所だってある。
 それでもプーチンは一切手を抜くことなく、汗水垂らして最大限の力を尽くした。
 言わずもがな、この車を必要とする人のため―――数奇な巡り合せを経て、最近プーチンにあれやこれやを任せてくれるようになった同乗者のためである。
 行動の一端を一任する、それは当然任せる側が他方に預けて問題ないと判断した結果。『信頼』を、おいてくれたということ。

 何もかも自分一人で考え、行動し、脱獄の相談すらしてくれなかった彼が!あの彼が!!

 信頼し、頼りにしてくれているのだと思うと―――何が何でも期待に添えたい!と。そう張り切るのが、人情ではなかろうか。
 それに一見した限りでは自殺希望者以外乗車を敬遠しそうな車でも、相手は文句一つ言わずに乗り込む。警戒の色も全く浮かべず、実にくつろぎきった様子で。そこがまた、プーチンを喜ばせることに繋がる。
 自信の向上に相まってガッツポーズで辺りをぴょんぴょん飛び回ってしまいたい、そんな衝動にさえ駆られる。もし席を外している当人が居合わせたら実際手を取って付き合わせただろう。
 傍目には意味不明なダンスでも、信頼しあった者同士ならきっと分かり合う事が出来る。通じ合える。


 黙っていても伝わる、それが信頼!


 「だったらもう少し、この子も格好良くしてあげたいなー」

 OKを出したばかりのモスクビッチを覗き込み、プーチンは思案する。
 折角なら、もっと便利に。もっと快適に。もっと愉快に。二人の旅路をより素敵にするような、そんな機能が欲しいではないか。
 さてさて、どこにボタンを取り付けようか―――レンチをクルクル回しながら夢一杯のマル秘オプションを思い描く。
 気分上々鼻歌交じりに車体へ手をかけた、プーチンのその背がふと翳った日差しに気づき振り返った。

 「!―――きっ、ききキキキレネンコさん!!!」

 バンッ!

 音を立てて車へ張り付いたプーチンへと向く―――赤い、眼。
 血液を凝縮させたような眼球の丸を極限まで平坦にした相手がすぐ傍、プーチンの真後ろに立っている。
 足音もなければ気配も全くしなかった。呼吸音すら聞こえないと思ったのは静か過ぎる表情故かもしれない。生気に乏しい、感情を遠くへ置き去りにしたような面。
 薄暗い監獄を出れば少しは違う表情を見せるかと思いきや、マイペースを地で行く同行者はやはり、変わらない。
 無感動な両目も、顔面深くに走る古傷も。それを補い余る、端正な造詣も。初めて顔を合わせた時と、ほぼ、同じまま。

 つまり、プーチンは一見しただけでは相手が何を考えているのか、未ださっぱり分からなかったりするのだ。

 そんな相変わらず捉えどころのないキレネンコがゆるり瞬く―――ジッと注視されている片手をプーチンは大慌てで後ろに隠した。

 「えへ、えへへっ。お帰りなさい~」
 「…………」
 「あっ、コレはですねー、ちょーっとワイパーの調子を見ていてですね~、」

 眉間に皺が寄って見えるのは気のせいか。いや気のせいであってほしい。
 なるべく意識しないようにしてしどろもどろに言い募る、言い訳じみたその口調が必死になるのは仕方がない。
 かつて時間と手間が省けるだろうと思い車へ取り付けたエチケット機能(命名『ピカリブラッシャー☆逃亡者は歯が命』)でキレネンコがそれはそれは大切にしている雑誌へ大穴を空けてしまった大事件。あれからさほど、日が経っていないのだから。
 あの時は本当、もう一度太陽が拝めるとは思わなかった―――邂逅すると走馬灯になりそうなため詳細は省くが、兎も角、斬新さを追求するプーチンと違いキレネンコにとって大切なのはシンプルな事らしい。
 車なら走れば十分。必要以上飾らない彼の性格がよく現れている。


 だから押すとエンジンでトーストが焼けるようにしようとか思ってません。思ってませんから!


