捧げ先:ズッキーニ様


※設定お借りしました!
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還るべき場所

 



 昔、誰かから聞いたことがある。



 『還る場所を持たない奴は、弱い。

 何処へでも骨を埋められるからだ』



 誰だったかは忘れた。学生時代の教官だったのか所属したての時の上司だったか、はたまた聞いたというのがそもそも記憶違いで新聞か雑誌かに載っているのを見ただけかもしれないが―――やけに納得いかなかったのを、覚えている。

 確かに、護るべき存在があれば人は強くなれる。家族、友人、故郷。その肩に背負うものが多いほど、自身を奮い立たせる力になる。軍人などその典型だろう。市民の平和を守るべく犯罪者に立ち向かう自分たちだって、似たようなものだ。
 だから庇護する者のいない孤独な身空より、大切な誰かがいる方が―――還る場所を持つ者の方が底力が出るというのはまぁ、分からなくもない。

 だが、何処へでも骨を埋められることの、何処が弱いのだろう。

 骨を埋めるのは『覚悟』だ。【死】をも恐れない、『覚悟』。即ち、何時如何なる場所・状況においても持てる力全てでぶつかっていけるという事。
 逃げることなく、臆することなく、未練も保身もなく戦えるというならば。それは、何にも劣らぬ強さではないのか。脆弱な意思では、腹を括ることも出来ないのだから。
 命あっての物種、とは言うが、据えた決死の覚悟を軽んじるのは何事か、と当時は心中憤慨していた。

 多分、若かったのだ。
 命をかけるという行為が、純粋に勇ましさだと思っていた時代。がむしゃらに突き進むことで強くなれると思っていた頃が、ボリスにもかつてはあった。

 今は少し、分かる気がする。

 幾つかの死線潜り、生き残ることの難しさと大切さを実感した今は。
 忘れてしまった誰かが、その言葉をどんな意味でかけたのか。分かるような気がする。



 …………さて。



 「……いい加減、起きろっ!!!」

 部屋を揺るがす、怒鳴り声。鍛えた腹筋を最大に活用しての発声は常人なら一発で飛び起きる音量だったが、ボリスを抱え込む相手は何やらむにゃむにゃ寝言を漏らしただけだった。いっそ感心するほど図太い神経をしている。
 別に、横のが寝ること自体は構いはしない。時間的にはまだ早朝に部類するし、何より今日は休日だ。生産性を求める国でも定められた休みにまで口を挟む法はない。だらしなく惰眠を貪ろうとそれによって1日の大半が無為に過ぎようとシベリア送りになる心配はないのだから、心行くまで眠れば良い。何なら永眠でも結構。
 しかし、ボリスはそういうわけにはいかない。狙撃手である彼は射撃演習を含めた自主トレーニングを毎朝の日課にしているからだ。
 何十何百メートルと距離の離れた標的をスコープだけ頼りに打ち抜く作業は当然ながら易しくはない。ほんの僅か、手元に狂いが生じただけでも取り返しのつかない失態になってしまう。

 仮に仕留め損なって、作戦が失敗したら。間違い人質に当ててしまったら。

 才能は関係ない、確立した未来が存在しない以上、絶対の保証なんて不可能なのだ。出来るのは精々経験を積み、精度を高めるだけ。
 担いだ銃と弾の重みを本来の質量以上に知っているボリスはだからこそ、余計訓練を欠かさない。休日でも徹夜明でも、雨でも風でも吹雪でも演習場へ赴き、狙い引き金を絞るまでの感覚を確かめる。

 どうしても時間が取れない日は夕方に行ったりもするが、やはり朝の方がコンディションが良い。特に人が集まる前の早い時間帯は静かで集中できる。
 別に他人が居たからといって今更気が散ることはない。が、終わってから帰るまでに声をかけられるのが一番面倒なのだ。ただの挨拶だけならさほど問題でないが、世辞だの羨望だのやっかみだの、疎らな温度差の追従は耳栓を取った後の白黒の耳へしつこく追ってくる。そん な、人に構ってる余裕があるなら一発でも打てよ、と思ったりもするが、本当の事を言っても真逆に無視しても角が立つ。結局、ギャラリーが居ない時を選ぶのが一番楽だ。

 そのためにもさっさとベッドを出たいのだが―――絡みつく腕はがっちりボリスの体を押さえ込んでいる。押しても引いても、まるで緩まない。この、馬鹿力。幸せな夢でも見てるのか緩んだ顔に罵るが、やはりあちらの耳には届かず、それどころか更に擦り寄られる始末。
 元々長くないボリスの忍耐はみるみるうちに削れ。耳元で甘ったるい声が「ボリスぅ~……」と寝言を囁いた瞬間、ついにゼロに達した。

 バカリッ、音のする勢いで大きく口を開け、目の前チラつく紫に容赦なく噛み付く。
 歯へ当たった、コリコリした軟骨の感触―――なんか木耳に似てるな、と甘くも酸っぱくもない耳をボリスが評す傍ら、


 「―――ッギャァーーーーッッッ!!!」


 先の彼の怒号も凌ぐ絶叫が、辺り一帯を劈いた。

 反射的に緩んだ拘束からスルリ抜け出す。素早くベッドを降りたボリスは聞こえる呻き声に構わず、床のあちこちに散乱する服を拾い上げる。きちんと畳まなかったため随分と皺が目立つ。仕方ない、昨夜は久々の休み前なのもあってどちらも余裕がなかったから。
 出勤するわけではないから良いだろう、と二人分の衣類のうち自分のだけ見つけ纏っていく。その後ろでもぞり、人型したシーツが動いた。

