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※日頃の感謝の気持ちを込め、フリー配布しております。
宜しければお好きな文をお持ち帰り下さい。(報告任意)


――――――――――





一輪の華 …弟+緑






 まるで、貴方のような、




 「ボス、贈り物が届いておりますが―――」
 「捨てろ」
 「えええっ!?」

 季節は初夏。柔らかな日差しと心地良い風とが交差する午後の下り、「今日は外でお茶にしましょう!」という客人の一声で急遽茶席が設けられた中庭は成程中々見事な造りで、多種多様な花木が盛りを迎えている。
 春先の愛らしい、淡い色合いではないが、アマリリスやグラジオラスといった鮮やかな花々と濃い緑とが織り成すコントラストは眩く十分に優美だ。芸術的、とも評せよう。
 そんな中へ現れた、薔薇の花束―――部下の一人が持ち込んだそれはこれまた立派というかなんというか、この場において聊かも存在薄れさせない。
 大の大人が両手で抱えるサイズの花を本数に直せば一体何本になるのか。しかもその一本ずつが大輪なものだから、包みから零れそうになっている。
 そして広がる花弁は、真紅一色。
 燃え上がる焔の色は受け手を意識してか、それとも内なる想いを象ったのか。そこから放たれる芳香は酔いそうなほど、甘い。
 明確な意図のある贈り物―――それも間違いなく女性からの―――を、しかし呼ばれた相手は花と同じ色した瞳で僅か一瞥すると、カップからほとんど口を離さないままに即答した。
 冷淡な主人の指示に部下も慣れた様子であっさり従う。元より腐るほど貢物が集まる場所柄、この手のやり取りは最早日常だ。唯一、驚きの声を上げるのは客のプーチンだけである。
 深緑の瞳をまん丸にした彼は、良くも悪くも根っからの庶民。たかが花とはいえ『捨てる』という行為自体が考えられない。
 頬張ったケーキを咽そうになりながら、思わず「もったいない!」と叫ぶ。
 綺麗なのにもったいない、切り落とされてしまった花がもったいない、贈ってくれた誰かの心がもったいないもったいなさすぎる―――声に出さずとも表情と雰囲気でありありと心情を訴えるプーチンに、向かいに座るキルネンコはやはり興味ない調子で返した。

 「要るなら持って帰れ」
 「わぁーい!ありがとうございます!」

 両手を挙げて喜ぶプーチンへと受け渡された花束の行方は、贈り主が知れば憤然としそうだが仕方あるまい。罪のない花の焼却炉行きが免れただけでも良しとすべきだ。
 間近で見る薔薇は一層、美しい。ズシリと重みを伝えてくる束を玄関、台所、寝室と分けても余裕で余るだろう。

 「んー、良い匂い~っ。それにすっごく綺麗!ね、本当にキルネンコさんは要らないんですか?」

 花へすっぽり埋まったプーチンからは見えなかったが、隠れた首は頷いたらしい。

 「その花は気に食わん」
 「薔薇が?」

 薔薇といえば扱っていない花屋がないといっていいほど、万人受けする花だ。匂いといい造詣といい他の花から群を抜いて秀逸な姿に魅了される者は多い。
 現に此処の中庭にも何種類かの薔薇が花開き、彩りを添えている。家主であるキルネンコが厭うならそれら全て引っこ抜かれているはずである―――最も、真に彼の人の趣味を反映した庭を設計したならば植物の変わりにスニーカーが並びそうなため一概には言えないのだが。
 そして実際、キルネンコは否と否定した。薔薇という花そのものが嫌いなわけではない。では一体何が駄目なのか。