 「もう、お散歩は良いんですか?」

 散歩、とは推測であって、実際にキレネンコが何処で何をしていたのか知らない。車を降りる際、彼は何も言わなかったからだ。
 ふらり奥の方へ歩いていく後姿をプーチンも特に詮索しないでいた。気にならなかったわけではない、が、誰にでも自由に行動したい時はある。相部屋の頃から一匹狼の傾向であったキレネンコなら尚更、根掘り葉掘り聞かれるのを嫌うだろう。同行者のプライベートを尊重するのも旅を順風にするコツだ。
 それに、最終的には必ず戻ってきてくれるし―――車を置いているのだから当たり前であるが―――集合時間を決めたことは一度もないが、大抵整備が終わった頃タイミング良く現れるので不自由に感じた覚えもない。
 あとは定位置である後部座席へ彼が収まれば、それが出発の合図となる。
 今日もその通りだろうと、改めて確認することはせずにプーチンが運転席側を開く。しかし、ぎくしゃくとシートベルトを締める間も何故かキレネンコは立ったまま、動こうとしない。

 「…………」
 「キレネンコさん?」

 不思議に思い声をかけるが、返ってくるのは沈黙ばかり。
 伏せた長い睫さえピクリともさせずに佇む姿はまるで精巧に造られた人形か、彫像のよう。髪と同色の感情の読めない眼が余計拍車をかけている。
 それが少々怖いのは、後ろめたいからだ。そう自分に言い聞かせて「どうかしました?」と自然な装いで尋ねようとしたプーチンの口は、刹那全く別の形を結んだ。

 「ヒッ―――!?」

 空気を吸い込むような音が、喉から零れた。限界まで見開いた両目が映したのは、掴まれた自分の腕だ。
 顔を蒼褪めさせるより早く、強い力でズルリ運転席から引きずり出される。むしろ引っこ抜かれる、の方が適切か。そのまま投げ飛ばされてしまいそうな勢いを踏ん張り、かろうじて転倒は免れたものの、気がついた時には脇の林へ突進していた。
 悲鳴すら上がらない。最も、仮に叫べても運悪く交通の流れは途切れていたところ、救援を求む声は空しい山彦と化すだけだったろう。
 何より、誰の目があろうと耳に届こうと、犯罪史上類を見ない最大最凶の脱獄死刑囚を果たして止められたかどうか―――キレたら手のつけようがない元ロシアンマフィアのボスには装甲車だって太刀打ちできないのだから。

 あとは、もう、成すがままだ。
 茂みを突っ切り、小枝や葉っぱが顔を叩くのも構わず、只管前へ。
 道なき道をズルズルズルズル、引っ張られていく。


 ―――何が。否、それより何処に。どうして。なんで。どうして、どうして。


 混乱と恐怖とで頭の中は真っ白だった。
 腕を振り解こうにも、食い込んだ指は万力宛らの強さで到底抗えそうにない。縺れそうになる足だけが奇跡的に交互に動いていたが、いっそ、止めて転んだ方が楽になれたのではないかとも思える。
 まさか、ちょっと車へ手を加えようとしただけでこんなに逆鱗に触れてしまうだなんて。
 さしものプーチンも気魄立ち上る背中を前に悠長に構えていられない。行き着く末路はどう考えても、バッドエンド一本のみ。
 崖から突き落とされるのか。湖にでも沈められてしまうのか。或いは山中どこかに置き去りにされてしまうのか。
 独り放り出されればそれだけでプーチンは易々息絶えるだろう。想像するだけで目の前が暗く、そしてぼやけ滲んでいく。

 死にたくない。痛いのや苦しいのだって嫌だ。
 でも、それ以上に嫌われたくない。離れたくない。一緒に居たい。


 たとえ現在[いま]連れ添っている理由が偶然でも、あの日、着いていく決心をしたのは自分で、信じたは紛れもなくキレネンコその人なのだ。


 「―――ごめんなさい!」

 堪らずプーチンは叫ぶ。舌を噛みそうになるがそれでも構わず繰り返す。
 僅かずつでも歩み寄りかけてくれていた相手へ。共に居ることを認めかけてくれていた彼へ、心から詫びる。

