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※注意※
・微妙に別カップリング含んでいます。
・並びとしては看守+赤+緑です。並び方にご注意を。





フラワー・パニック! …看守+赤+緑。


 くしゅん。

 「ほ?」

 コサックを踏むリズムの間に聞こえた小さな音に、プーチンは浮かしかけた足を止める。
 ほんの小さな音だったので、それが何かは分からない。見回すほどの広さも無い房の中をぐるっと見回すが、プーチン以外は全員自分の陣地で大人しくくつろいでいる。音を立てる要因など、誰にもない。

 気のせいかな。

 そう思って、再度腰を落とそうとしたところで、

 くしゅんっ。

 と、また聞こえた。先程より少大きな音は、今度は空耳ではない。
 バッ!と振り返ったプーチンは、コサックで踏みしめていたベッドから飛び降りると、猛ダッシュで隣のベッドへと駆け寄った。

 「キレネンコさん、風邪ですか?熱はありますか?お医者さん、呼びましょうかっ!?」

 勢い込んで寝転んで読んでいる雑誌の間を割り、額に手を当てる。触れた温度はプーチンの掌より、低い。だが、ぼんやりと光の少ない瞳に熱が無いと誰が断言できようか。食事に出される活きの悪い魚はみんな、こんな目をしている。
 死に掛けの魚と同列に評された目は、しかしゆるりと動いて悲壮な顔をしているプーチンを捕らえた。

 「なんとも無い」

 額に乗る手を退かすと、キレネンコは何も無かったように視線を雑誌に戻した。
 その普段と変わりのない素振りの前で、プーチンはおろおろと困惑する。

 「え?え?でも、今くしゃみしませんでした?」
 「してない」

 きっぱり、と。断言されてしまって、プーチンは口ごもった。心配ではあるが、こうもはっきり言われると言い募れない。くしゃみも聞こえた気がしたが、本人が違うというのならそうなのだろうか。
 迷いに迷った末、相手を信じようと、プーチンは頷く。
 と、その頬を一陣の風がなでた。

 「―――ああ。春ですよねぇ」

 小さな換気窓から入ってきた柔らかな風に、緑の瞳が穏やかに細まる。外の景色を窺えない箱庭からでは遷り変わる景色の全景は見えないが、凍て付く寒さの和らいだ部屋にも、春はある。
 ほんのりと暖かい空気を、胸一杯に吸い込む。鼻腔を抜ける際わずかに香った甘い匂いは、名前も知らない花のものか。

 もう直ぐ出所の時期が来る。今年は間に合わないが、また季節が一巡したらお弁当を持って花を見に行こう。
 折角なら、彼も一緒なら良いのだけど―――

 穏やかさと少しちくりとする切なさの間で思いを馳せていた意識に、小さな音が滑り込んだ。

 くしゃん。

 「……キレネンコさん?」
 「……………………」

 ごく近くで聞こえたくしゃみに、プーチンがベッドの上を見る。雑誌で隠れた下で、ぐず、と鼻を啜るような音がした。

 …………今のって、ひょっとして―――くしゃみ?

 浮かんだ疑問に、じーーーっ、と伺うようにしているプーチンの前を小さな蝶がひらひら横切る。開け放しの窓から入り込んできた春の妖精は、羽を動かすままふわんとまとった粉をはためかせた。

 くしゅっ。くしゅんっ。ぐゅっ。

 今度は三連発で、しかも微妙に雑誌の下の頭を揺らしながらされた音は隠しようが無い。
 くしゃみ三回は悪い噂だったかな―――と、よく聞く話を思い出しながら、しかしプーチンはそれが彼のくしゃみの原因でないのをなんとなく気づいた。

 「キレネンコさん……もしかして花粉症?」

 口から返事は無い。代わりに、くしゅんっと少し高い音が本人の意思とは無関係に肯定した。
 ぱちり、と瞬かれた目の前で、雑誌から片手を離したキレネンコが、ぱたぱたと脇を叩く。
 何かを探すようなその手へとりあえずトイレットペーパーを渡し―――嫌がらせではなく、監獄の中でまともな紙といえばそれくらいしかない―――プーチンは驚きとも感心ともつかない声を上げた。

 「キレネンコさん、花粉症だったんですか……初めて知りました」

 去年一昨年と一緒にいながら、花粉どころか風邪ひとつ引かなかった彼がくしゃみをする様は見たことがなかった。
 そういえばここ数年は冬が何時もより長くて、明ければあっという間に夏が来ていたのを思い出す。監獄から出られないため分からなかったが、花も余り咲いていなかったのだろう。
 器用に雑誌で顔を隠しながら鼻を啜る相手を、プーチンは新鮮な気持ちで見た。