 「よく見ろ、」

 という言葉に首を傾げたプーチンが従い、改めて花束を観察する。すると、ある特徴が見えた。

 「この薔薇、棘がないや」

 美しさと共に象徴される、薔薇の棘。本来なら茎の部分にびっしり生えているはずの尖りが見当たらず、ツルリ滑らかな表皮を出している。
 棘のない品種も存在しないではない。が、恐らくこれは後天的な理由。人の手によって一つ一つ棘が抜き取られたに違いない。何十本と集められた薔薇へ処理を施すのは、さぞかし骨が折れたことだろう。
 触れた際指を傷つけないよう配慮してのことらしい。金で買っただけとはいえ、向こうの育ちの良さが顕れた、素晴らしく細やかな気遣いである。
 ただ残念なことに、貰う側のキルネンコはそれを逆に不快と捉えた。薔薇に擬えても良いような秀麗な面を歪ませ、下らない、と吐き捨てる。

 「そんな腑抜けた花になんの価値がある?サボテンの方がまだマシだ」
 「でも綺麗ですよ?」
 「見た目だけなら造花で足りる」 
 「た、確かに……」

 言ってることは分からなくもない。自然の物は自然の姿をしているのが一番、ということか。
 剣のある目つきに推されるようプーチンがコクコク頷く。
 贈った人が聞いたら泣いちゃうだろうなぁ、などと知らない相手につい同情してしまう。次回があるならもっと彼の好みを把握して内容を検討すべきだと教えてあげたい。
 花束に隠れてこっそり苦笑する。と、我存ぜぬ顔で茶を飲み終わったキルネンコが不意に席を立った。

 「俺は―――そうだな、こっちの方が良い」

 そう言ってスタスタ歩み寄ったのは、庭に咲く薔薇のひとつ。
 鮮血を滴らしめたような深い緋色、艶のある大きな花は贈り物の薔薇に勝るとも劣らない。天空に向かい真っ直ぐ背を伸ばす姿はどこか威厳高く、自分を見下ろす赤眼と真っ向勝負をかけている。
 その内の一本へ手が触れた。あっ、とプーチンが声を上げる間もない。
 加工された花束の薔薇とは異なり、土から伸びたままの花の茎には当然の事ながら無数の棘がついている。植物と侮るなかれ、硬く尖った先端は人の皮膚を容赦なく突き刺す。想像しただけでも、痛い。
 青ざめるプーチンを他所に、茎を掴んだ手は放される事なくそのまま、ポキンッ、と。軽い音を立てて、圧し折った。
 いくら強靭な肉体をしていようとあんな無造作に薔薇を摘んでは怪我をしてもおかしくない。事実、白い指先にはポツリ紅い珠が浮かんでいた。
 しかと見止めた色に慌てて浮かしかけた腰が、けれど半端に止まる。


 確かな疼痛を感じただろう、その人が浮かべた、笑み。

 上がる口元が示すのは皮肉と掛け離れた、純粋な賞賛。



 玩ぶ手には一茎の切花へ成り下がった花。
 華麗な姿はこれから先、幾日も姿を留めていられないだろう。散る運命を早められた、哀れな一輪。
 それでも―――自身に仇名した者を許しはしない。



 手折る指へ一矢報う、凛としたその咲き方こそ。



 「棘のある花ほど、美しい」



 花弁へ寄せられた唇。それは最期の瞬間まで屈さなかった花に与えられる、最大級の褒章。





 紅い双眸で花を愛でた彼の感心は、どうやら一時だったらしい。「やる」、と手の物をテーブルめがけ放る。
 投げられた薔薇へ慌てたのはプーチンだ。わたわたと両手を振るが、まさか空中でわし掴む訳にもいかなければそんな器用な芸当出来もしない。
 情けない声を上げる彼の反射神経を一応は考慮してか、放物線の先が着地したのは顔面ではなく膝へ置いた花束の上。
 狙い過たずくれた相手はどこ吹く風といったようにひょいと指先を口へ運んだりしている。きちんと手当てした方が良いのではないかと思ったが、軽く一舐めしただけで塞がった指は心配には及ばないらしい。
 視線を戻した膝の元、抱えた多くの花と重なる花は良く似ていて、やはり異なる。
 色も、形も。生命そのものが持つ内なる強さがあるのは一輪だけ。
 折られて尚生き様を見せつける花を、プーチンはそっと持ち上げた。