 「もう余計な事しませんこっそりおやつ買ったりもしません!だからっ、だから捨てな―――へぶっ!」

 コンクリートの壁へ突っ込んだような衝撃に、言葉尻が鼻諸共無様に潰れた。
 落涙を更に上乗せして顔を上げれば、元凶たる壁―――キレネンコが見下ろしていた。
 本日何度目か合わせる無表情は、なんとなく怪訝そうな顔をしている気がする。プーチンの思い込みかもしれないが「何を謝っている?」と言いたげな風だった。
 一層訳が分からない。長身に阻まれ周囲の状況も解らないが、とりあえず目的地には着いたらしい。先程までの力が嘘のようにパッと離された腕に、しかし最早、逃げ出すだけの気力は残っていない。
 全て身から出た錆、大人しく報復受けて然るべきなのだ。
 せめて自身の死場がどんな所かだけ確認しておこう―――諦めの境地へ立つ気分でプーチンは視界を塞ぐ4の番号(涙その他でベショベショなのは見ないでおく)から恐る恐る首を覗かせる。 
 
 途端、浮かぶ涙が引っ込んだ。

 最初は、色しか判別できなかった。黄色。クレヨンで景気良く塗りつぶしたような、鮮やかなイエロー。
 その色が、実は一つ一つ独立した小さな花で構成されていると気付いたのはすぐだ。薄い花弁を風に揺らし、ひっそりひっそり、主張している。
 辺り一面、見渡す限りに咲く黄色い花。

 花畑だ。認識するより先にプーチンの歓声が響いていた。

 「うわーっ!何コレ、凄い!すごい綺麗っ!!」

 パンジーに良く似た形をさらに一回り小さくした品種、ビオラだ。
 見た目より環境に強く手がかからないことから家庭のプランターなどでも広く栽培されている花だが、元を辿れば野草の一種である。それ故愛らしくはあるものの、地味でパッとしないとの印象も強い。
 しかし群生となるとこんなにも賑やかになるとは―――大げさでなく、花の絨毯さながらだ。
 辺鄙な場所なのが幸いしてか踏み荒らされた形跡もない。花を傷つけない昆虫だけ許される、自然息づく場所。飛べないプーチンは代わりに黄色の絨毯へ乗り上げる一歩手前でしゃがみ込み、しきりに「すごい」とはしゃぐ。
 監獄へ押し込まれていた3年間は無論、外へ出てからも急ぐあまり花を愛でる機会など皆無だった。先日漸く降り立った此処とよく似た場所とて、ほとんど見ていないに等しい。口には出さずいたが大層がっかりしたものだ。
 そこではたとプーチンは後ろを見た。此処まで『連行』した張本人は飛び出したプーチンを捕まえるでもなく、かといって立ち去るわけでもなく、只無言で立っている。
 にこりともしない表情を見る限り、どうも花に興味があるとも思えない。だとすると―――

 「……ひょっとして、此処を僕に見せてくれようと?」

 浮かんだ仮定を確かめるプーチンに、ややあってキレネンコは口を開いた。
 ボソリボソリと低い声音で話す、「前」、「花」、「あった」といった断片的な言葉を総合するところ、どうやら、

 『前に花畑をゆっくり見られなかった事を気にしていた。で、偶々同じような所を発見したから連れてきた』

 という事らしい。根気良く聞き出したプーチンも思わず我が耳を疑ったが、何度反芻してもそういう内容なのである。

 「で、でも、怒ってたんじゃあ……?」

 伺う視線の先、軽く首が倒れる。先程と同じよう少し寄せられた眉は多分、怒り、とは違うのだろう。
 すっかり固まってしまったプーチンへ、への字気味の口が付け加えた。

 「……気が済んだら、戻るぞ」

 一つ、釘刺して。後はそれきり、黙ったきり。
 再び動かぬ人型と化したキレネンコが景色を楽しんでいる様子はやはりまるでない。愛読書を車に置き忘れていなければ眼すらくれなかったはずだ。見るともなしに前を向いているだけ。
 あまりに静かなためか人に懐かない蝶々も無警戒に寄ってくる。鼻先での羽ばたきに思い出したよう瞬く、風体に合わない仕草がなんだか妙に微笑ましい。
 暫くその横顔を眺めたプーチンは徐に手を鳴らした。

 「決めました!」
 「…………」
 「此処を、僕たちの記念の場所にしましょうっ!」
 「……?」

 花畑を背負っての宣言は全くもって唐突過ぎる。キレネンコでなくても輝く瞳の意味を汲めはしなかったろう。
 当然のよう顰められる表情に、けれどもう、恐れることはない。


 だって、気づいたんだ―――

 どんな花より、小さな黄色で一面溢れるこの場所が一番美しいと知ったように。


 返事のない相手へ構わずニコニコと満面の笑みで並んだプーチンは、簡単に隣の手を取った。

 「ねっ、記念でしょ?」










信頼を分かち合えた、ふたりの記念!