 「目ぇ覚めたか、アホチェフ」
 「う゛ぅ……酷い、ボリス。起こす時は優しくキスでって前頼んだのに……」
 「もっと下の方噛まれたかったか?」

 甘美な夢から突き落とす強烈な目覚ましに、コプチェフが情けない声を出す。はっきりいって、痛いなんてもんじゃない。千切れるかと思った。
 歯型のくっきり浮いた長耳を押さえ涙目に訴えるが、しかし黒い瞳で冷ややかに下肢を一瞥されては両手を挙げるしかない。情事の折やたら噛み癖を覗かせる彼が、いつか肉ごと持っていってしまうのではと常々心配していたところだ。
 垂れ気味の耳を更に下げたコプチェフは、ここで初めて向こうが半分以上身を整えているのに気づいた。

 「あー、練習行くんだ?」
 「まぁな」
 「真面目だねぇ~」

 シーツ一枚、裸でゴロゴロしているコプチェフの現状と比べれば大抵が真面目になろう。特に嫌味でもないのでボリスも「うるせぇ」とあしらうだけ。
 防弾ジャケットのファスナーを上げ、ベルトを締める。洗面所で顔を洗ってから帽子を取りに引き返すと、丁度コプチェフが煙草に火をつけたところだった。流石にもう二度寝するだけの睡魔はないらしい。胸に引き寄せる恋人の代わり、紫煙を満たす。

 「どれくらいで戻る?」
 「そんなに長居しねぇ。三十分くらい」
 「そか。じゃあ終わったら朝飯いこ」
 「おー」
 「あと今日、どっか行きたいとこある?」
 「特に。お前は?」
 「んー……髪切ろっかなぁ。毛先ばらついてきたし」
 「いっそ後ろ全部切り落とせよ」
 「えー、ボリスだって長いほうが好きでしょ?昨日だって散々引っ張るし、」
 「うるせぇ。坊主にしちまえ」

 とりあえず、今日は朝食を食べてからコプチェフの散髪をし、値下がりした服を少し漁った後でガンショップを覗く。帰る前にスーパーに寄り、適当につまみその他を購入。紅茶は切らしているから絶対忘れないこと。
 目線も交わず飛び交う端的な言葉でスケジュールはほぼ決まった。後は、ボリスがトレーニングを終えて部屋に戻るだけ。
 その間コプチェフは部屋の掃除をしたり汚れたベッドカバーを洗濯したりする。ボリスについて行くと慌てなかったのは、そういう事だ。勿論、ボリスも聞くまでもなく承知しているからわざわざ尋ねたりしない。
 ブーツの紐をギュッと結び直し、ドアに向かう。足取りに覚束ないところはなく、真っ直ぐ前を見据える。その鋭い眼差しは、どこか現場へ出動する際を思わせた。


 「じゃあな、」


 ノブに手をかけ、反対の手を軽く上げる。
 振り返ることはしない。ただの練習に行くだけで命の危険があるわけでもないし、『本番』のときだって。いつも、残す側の方を確かめたりなんて、しない。

 そこにある、絶対の信頼と。固めた己の―――

 背中を向けたまま、すぐに手も下ろして。
 上げた片足が敷居を跨ぎ、廊下へ今まさにかかとが着こうとする寸前。かけられた待ったの声に、ボリスの足が咄嗟下がる。
 首だけ捻って室内を見た彼に、相変わらずだらしない格好でコプチェフが煙を吐いた。

 「やり直し」
 「は?」
 「さっきのはお別れの時に使う挨拶でしょ?もっかいやり直して」

 にっこり、笑顔での要求。ボリスが怪訝そうに顔を顰てもどこ吹く風、小さな子の覚え間違いを正すよう丁寧に促す。ならせめて、そっちも服を着るなり起き上がるなりしろと言いたい。優雅に休日スタイルで説教されても、説得力が皆無だ。
 しかしどんなに反発口にしたところで、あちらが諦めそうにないのは耳を見れば分かる。薄っすら歯の輪郭浮いた、藤色の耳。垂れた両耳が期待を込め、若干持ち上がっている。ついでに目も。やんわりした圧力で、ボリスを折れさせようとしている。
 最早、こうなれば強制じゃないのか。ほらほら、と枕に頬杖ついた相手にせっつかれ、理不尽に近いものを感じながらもボリスのへの字に曲げた口が開く。



 「……行ってくる」



 改めて言う必要、ないだろ。

 こんなこと―――大儀そうに溜息へ乗せて言った挨拶は気のせいか、反芻するとやたら恥ずかしい。
 暢気な「行ってらっしゃい~」と送り出す声よりも先に外へ出。ゆっくり戻ろうとするドアを、ボリスが背中で強引に押し閉めた。
 熱気感じた顔を拭う。指先へ触れる体温が落ち着くまで、数呼吸。耳先まで常温になった彼はもたれた体を起こし、廊下を蹴る。


 当初よりも遅くなった時間を、ここで挽回するべく。今度はあの部屋へ「ただいま」と伝えるために。前へ、蹴る。








 還る場所を持つ奴は、強くなる。


 誰かを護るがため。誰かが、待っていてくれるがため。


 別れを『覚悟』するより、再会を望む方が遥かに力へ繋がると。





 少しだけ―――分かったんだ。



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2012.03.07
『時とともに』のズッキーニ様のお誕生日祝いに押し付けさせてもらいました。
丁度昨年ありがたくもお会いできる機会があり、その時思いついた内容を纏めようとしたのですが…あらぁ?な結果に。orz
本当のズッキーニさんのボリスは、もっと格好良いのです!そしてコプもこんなダラ夫じゃないのです!!!
すみませんズッキーニさんでもおめでとうございますハッピーバースデー!