 チクリ走る感触―――気をつけなければ、こちらが傷ついてしまう。



 棘を持つ、真紅の薔薇。

 甘く、美しく、鮮やかに。決して媚びることのない花。

 誰もの目を惑わしながら、伸びる手を鋭く制す気高き華。





 それは、まるで、貴方のようだ。














凍て付くほどに情熱的な、貴方のよう。


――――――――――



待ち人の花 …運×狙






 解ってる、本当に欲しいのは、







 眠らずに夜を過ごすのは、さほど、難しいことではない。

 適当な雑誌を読んでも良いし、ラジオを聴いても良い。愛用する手持ち銃器のメンテナンス、筋トレ、ストレッチ、普段時間がないのと面倒なのとでやらない部屋の片づけ、フォーティーワンにスクラブル[一人用ゲーム]。酩酊を求めない酒をチビリチビリ傾けるのだって良い。
 そもそも、時間を潰したいなら外へ出れば話は済む。世間一般が眠る時間であろうと街の何処かしらに明かりは灯っている。不夜城を練り歩く、ある意味健全な一夜といえよう。
 そのどれもをボリスがしないのは、単に気分の問題だった。

 眠くはない。けど、何かしたいとも思わない。
 
 ベッドに仰向いて、天井を眺める。勿論、意味あっての行為ではない。一番楽な姿勢がこれなだけのこと。
 元より不眠の傾向にあるボリスは、こうした夜の付き合いに人より長けていた。
 眠ろうと努力しても眠れない、意識してしまって逆に目が冴える。仮にうまく微睡に溶け込めたとしてもそんな時は非常に眠りが浅く、しょっちゅう目が覚める。悪循環を極めた無限ループ。結果、精神的にも肉体的にも全く休んだことにならず余計疲れてしまう。
 ならば、無理に寝なくとも良い―――眠れない以上、起きているしかないのだ。薬に頼る、という手段は最初から選択肢に置いておらず、あくまで自然に、バイオリズムが戻るまで気長に待つ。
 たかが一日二日寝なかったところで死んだりしない。焦るだけみっともない、男なら堂々構えていろ、と、これが己の体質と付き合う上で会得したボリスの持論である。
 代償に目元へ少しばかり不景気な隈が浮かぶが、最早染み付き人相の一部になっているソレに対し反応する知り合いはいない。
 否―――いることには居た。一人だけ、鬱血の濃淡から大きさまで逐一気づき、体質に関しても熟知していながら尚且つ口を出す奴が、一人。
 だが、そんな相手も今夜は不在だ。正確には、今夜を含めてここ暫く。仕事で何人かの隊員と一緒に国境付近まで出払っている。
 政界でも割と著名な要人の護送、となれば一般警察ではなく軍の管轄だと思うのだがそこはそれ、事情というやつがあるのだろ。公には動けない、けれど道中万が一傷でもつけば大事。そんな注文の多い運搬作業にミリツィアでも腕利きのコプチェフが指名されるのは当然の流れだった。
 基本、コプチェフとボリスはコンビで行動している。しかし、今回の件に狙撃手は要らない。穏便に、密やかに、となるとむしろ不都合な位だ。ドラグノフを隠したところでボリス自身から無意識に発される振る舞いその他は同業者であれば嗅ぎ当ててしまう。
 それに、ボリスの一番はやはり、狙撃なのだ。数多いる隊員の中でこれだけは誰にも負けないという強い自負がある。同様に、近距離射撃が得意な者、格闘技に秀でている者はきちんと存在する。組まれたチームは適材適所、実力を十分に評価した上での人選だった。
 だから別段、ボリスからの異議はない。置いてけぼりに駄々を捏ねるほど幼稚ではないし、ましてや行く先は遠足でも何でもない。最悪死傷の可能性もある、過酷な第一線。
 強いて言えば退屈な日常業務に従事するよりそういった難易度の高い現場の方が好みだというところか。多少、不謹慎ではあるが。
 その点はむしろ、コプチェフの方が不服そうだった。