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太陽の花 …看守→緑






 日輪のように笑う、その姿に、



 冬の長いこの国[ロシア]にも、夏は訪れる。雪解けの季節を過ぎ日差しと気温が日に日に増し、流れる汗が止まらなくなるような夏が、来る。
 意外に思われがちだが、ロシアの夏は暑い。期間は確かに短いものの、日中ともなれば30度越えは普通だ。
 北緯が高いからさぞ快適なんだろうとかのたまう諸外国の連中をまとめて殴り倒したい。そんな凶暴性に駆られる、暑い夏。即ち猛暑。
 なまじ寒さに強い国民だからか、暑さにはどうも耐性が低い。そりゃそうだ、真冬を半袖で過ごすのにどうやって夏が涼しく越せようか。
 そんなわけでこの時期熱中症を初めとした夏の病へ罹る人は多い。フラフラ足元が危なげだったり、反対にボーっと立ち止まったままだったりする通行人がいれば要注意である。

 そしてここにも、一人。暑さに当てられた男がいる。

 「お客様?」
 「………………」
 「……あのー、」
 「……………………」


 訪れてから約20分。
 店先で客が同じ姿勢を保ち続ける、というのは割とよくある光景なのだが、些か時間が長い。しかもこの暑さだ、背中を焦げ付かす直射日光が否応なく決断を早くするもの。だというのに俯き加減の彼は流れる汗そのまま、ひたすら一点ばかり見続けている。
 立ったまま気でも失っているのではないか―――そう心配になって声をかけたものの、反応がない。
 正確にはなにやらブツブツ「いや、でも……」とか「流石に、……」とか呟いていたが、騒々しい蝉の声にかき消されてしまうような音量だった。
 もしや、参っているのは体じゃなくて頭の方だろうか。
 係わり合いにならない方が無難だと思っても、店の前に立たれている以上仕方がない。これも店員の宿命ということで、もう一度声をかけて駄目なら失礼を承知で肩でも叩こう。
 水を撒く手を止め、深く息を吸い込んだ―――瞬間、ブラウンの瞳がパチリ正面を見た。
 大きく見開かれる両目はぱっと見る限り正気で、顔色も(付け加えるなら顔自体も)さほど悪くはない。どうやら金髪頭に燦燦と浴びる太陽のせいでおかしくなったわけではないらしい。
 ただ、集中しすぎて周りが見えていなかっただけだ。

 「ぁっ、え、」
 「お客様、ご贈答用にお考えでしょうか?」
 「ぅ゛えっ!?あー、ええっと……」
 「宜しければ店内へどうぞ。他の品種も取り揃えておりますので、」
 「い、いや、別に俺は買うつもりじゃ―――ああっと、じゃなくて、もうちょっと見たいから、その」

 考えさせてくれ。

 歯切れ悪く断るのに対し、「暑いですから、お気をつけて」と愛想良い声で包む。彼のその『考え』とやらがまとまるまでに本当に倒れなければ良い、と思ったのは本心だ。
 離れていく店員の少女へ曖昧な顔を向けながら、その実客―――カンシュコフは内心激しく毒づいていた。
 といっても、要らぬおせっかいを焼いた彼女にではない。
 こんな場所にいる、己自身へだ。


 花なんかとは無縁の人生を送ってきた自分が、何ゆえ、花屋の前にいる。

 
 まだこれは言い訳がつく。
 たまたま街を歩いていて、たまたま打ち水をしていたのが涼しくて、たまたま暑さから逃げるよう店先へと寄って。
 そうしたところ、たまたま店は花屋であって。たまたま、そう本当にたまたま。明るい色した花たちが珍しくて、ぼんやり眺めていた。
 ただそれだけのこと。