 完全武装した相手でも片手で捻る相手が、花粉にやられてしまうとは。
 まさに、晴天の霹靂。

 見る見る巻きを減らすペーパーに「看守さんに新しいのをもらっとかなきゃ」と、プーチンがまだ微妙に衝撃を受けながら考えている時。

 扉の外で、ものすごい勢いで頭を回転させる存在があった。



 花粉症だって?あの血も涙も流れていない、神経が通っているかすら怪しい凶悪犯が?
 ―――そんなまさか。中で二人結託して、聞き耳を立てていた自分をからかっているのではないのか。
 しかし凶悪犯は別として、善良に囚人服を着せたようなあの模範囚がそんなことをするはずが無い。
 春先の嘘をついても許される日はもう過ぎてしまっている以上、これは正真正銘の、真実。


 真実、奴は花粉症だ―――!



 にたぁ―――と、三日月のように開いた牙ある口を、飛んでいた蝶が慌てて避けた。







 ごんごんごんっ!

 打ち破らんばかりの勢いで叩かれた扉に、プーチンはあわてて駆け寄った。
 なんだか乱暴だけど、看守さん機嫌が悪いのかな?と若干逃げ腰になりながら、扉の前で気をつけの姿勢をとる。
 ゆらゆらゆれていたら怒られるかもしれない―――普段になくしっかりと地面につけたプーチンの足元で、ポストが開いた。

 最初に目に入ったのは、最近とみに目に付きだした色である、赤。
 それから黄色、白、ピンク、オレンジ、紫エトセトラエトセトラ。
 色とりどりの、花、花、花。
 無機質な房に突如として溢れた鮮やかな色とその匂いに、歓声が響いた。

 「わぁあ!すごい、綺麗ですね!こんなに沢山の花、どうしたんですか?」

 色々な種類の花を詰めた花束へ目を丸くしているプーチンに、扉の向こうでカンシュコフがふふふふと笑う。
 笑うしか、今の彼には反応が返せなった。
 ともすれば腹を抱えて床に笑い転げてしまいそうだ。自分を律するのに、口を開くことは出来ない。
 歯並びの良い口を必死に閉ざしながら、大変嬉しそうな顔で彼は頷いた。

 そうだろう、そうだろう模範囚!すごい花だろう!

 なんたって支払われたばかりの給金全てを使い込んで仕立てたのだ。今月も始まったばかりだというのに、すでに明日からカンシュコフの昼食は水筒に詰めた水と食堂のおばちゃんから分けてもらった塩だけだった。
 それでも構いはしなかった。例えそれで倒れて筋肉質の労働監督者に俵担ぎで運ばれようと、搾り取れるところまで搾ろうと借用書をチラつかせる高利貸に騙されようと、死相の出た顔を処刑屋に嬉々とした目で見つめられようと、己の目的を達成できるならば一向に構いはしない。

 これから起きるであろう状況を想像して笑みを隠せないカンシュコフの前で、プーチンがリボンまでしっかりかかった豪奢な花束を手に「これ、くれるんですか?」と首を傾げてくる。
 その姿に、カンシュコフは勿論―――と、首を縦に振る。


 勿論、やるさ。一番重要な目的が終わった暁には、両手でそれを進呈しよう。

 その時は模範囚、お前も両手で受け取ってくれるだろう?
 今と同じように「嬉しいです!」と頬を染めて微笑みながら―――


 その模範囚が手にする花束よりも広大な花の広がるカンシュコフの頭の畑に、落雷が落ちた。

 鳩尾に感じた衝撃が、トリップしかけていた意識を引き戻す。鉄板越しにもかかわらずそれを折らんと繰り出された蹴りに、然程軽くもないカンシュコフの体が軽々吹っ飛んだ。
 ごんっ!と叩きつける頭から花畑は消え去り、彼は金髪の頭と腹、両方を手で押さえて呻く。
 夢の目覚めには強烈過ぎる一発に現実へと戻った意識で理解するのは、微妙に曲がった扉の向こうで当然のようにプーチンの前に立つ、長身の死刑囚。

 着ているのがストライプの囚人服でなければさぞ映えるだろう手にした花束を、キレネンコは無表情で扉へと投げつける。
 哀れ咲き誇ったにも関わらず扉に衝突した花は、美しい花弁をバラバラと散らしてしまう。
 それ一本で何日の食費になると思っているんだ―――と、花の代わりにカンシュコフが相手への殺意を一層強くする。が、その人物の高い鼻の頭が薄っすら赤みかかっているのを見て、ブラウンの瞳は喜び勇んだ。


 やはり、自分が耳にした会話は嘘ではなかった。
 今扉の向こうで相手が散らしてしまった物、それ自体がすでに向こうの首を絞めている。
 これほど地の利が向いている時はない。―――いざ、決戦のとき。

 ジャキンッ!と愛用のマジックハンドを両手に構え、彼は雄叫びと共に扉へ突進した。



 「その花を受け取れ死刑囚!俺からの愛だっ!!!」



 ばっ!と。
 半分以上散った花束を両腕代わりのマジックハンドで掴み上げ、思いっきり前へと差し出す。
 扉の前で片膝をついてポーズを決めたカンシュコフは、片頬を上げて笑った。


 決まった……!