 「俺の居ない間に浮気しないでよ」
 
 至って真面目な顔でのたまう相棒兼恋人に任務の危機感はちらとでもあったのだろうか。とりあえず「馬鹿を言うな、」と尻を蹴飛ばし文字通り一蹴しておいた。 
 その相手も、今頃は就寝中のはず―――優男前とした容貌とは裏腹に、コプチェフは割と肝が据わっている。というか、図太い。場所だの取り巻く状況だのがどうであれ、眠れなくて困る等は聞いたことがない。いっそ清清しいくらい、寝付き良い。
 時折、今日と似たように時間を持て余しているボリスの元へ付き合うつもりで彼が訪ねてくる事がある。寝ない分極力体力を消耗したくないボリスは閨事抜きで、という中間案に不承不承妥協するのだが、その時すら駄弁っている最中に船を漕ぎあっさり陥落してしまう。
 寝るなら付き合うとか言うなよな。ぼやいても夢の中にまでは届かない。一人現に残されたボリスは向かいで臥せった紫苑の頭を呆れ混じりに眺めるばかりである。

 ただ、不思議とそんな夜を送った明くる日からは久々の睡魔が顔を覗かせる―――因果関係は不明だが、事実だった。

 改めて、行程を思い出す。
 直線距離にして、およそ2000km。途中険しい山岳地帯も挟んでいるから実際にはもう少し伸びる。往復で最短4日、同乗者に一般人が居るのを考慮すれば大体、1週間くらいか。
 1週間後、強行軍で帰ってきた相棒より自分の方が恐らく疲れた顔をしている。とびきり濃くなった隈を見てきっとああだこうだ言うに違いない。煩いくらい、言うに決まっている。それまであと、6日以上。
 天井を向いていた黒眸を壁へ移す。確認した時計は、相変わらず深夜と早朝の間。解っていた事だが体感時間と異なりほとんど進んでいない。我知らず、溜息が出た。
 どうやら色んな意味で先は長そうだ。まんじりともしないで只管、無為な時間を過ごす。


 部屋のドアが鳴ったのは、そんな時だった。


 静寂のみの中へ湧いた異音にボリスの眉が寄る。先述の通り、時刻は遅い。緊急の呼び出しであれば確かに時間を選ばないが、漂ってこない緊迫感が違うと否定している。ただの来訪なら、常識外だ。常識の通用しない客、例えば派手に泥酔した酔っ払いか、家も解らぬ夢遊病者か。それとも、念入りに在宅を確認する窃盗犯連中。
 それらボリスの警戒もすぐに杞憂へと変わる。覗いた魚眼レンズに映ったのは、欠伸を噛み殺す同僚だった。

 「……おー、ボリス。お前まだ起きてんの」
 「寝てると思う時間なら来るなよ」

 若干寝ぼけているのではないかと思う挨拶に苦笑する。一応制服姿ではあるものの、ざっと見る限りやはり急を要する仕事関係の用件ではなさそうだし、普通なら怒っても良い所だ。
 実際寝ていた訳ではないボリスは特に無作法を咎めず、「今帰りか?」と尋ねた。相手の担当は市外端にある派出所だ。通うには距離があるためそういった分署へ配属されるのは大抵近隣に住んでいる者なのだが、彼に関しては上からの指示により出向という形で赴いている。普段は勤務先の仮眠室で寝起きし、休日になってからやっと自分の持ち部屋へ戻ってくるのだといつだったか説明してくれた。
 案の定、向こうの首が折れる。
 
 「そ。出たのは割かし早かったんだけどさ、あちこち渋滞してて。気づきゃこんな時間になっちまった」
 「そりゃご苦労さん」
 「本当だぜ……道すがら一杯引っ掛けるわけにもいかねぇし、疲れるばっかだ」

