※注意※ ・カップリングなしの兄弟昔話です。 ・冒頭流血有りです。
福音に向けるアリルイヤ …双子過去 弾むように足元へ転がってきた物体を、キレネンコは無造作に蹴飛ばす。 赤い筋を描いて宙を舞ったそれは、薄汚れた路地の壁にぶつかると鈍い音を立てて弾けた。 真っ赤な花が一つ、咲く。 降ろした足の先、その壁と同じ色の汚れを発見したキレネンコは舌打ちすると、「おい」と前方に向けて声を発した。 「汚ねぇ殺り方するな」 窒息死を引き起こせそうな程低く威圧のある声に、愉快げに細められ赤眼が向く。 吊り上げた口元が、非難に対して明確な発音でもって応じた。 「千切るのが一番楽だろうが」 とても単純な道理を告げるように言ってのけてから、第一、と続ける。 「お前には散ってねぇだろう」 編んだ髪を揺らしてキレネンコへと体を向けるついでに、薙ぐように振るわれた左手から左の腕が跳んだ。 誰の物か分からない腕は、地面に転がる他の部分―――それは足だったり指だったり、また別の足だったり、キレネンコが蹴飛ばした首だったりする――― の元へ落ちた。 水はけの悪い路地に出来た赤い水溜りが、びしゃりと飛沫を立てる。 粘つきを感じる音に気を止めることなく振り返った姿は至る所が返り血で汚れている。 この状態を築いた過程―――言葉の通り人を千切るという作業をすれば当然の事だ。それに対せば、汚れないようにさっさと下がっていたキレネンコ は影響を受けていないようにも見える。 「靴が汚れた」 「自分で汚して何言ってやがる」 忌々しげに眉を顰めている片割れに、キルネンコは喉で哂って指摘する。 解体作業の最中後ろに転がっていった一部に、キレネンコが足を振り上げて接触させた事を彼は知っていた。 「俺の雑誌だって汚れた。最悪だ」 そもそも常の事ながら一番に喧嘩を始めたのはキレネンコの方だったのだ。 一緒に立ち会っていたキルネンコは、彼がナイフやらハンドガンやらを持った連中と 殴り合っているのを放置したまま、持参したスニーカー雑誌を眺めていただけだ。 吼えるような怒号も発砲音も、崩壊するコンクリート壁の音も意識を向ける要因にはならない。 時折自分の方へ吹っ飛んでくる連中を、雑誌から目を上げることなく蹴飛ばす。 強制的に軌道修正をされて頭から壁に激突する相手がどんな状態になっていようが興味は無い。趣味に関する雑誌以上の内容など、そうそう無い。 なので、彼が誌面を閉じて転がった一人に歩み寄ったのも、現状に飽きたからではない。 鼻血か血反吐か判別のつかない物を垂らして男が呻いている。 いかにもな巨漢は、まさか大して横幅のないキレネンコの拳に吹き飛ばされるとは思っていなかったのだろう。 ましてや向こうの連れは同じ体格の男が一人で、こちらは両手以上。私刑には出来れど、それが返り討ちに―――しかも、二人がかりどころか 一人相手に返り討ちに合うなど、この世界では許される事ではない。 あの赤髪野郎、死んでも殺してやる――― 憤怒と憎悪で、流れ込んだ血で赤くなった視界が更に燃える。 その端に、スニーカーの先が入り込んだ。 よく磨きこまれた跡が見受けられる、一点の汚れもない靴。それは今しがた思い描いた相手の足にあったように思えた。 今、やらなければ。 残った気力を振り絞り、「ぶっ殺す」と雄叫びを上げようとした矢先、 「ぶっ殺す」 叫び声とは程遠い、平坦な低い声は不思議と激昂していた男の耳に大きく響いた。 言われた内容を脳で理解するより早く、視界が急上昇する。 磨かれた靴から伸びる長い足、揺れる編まれた赤髪、そして嗤いの形に歪められた口元と赤眼。 その足元に鮮血の飛沫を噴き上げ倒れる己の体を俯瞰しながら―――男の意識はぶつりと切れた。 壁に阻まれた路地を抜けると、遠くから鐘の音が響いていた。 