 ―――それだけのことだったのに。

 脳裏へある一人の人物像が浮かんだばかりに、『それだけ』の範疇に収まらなくなった。


 かくして足は回れ右が効かず、全身汗ダクダク、挙句店員に客だと思い込まれた。益々、何もなかったようにハイさようならするわけにいかない。
 勿論、何も言う前から贈り物だと断言されたように、対象あっての購入となる。

 「けどなぁ……」

 何度目かになる、逡巡の溜息。その対象が、一番の問題なのだ。


 担当している囚人相手に、花―――なんて。


 おかしいだろ。いやおかし過ぎる。自分ですらおかしいと思うのだから絶対おかしいに決まっている。血迷っているといっても過言ではない。
 先ほどの店員のように可愛らしい女の子ならまだしも、自分と同じ性を持つ男などへ―――可愛くは、あるのだけれど。
 そこを差し引いても、まず、贈る理由がない。日頃お世話になっているどころか、面倒を見てやっている側なのである。相手への感謝の念など在るはずなかろう。

 それに、普段結構意地悪な事もして、態度も甘くならないよう気をつけている(つもりの、)自分が、いきなり花など贈ったら変に思われるかもしれないし。
 あと、相手が花好きかどうかも分からないし(多分嫌いではないはず、)、好きでもどの花が好みなのか知らないし。
 そもそも、監獄勤めの看守が担当といえど一囚人相手に差し入れとかするのは職務規定に反するような気もするし(今まで気にした事ないが、)同僚とかに見られたら後々何か言われそうだし(これは100%確実)。

 やっぱりやめようか、いやでもな、でもでもな、云々。
 堂々巡りをし続ける思考。さらに追い討ちをかけるよう、高さを増した太陽が意識を朦朧とさせにかかる。
 活力の源とはいえ、どんな生物であろうとこの熱波を受けては元気を通り越して萎れ干乾びてしまう。
 だが何にでも唯一の例外は存在するもの―――カンシュコフの目の前にある大きな黄色い花は丸い額全身で与えられる陽光全てを拝受し、それでも足りぬとギンギラの太陽の方目指し率先して向く。バケツの中くたりともせずしゃんと茎を張った姿はいっそ、敬意を表したいほど。
 暑さをものともしない植物、向日葵の名は伊達でない。
 夏の花の代名詞であるその花が、実はこの国の国花であると知っている外国人はやはり少ないだろう。
 実際には雪の白さと同じだけ、畑を彩る金色の色は国民に馴染み深いのだが。ほんの一瞬で過ぎる、短すぎる季節が悪いのか。
 しかし、例え他がどんなに似合わない、イメージと違うと言おうと、ロシアの花屋には当たり前のようにヒマワリが置かれ、通り過ぎる人々はそれを眩しそうに見ては、歩みを止める。
 カンシュコフが、そうであるように。


 まるで、太陽そのもののような。

 開かれた黄金の花びらへ、光が宿るかのような。

 本当の日輪へ届くよう、高く高く、背を伸ばすような。


 店先には他にも沢山の花が溢れているのに、何故か、その色だけが。その花だけが。目から、離れなくて。




 太陽のような、光のような、眩しい、花は、




 それは、




 ―――嗚呼、きっと今、多分。

 自分は暑さに当てられている。




 
 一瞬の夏。ロシアの、暑い夏。
 空も大地も覆われた、閉ざされた空間。
 そこへ割り込む、焼け付く灼熱の光。

 
 誰もが想い、愛し、そして―――


 









 「―――541番」
 「はいっ、看守さん!なんですか?ご飯?おやつ?あっ、でもまだ時間きてませんよね、じゃあ遊んでくれるんですかむほーっトランプしましょトラン」
 「だぁあああ、うるさい!お前はちょっと黙ってろっ!」
 「ぷー……」

 今日も騒がしい模範囚の緩んだ顔は、覗き窓の隙間、たった数センチから見るだけでも眩しくて。
 目を逸らしたカンシュコフが突っ込んだ一束の花を、どう映したのか。誰も、知らない。





 日輪のように笑う、その姿に、





 焦がれて、焦がれて、想い焦がれて、












届かぬ太陽にあこがれる俺だから。


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2011.09.21
拍手お礼文よりフリー。
ご自由にお持ち帰り下さい。