 すっかり疲弊したその様子では、折角の休みも謳歌できそうにあるまい。ボリスがその立場だったら即所属移動を願い出ている。給料分以上の我慢は断固許容できないと、上司に猛然と食って掛かったろう。そんな無鉄砲でなく立場を賢く弁えている不運な相手に愛想抜きの同情を示す。
 それで、結局どういう用向きなのだろう。まさか愚痴を吐くためだけに寝てるかもしれない人の部屋を叩いた、という訳ではなかろう。徹夜ついでの晩酌相手でも探していたのだろうか。なら、少しくらい付き合っても構わない。どうせ朝まで起きているつもりだったのだ、明日―――正しくはもう今日か―――の仕事に響かない程度の量であれば、酒精も問題ない。咎める者も居ないのだし。
 が、ボリスが少し開いていたドアを広くしたところ、向こうの方から辞退した。今はそれよりベッドに潜りたい、と切実な本音を漏らす。

 「俺はコレ、届けに来ただけだ」

 ずいと差し出されたのは一枚の封筒だった。反射的に受け取ってしまったそれはミリツィアの支給備品である事以外何の変哲もない。切手は無論、表書きもない。ひっくり返しても同じこと。

 「誰からだ?」
 「お前の相棒」

 今しがた居ないとしたばかりの、コプチェフからの届け物。
 思いもよらない差出人にボリスの目が若干の驚きと、多大な困惑と疑問とをない交ぜにした複雑な色を浮かべる。

 「検問中丁度通りかかったんだよ。面倒な積荷[・・]でも乗せてたのかあんま話は出来なかったけど、こっち戻るならお前に渡してくれって。
 でもどんなに急いでも俺が着くの夜だし、明日でも良いかって聞いたら『夜中でも構わないから、早めに』とか言ったんだよ」
 「早めに……?」
 「時間帯的に流石にどうかと思ったんだけど、あれだけ念押されたから、な。寝てたなら悪かった」
 「あ、あぁ……いや、平気だ」
 「じゃ、そういうことで。俺もう、眠くて限界だわ……」

 言っている端から欠伸を零す。眠い、のだろう。ボリスに感覚がないだけで、こんな時間まで起きていれば眠くなるのが普通なのだ。
 フラフラ覚束無い足取りで立ち去っていく同僚を見送ってからボリスはドアを閉めた。
 手の内に納まる、薄い封筒。相手が言う以上コプチェフからで間違いないのだろうが、しかし、何故。
 行く前に言いそびれた事でもあったのだろうか。それにしたって電話一本で事足りる。急ぎで、と言うならそちらの方が圧倒的早いのに。益々もって意味が分からない。
 何気なく封筒を振ってみるとカサカサ小さな音がする。紙の音、ではないような気がするが―――じゃあ何だ。
 考えるより見たほうが早い、とさして期待も抱かず封を切る。


 「……は?」


 思わず、声が漏れた。その音さえ封筒から溢れ出た香りが掻き消す―――濃く、部屋の隅まで広がる、花の匂い。

 広げた中に紫が見えた。
 すっかり水分を飛ばされ、カサカサに乾燥しきった薄紫色の花が数本。植物に疎いボリスでも名前を知っている強い芳香を放つラベンダー、それだけが入っている。


 急いで届けろ?コレを?メモ一枚ないし、何を伝えたかったのかやはり不明だ。


 ……けど、


 「……何だよ、」
 



 『ちゃんと寝るように』




 そんな小言ともつかないことを言っている―――気がした。





 硬直していた体を解したのも、花の香りだった。鼻腔から取り込む鎮静成分に自然精神が安らぐ。ボリスが思っていたよりもハーブの効能とやらは大きいらしい。
 ストン、と抜ける力に合わせベッドへ腰を下ろす。暫く手元の封筒へ視線を当ててボリスは黙考した。
 余計なお世話だ。
 一番に浮かんだ、この場で最も適切だと思われる言葉は、何故か口の中で行き場を失う。溜息も、皮肉も、強がりも。

