作者様:『World's End』 月影 眞様


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逃げ水



 ジリジリと薄っぺらな皮膚を焼き付ける太陽。茹だる様な暑さは近年問題視されている異常気象からなのか。極寒の国と呼ばれ高いここロシアでさえも、例年にみない暑さを更新していた。


 蝉の鳴き声が我が身に染み入り陽炎揺らぐ街の中。
時刻は一番暑い午後2時をさす。


 そんな灼熱の太陽が作り出す、白と黒の世界を宛もなく一人歩く男。色濃い錦糸の髪に透き通るブラウンの瞳。カンシュコフだ。カンシュコフは暑さでボーとする頭を何度か左右に振り、意識飛びそうになる己を戒めた。そして誰かを捜し求める様にそのブラウンの瞳を凝らし、辺りを見回す。

 かれこれ一年。情報が入る度、休みがくる度にカンシュコフは淡い期待を胸に街を訪れていた。理由は脱獄をした彼の赤い死刑囚にもう一度会うため。


 カンシュコフは自分でもどうかしていると思う。自分勝手で我が儘で、我が道を行く傍若無人振り。好き嫌いも激しく、嫌いなものを出すとすぐに殴る。一度キレると手を付けられなくなり、死にかけたことだって何度もあった。普通の看守ならばそんな問題児「脱獄してくれてよかった」と思うだろう。例えそれにより、減俸にされようが厳罰を受けようが、自分の命さえ助かればそれだけでいいと。


 しかしカンシュコフはそうは思わなかった。好きとか嫌いとか、恋愛感情があるわけではない。ましてや、長い付き合いで情が湧いたという訳でもない。ただ初めて逢った瞬間に目にした、燃えるような紅い眼が忘れられなかった。
生きることすらどうでもいいと、半ば諦めたかの様に見えるやる気のない眼。けれど反面、人を一瞬にして射竦め虜にすることができる不思議な力。そんな眼にカンシュコフは囚われた。



 だからもう一度、もう一度だけ、あの紅い眼に映りたい。その一心でカンシュコフは一年もの長い間、こうしていろんな場所をさ迷い歩いていたのだ。



 今回は民警に勤める友人からリークしてもらった情報だった。
「当てにするなよ」と言われたものの、見知らぬ街を彼の赤い死刑囚を捜し歩き続ける。

どれくらい歩いただろうか。流石に暑さで頭がボーとして、夢か現かわからなくなる。

見上げた時計は何故かまだ午後2時。一番暑い時間帯。
風が凪いで音が消えた。



 先程まで賑わいを見せていたはずなのに、通りには人っ子一人存在しない。周りから人影がなくなったことに不安が過ぎり、キョロキョロと辺りを見渡すと道の向こう側、見覚えある人影が足早に通り過ぎていく。赤い彼の人―――


 「……おい、待てよっ!」


 カンシュコフは慌てて追いかける。追いかけるが、何故か追いつくことができない。追いついたと思うと、遥か彼方にいってしまう。まるでそれは蜃気楼の様に。

 人影は細い路地を通り、広場を抜け一軒の店の前で姿を消した。今にも潰れてしまいそうな古い建物。ゴクリ唾を飲み込み、カンシュコフは意を決して店内へと続く重たいドアを押し開けた。


 ギギィー…鈍い音を立てるドアに眉を潜め、カンシュコフは店内を見回す。
日の差し込まない薄暗い店内に人は疎らで、カウンターには恰幅のいい親父が一人。どうやら喫茶店らしい。ホッと胸を撫で下ろし、もう一度ぐるり店内を見回すがもう捜し人の姿はない。

 「今ここに男が入ってこなかったか?」

 カンシュコフはカウンター席に座り、この店の店主らしき男に話かけた。けれど返ってきた答えは「知らないね」の一言。
その答えにカンシュコフは大きな溜め息をつきテーブルに突っ伏した。この暑さの中、必死に追いかけてきた相手がいないとは……
脱力した途端、喉の渇きを覚える。足もフラフラだ。もう動きたくもない。

 そんなカンシュコフの前にことりと、置かれたアイスコーヒー。顔を上げると店主が憐れむ様にカンシュコフを眺めていた。


 「この暑さの中、人捜しなんてご苦労さんだな。そんなに、ソイツに会いたいのかい?」


 「まぁ……な」


 そう呟いてカンシュコフは今日のことを店主に話した。ここ一年間、人を捜して歩いていること。先程、見かけた捜し人を追ってきたこと。追いかけては遠退いていく、不思議な現象のこと。そして漸くここに辿り着いたこと。けれどその捜し人がまた消えてしまったこと。

 うんうん頷きながら話を聞いていた店主が、ここで初めて口を挟んだ。


 「あんたの見たそりゃあ、まるで逃げ水だな」


 「……逃げ水?」


 「あぁ、この辺りじゃ珍しいが蜃気楼の一種さ。地面が熱せられて、表面が水で濡れた様に見える気象光学現象のことでな、近づこうとすると、どんどん遠くへ逃げていってしまうから、そう、呼ばれているんだよ」

 そこで店主は言葉を切り、ニヤリと笑う。

 「けっして追いつくことができない、夢うつつな幻。でも、もしその逃げ水においついちまったら、どうなるんだろうな?」


 「どうって………」

 店主のその言葉にゾクリと戦慄が走る。


 カツン、カツン、と店内に響く足音。時計を見遣れば午後2時。




 「俺を捜しているって奴はお前か?」


 音もなく、突然目の前に現れた黒服の男。燃える様な真っ赤な髪に、顔に走る歯車型の傷痕。薄ら嗤いを浮かべる口許。

知っているはずなのに、知らないそれは、似て非なる紅。


 けれどその深紅の瞳は同じで、一瞬にして囚われる。



逃げ水



 一度囚われてしまえば、もう逃げ出すことはできない。




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2011.02.24
『World's End』の月影 眞様が、拙宅のサイト1周年の祝いに書いて下さいました!
のぉぉおおおっ!!!最初赤←看守だと思って読んでいたのですが、ま、まさかの弟看守っ……!
ええ、ええ。大変驚きました。揺ぎ無い緑受けだと思っていた自分が、あっさり他カップリングに転がったこととかねっ……!
内輪ネタだったのにすっかり王道気分ですよ弟看守!二人の出会いは、こうして起きた!!!
俺の頭もすっかりこの熱でやられそうです……幸せすぎる、熱暴走!!!
月影さん、ありがとうございました!これからもぷちさんどをはじめに一緒にウサビを叫ばして下さいっ!
 

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