 頭の中に鳴り響くファンファーレ。祝福の歓声。遠くから手を振ってくれるのは、自分が公務員になる事を手放しに喜んでからこの世を去ってしまった両親か。
 嗚呼、と胸が感激に震える。これで、これで全てに決着がついた。

 親父にお袋、今やっと俺は男になれました。もう触れることは叶わないけれど、その墓前に今度大切な人を連れて帰ります。
 この扉の向こうの、ちょっと世間ずれしている、愛する人とともに―――


 「…………愛?」


 姿勢を低くした頭の上から降ってきた声は、高かったのか低かったのか。


 やたら小さな、しかし硬質な声はうっとりと思いを馳せていた頭を覚ますのには、十分だった。
 はたと開いたブラウンの目に映ったのは、呆けたように口をあけて丸い目を更に丸くしている、愛すべき模範囚。
 それと、さらに一歩こちらに近い位置で何時もの死んだ魚のような目をさらに深くして立ちすくんでいる、憎き死刑囚。

 赤いストライプの囚人服を纏う胸に押し付けられていた花が、音を立てて落ちた。

 ………………

 「―――うげぇぇっ!!!」

 怒涛の勢いで喉元をせり上がってきた酸っぱいものに、カンシュコフが慌てて口を手で覆う。奇しくも、扉の向こうで赤い格好をした相手が同じような格好を取っているのが見えた。
 成程こういうダメージの与え方もあるのかひとつ勉強になったな、などと感心している余裕は無い。
 そもそもそんなやり方をしていたら、先にこちらの身が持たない。伴侶を連れて帰ると誓ったばかりの 両親の元で永遠の独身貴族を送ってしまうことになってしまう。それだけは勘弁してもらいたい。

 ―――なんたって自分は未だ若く、見た目だってモデル並みとはいかないが中の上ぐらいには整っている。薄給ではあるものの一応天下の公務員だし、粗暴な囚人にも根気良く付き合う紳士だ。
 どんなに激しい思いだって、この身一つで全て受け止めることが出来る。


 例えば、顔にめり込んできたマジックハンドのように。


 ごきょっ―――と自分の獲物で頬を抉られたカンシュコフに、容赦なく愛情第二弾が注がれる。
 右、左、右、左とテンポ良くジャブとフックを繰り出すキレネンコの目は、憤怒よりもおぞましい物を見下すような軽蔑の色が強い。最大限に距離を取れる長物で殴ってくるのも、近寄りたくないという意思の表れなのだろう。
 薄れゆく意識の中再び見えかけた綺麗なお花畑に、カンシュコフはこの場所で唯一、自分を救ってくれる存在に目を向ける。

 花束を渡すと言ったとき浮かべた、花のように愛らしい笑顔を持つ存在を。

 すがるように向けられたブラウンの瞳の前で、プーチンがそっと花束を拾った。

 「……そっか……この花、僕にじゃなかったんですね……
 ―――大丈夫です。僕、キレネンコさんもも看守さんも好きだから、二人が幸せになってくれるなら、それで……」


 あれ、でも何でだろう視界ががぼやけて前が良く見えないな―――


 花のような笑顔を痛々しく歪ませ、震える声で笑って。大きな瞳に一杯に、切なさと溢れる涙を湛えながら。

 その眼前で、極悪死刑囚がプーチンから花束を奪うのをカンシュコフは見た。
 半端ない怪物の握力の中で、ぐしゃりと花束―――嗚呼なんてことをそれはお前を苦しめた後で模範囚に改めて渡す予定だったのに、ていうかお前花粉症はどうしたんだよ?―――が潰れる。

 「……―――死ね。」

 そう、短く告げ。
 手にした花にくしゃみ一つ零さなかったキレネンコは、代わりに眼下の蒼白な顔へ拳を落とした。



 ほどなく廊下へ転がり出されたカンシュコフは、発見した労働監督者に連れ帰られ、葬儀代の費用を回収する高利貸しと率先して棺の用意をした処刑屋の手によって、両親に挨拶をしに行く準備を整えられた。

 勿論、中には花一つついていない花束をそっと添えて。

 



――――――――――
2010.4.24
色々な意味ですみません……
この後ちゃんとキレ様はプーにプロポーズしたと言う事で。(逃)