 だって、ボリスが眠らなくても、彼は夢を見るのだ。
 何処の空の下に居るかも分からない、危険と緊張に挟まれた中でもきっと、スヤスヤ安眠を貪っているに決まっている。
 寝ないで付き合う、なんていつも嘘ばっかりで。一人幸せな寝息を立てて、置いていってしまう。


 もし―――この花で、この香りで、同じ場所へ導こうというつもりなら、


 
 「…………」

 徐に、ボリスは封筒をひっくり返した。バラバラと落ちるラベンダーは重力に逆らいもせずシーツへ散る。白色に新しい色を齎したその上へ、続いてボリスが。
 漂う香りが一際強くなる。無造作に乗ったから腹の下で潰してしまったのかもしれない。
 構わず、深く息を吸い込む。甘い、透き通った花の匂い。肺一杯詰め込むつもりで空気を集める。指先に触れる乾いた感触に、薄紫のそれを引き寄せて直接嗅いだら頭の芯が少しぼうとしてきた。

  でも、足りない。足りない。足りない。まだ足りない。

 体に緩い波のような感覚を覚える。包み込む花の香ごと、ゆるり、ゆるり。意識が揺蕩う。
 少しだけ、眠れるかもしれない。それも多分、ほんの何日かだけだろう。だから、




 「早く、帰って来い」

 (会いたい、なんて言えないから、)











この香り消えるまで君を待つ


――――――――――



キセキのハナ …双子×緑






 君に、この花を捧げよう、







 199×年、某日。






 「―――遅い。」
 「……」
 「毎回毎回悉く遅刻しやがって。何様のつもりだ」
 「……煩い」
 「少しは悪びれろ。一体どれだけ待たせたと思ってる」

 壁の時計を見れば、確かに予定よりは遅れている。具体的に言うと、短針が1周分。
 だから別に、どうしたというわけではない。所詮いつものことだ。

 「……そっちが勝手に決めた時間だ」
 「それで良いと承諾したのはお前だ」
 「…………言った覚えは、」
 「ないとか抜かすなよ痴呆」
 「………………」
 「大方暢気に夕飯の相談でもしてたんだろ。いい加減優先順位くらい考えられるようになったらどうだ」
 「なら、帰る」
 「じゃあ帰れ」
 「……」
 「……」
 「……小言より、さっさと出せ」
 「誰のせいだと思ってる……」 

 ブツブツ言いながらももったいぶらず出された『それ』―――僅か変化した目の動きに気づくには、相当付き合い深い相手でなければ無理だ。

 「……」
 「一応、完成の報告を受けた。前の段階よりは確かにマシになってるな」

 あえて意見を聞くまでもない。目の前にある現物が全てで、この上ない真実である。
 一つ、鼻を鳴らす。十二分な、評価を込めて。

 「…………悪くはない」
 「ああ」
 「……」
 「……」
 「………」
 「…………で、」
 「………………」
 「その手は何だ?」
 「………………何がだ」
 「何がだじゃねぇ何持ち逃げしようとしてやがる貴様」

 即行で掴まれた腕は、残念ながら容易に抜け出せるものではない。ねめつける眼差しはそしてそれ以上に圧力強い。
 チッと一つ舌打ち鳴らして足を止め、然しながら持ち上げた『それ』はあくまで手放そうとはしなかった。

 「逃げてはない」
 「口答えするな。良いから返せ」
 「お前の物じゃない」
 「お前の物でもねぇだろう」
 「……情報を出したのは、俺だ」
 「だから何だ。まさかその程度で自分の物だと言うつもりか?」
 「権利がある」
 「ほざけ、こっちは研究所丸ごと買い上げて資金から人材まで全部面倒見たんだ」
 「それがどうした」
 「お前の理屈で言うなら俺の方に圧倒的分があるだろうが」
 「関係ない」
 「ふざけんな」
 「どっちがだ」
 「……あぁ?」
 「教えなかったら、興味があるのすら知らないでいた」
 「ハッ、そんな訳あるか。自惚れも大概にしろよ馬鹿」
 「ある」
 「ない」
 「ある」
 「ない」
 「あるに決まってる」
 「ないと言っている」
 「あると言ったらある、」
 「ないっつったらねぇ、」
 「俺があると言えばあるんだ、戯け」
 「黙れ。俺がないと言う以上、ない」
 「…………」
 「…………」
 「……本気で、殺す」
 「……テメェが死ね」
 「………何だと、」
 「………何だよ、」
 「………………」
 「………………」