低く、高く、潮騒のように尾を引きながら広場を抜け、家々を越し、空へと消えていく。 この世にしがみ付こうとして足掻く屍が鳴らす音だ。 「今回は、何人だ?」 「五人」 何が、と聞き返す事無く返ってきた弟の返答に、キレネンコは僅か目を眇めた。 ―――最近、少し多くなってやがる。 元々危険も死も常に存在する裏世界だが、ここ最近はどうも具合の悪い事が立て続いている。 取引のしくじりや手をつけている企業の問題発覚、そして面倒な襲撃の数々。 キルネンコが示したのは、先日報告された死体になった部下の人数だった。 寂れた廃工場の中で発見された事や暴行の痕跡から、単なる事故でないのは明らかだった。 どこの人間が手を出したのかは未だ分からないが、恐らく路地裏に放置してきた連中が絡んでいるのだろう。 手始めの下っ端が簡単に出来たので、侮ったままりトップへ手を出したのだと見当がつく。 キレネンコとキルネンコが大抵手元に部下を置かず、二人でふら付いているのも油断させる一端になっていたのかもしれない。 だとしたら連中の鼻を明かした訳だが、二人は特別高揚する事も逆に仕掛けられた事に激昂する事もない。 やられっぱなしになるつもりは毛頭ないが、死ぬのを防げない者に一々構いはしない。 殴ってきたら、殴り返す。 殺す気で来たら、叩きのめす。 そうやって生きて行く事ができないのなら、その人間の死期はさして遠くない。 ファミリーに絆は存在するが、ただ庇護して馴れ合うだけなら裏世界で生きる必要はないのだから。 「そういえば、どっかのなんとかって奴が珍しい物回すって言ってきてるらしいぜ」 「……どこの誰だ」 「忘れた」 至極あっさりとキルネンコが言い放つ。 彼にしてみれば重要なのは物―――珍しいという靴であって、渡すのがどんな素性の人間でも構いはしない。 卑屈な笑みを浮かべておべっかを使う、パンダのような男だった気がしなくもないがどうでも良い事だった。 「裏ルートで盗るから、近く来いだと。行くか?」 怪しい事この上ない話に、しかしキレネンコは考えるまでもなく僅か顎を引き肯定を返す。 先程まで自分達を取り巻く不穏当な空気を感じ取りながらも、だ。姿のない危機感など、二人が歯牙にかけることはない。二人にはそんな事など、関係がないのだ。 少し前を行くキルネンコが、その前に雑貨屋に寄るように言った。彼の雑誌は乱闘の中で最初被害にあったページだけでなく全体的に解読不可能になってしまったので 買い直す必要があった。 先と同じように肯定を表して、キレネンコはふと、足を止める。 耳を澄ませばまだどこかで鐘の音は鳴り響いている。 鎮魂とは名ばかりの、死者の悲鳴が鳴り響いている。 あの鐘を―――いつか自分達も鳴らす日が来るのか。 死ぬような経験は覚え切れない位、ある。それでも結局二人揃って生き続けてきた。 なまじ頑丈な分、どの程度なら自分の身が持たないのかが分からなくすらなっている。 キルネンコが今しがた行ったように、人としての形を損壊させて人体で無くならせてしまえば保たなくなるのか。 それすら何の痛痒も感じずに息を続けるのか。 神とやらに縋り付いて、鐘を鳴らし続けるのか。 「どうした、キレ?」 「―――別に」 何でもねぇ、と口の中で呟いてキレネンコは歩を進める。 汚れた靴が歩く度ちらつく。さっさと新しい物を手に入れて、履き替えなければ不快だ。 足早に追い越す双子の兄に、キルネンコは肩をすくめて並ぶ。 ―――何が起きようとどうなろうと、関係などない。 例え―――明日、この命が消えようとも。 空には未だ、アリルイヤが木霊し続けていた。 ―――――――――― 2010.2.19 アリルイヤ…正教徒でのハレルヤの意。 ぶっちゃけ冒頭のぎゃくさつが書きたかっただけ。 戻 |