 室内の温度が目に見えて下がった。首筋の後ろがざわつく馴染みの感覚が室温とは対称に身を高ぶらせる。

 「…………………」
 「…………………」
 「……………………」
 「………………………」
 「…………………………」
 「……………………………」
 「…………、………………止めだ」
 「……………………………だな、」

 どちらともなく、上げていた手を下ろす。
 殴るのは簡単だ。勝敗がつかずとも、とりあえず力任せに発散すれば互いの気が済む。何十年と前からずっと、そうやって折り合いをつけてきた。


 だが、最早それらも昔話だ―――若気の至りとも呼べる、遠い昔の話。



 世界の中心に自分を据えていた頃の、自分が全てだったあの頃の。



 望んだのは2人[・ ・]で居ること。



 望まれたのは2人[・ ・]が居ること。




 相反する欲が満たされることはない―――そう、思っていた。





 それでも、叶わぬと思った想いは確かに、実った。




 決して咲くはずのない一つの形へ、花綻ばせるように。






 だから『それ』を届けよう、



 

 「「行くか」」


 


 君の元へ。









 ピンポーン、ピンポーン。

 立て続けに2回鳴らされる呼び鈴は最早慣例で、足音に近い認識がなされている。
 昨今来訪者用モニターも普及しているのだが当然のようにその画面を確かめることもせず、程なくして内側から鍵が外れた。

 「キレネンコさんおかえりなさい~っ!キルネンコさんも!良かった、今日晩御飯お肉にしようねってキレネンコさんと言ってたんですよー。食べていかれますよね?もう全員分の買ってきちゃったし!ね、ねっ?」

 ひょこんと覗いた顔は大層朗らかで、且つ括った前髪やまろい頬が目立つため相対するのが初対面であれば間違いなく両親に代わってくれるよう申し出られただろう。
 実際、馴染みの商店街を歩いても未だ年を間違えられることがある。童顔は年を取らないというが、流石にそろそろ若く見すぎられるのが辛くもなってきた。
 しかし、顔で判断するなら向かいの2人もある意味変わらない。似通った面には古い傷こそあるものの、皺の類は一つも見当たらず細胞組織一片にまで艶がある。これが全て自前なのだと知れば世の女性は卒倒しよう。
 若い年寄りを論じるというより、年齢不詳。どことなく一線引いているような、近寄りがたい雰囲気が時間さえ退けてしまった。そんな錯覚を引き起こす。
 その要因とも呼べる感情に欠けた深紅の双眸二対が、唯一笑顔で受け止めてくれる目の前の相手を映し、頷いた。

 「プーチン」
 「何ですかー?」
 「手を、」
 「ほ??」

 両方から催促されるまま、素直に左右の手を差し出す。
 ほぼ無意識で均等に向けられた掌を、やはり張りの良い整った手が包み込む。揃って運んだ『それ』を収めた瞬間に、丸い深緑の瞳がここ数年来最も開かれたのを2人は忘れもしない。

 渡ったのは、一つの鉢。そこに咲く花は青い、想像していたよりもずっとずっと、蒼い―――








 2004年、一つのニュースが世間を湧き起こす。

 自然の中には存在せず、かねてより人々の夢であると同時に不可能だとされ続けた幻の花の出現。

 あり得ないと諦めることなく求め続けた、空の、海の、鮮やかなコバルト。多くの願いが咲かせた、蒼き花。



 ―――これは、それよりほんの少し早く、世界初の薔薇を手にした3人の物語。













共に居ること、それこそ奇跡


――――――――――
2011.09.21
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