※『これ』の続きです。


ここは人生の墓場。 …扉s(看守+労←銭+処刑)



 目を覚ましたら、鈍色に輝く刃物が、真上にあった。

 ぼやけていた視界がクリアになっていく内に、それが何であるのか眠っていた脳が理解する。
 首と胴を寸断し、生命の終わりを告げる道具―――ギロチン。
 カンシュコフのブラウンの瞳が、きゅっと収縮した。

 「―――っうわぁぁぁぁああ!?」

 胸一杯に吸い込んだ息を、全て悲鳴で吐き出す。寝起きの張り付いた喉が引きつったが、そんなの構いはしない。
 正確に見れば、首上にあったのはギロチンではなく、鈍く磨きこまれた鎌であった事が分かる。よく手入れのされた、持ち主の執着を嫌になるほど伝えてくる大鎌だ。
 ただ仮にそうだったところで、この場合危険さはどちらであろうと変わらない。
 落としたらスパッと綺麗に分断される鋼を真上にかざしていた相手へ、カンシュコフが怒鳴った。

 「おいコラッ!何危ねぇ真似してんだ、ショケイスキー!」

 掴みかからんばかりの勢いで飛び起きたカンシュコフを、ぱちりと血色の瞳が見つめる。
 その色がどこかの誰かを彷彿させるようで、相手はまだ子供の域だというのにますます腹立たしさを増してしまう。光の無い、感情が欠落したような無感情さも同じだ。
 ただ、丸く大きな目でじっと凝視する姿は、想像した極悪非道の死刑囚よりはどちらかというとそれと同じ房にいるもう一人の囚人の方に近い―――最も、あの緑の瞳はこんな風に空虚な澄み方はしていないが。

 「…………」

 無言で見上げてくる赤に、息を切らしていたカンシュコフの気持ちがじわじわ落ち着いてくる。同時に、ブルリと背が震えた。余りにも空っぽな目に見つめられ続け、薄ら寒くなってきてしまったのだ。

 ―――見ているだけで、生命力を奪う目だ。

 だがしかし、その原因がここで彼に与えられた役割にあることと、それを与えるためだけに育ててきた刑務所に自分は属しているのだと思い出し。カンシュコフの振り上げた腕は、うやむやのまま落ちた。
 腕どころか肩も首もがっくりと落としたカンシュコフに、見上げていたショケイスキーはタッと黒衣を纏う背を翻す。
 ざんばらな白銀の髪を揺らしながら寄った先には、赤褐色と深緑の頭があった。

 「ゼニロフ、切れなかった」
 「残念でしたね」

 淡々とした報告に、深緑の方の頭が頷く。手元から上げられた顔はにこりともせず、狐のように鋭い目が眼鏡越しにカンシュコフを見た。

 「葬儀代はキャンセルにしておきますが、その棺のレンタル代は頂きますから」

 言われて、カンシュコフは初めて自分が今まで寝ていた場所が、死者を収める箱だと気づいた。
 「うわっ!」と声を上げて飛び退く足が、何か塊を踏む。がさり、と足の下に潰したものの色に見覚えがあった気がしたのだが―――しかし、そんな事はどうでも良い。もっと大切で重大な事が目の前にあった。

 「何ぬかしてやがる陰険眼鏡!つーかお前、それ俺の隠し財産だろ!?」

 びしっ!とゼニロフの手元で踊っている、僅かなルーブル紙幣を指差す。
 いつもカツカツになる薄給を使い切った時のため最後の生命線としてブーツの靴底に隠してあった所持金。所謂、へそくり。彼の手へ握られたそれは、明らかに彼の足元に転がっている自分のブーツから抜かれた物だった。
 が、対するゼニロフは「どこに証拠が?」と涼しい顔で紙幣を扇ぐ。冷徹な顔に、その仕草はやたらと似合う。
 多分職場の同僚としては一番反りが合わないだろう相手へ、カンシュコフは激しい怒りを覚える。狭い棺で寝ていたからか痛む体を無理矢理引きずると、彼は休憩室の椅子へ優雅に座ったホワイト・カラーへと詰め寄った。

 「証拠も何も、見りゃ分かる!しかも何だ葬儀プランって!勝手に殺すな!!」
 「だからキャンセルにして差し上げると言っているでしょう。7割手数料を頂いた上で」
 「誰がやるかそんな法外な料金設定にっ!」
 「文句の多い人ですね。そんなに葬儀プランが嫌でしたら……」

 す、とゼニロフは紙幣で隠した口元をカンシュコフの耳へと寄せた。

 「結婚の手配でも、しましょうか?」

 仲人から式場、披露宴の手配まで含めてこれくらい―――と、素早く叩いてむけられた電卓に、目が飛び出す。
 正確にはその電卓にではなく―――いや、表示されたぶっ飛んだ桁数に対しても驚愕で声が出なかったのだが―――耳打ちされた内容に。

 ―――結婚?

 顎関節が外れそうなほど顎を落としたカンシュコフに、脇から陽気な笑い声がかかった。

 「おーっ!カンシュコフ、お前ももうそういう年だもんなぁっ!安心しろ、披露宴では俺がスピーチをしてやっから!」

 バンバンッ!とその体の持つ力を遺憾なく発揮するようにして背が叩かれる。赤銅色の髪を揺らしながら、ロウドフが晴れ晴れと笑った。ゼニロフとは対照的に気安い彼は、咽るカンシュコフを気にした様子なく肩を組んだ。

 「で。相手は誰だ?」

 うん?とすでに結婚話を確定としているロウドフが、相手となる女性の存在を尋ねてくる。当然だ、一人で結婚は出来ない。
 改めて問われ―――カンシュコフの脳裏に、棺に納められる前までの記憶が走馬灯のように駆けた。


 色とりどりの、花。
 心臓を打ち鳴らす高揚。
 頭の中で響いた、架空のウェディング・ベル。

 頬を染めて、嬉しそうに花束を手に微笑む顔。

 憤怒と嫌悪の狭間で蒼白になった顔の前、降りてくる拳。
 

 視界を埋める、赤。


 ―――休憩室に、監獄を揺るがせる絶叫が響いた。


 「あああぁぁぁああ……赤、赤が……俺、赤いのが……!」

 ふるふると、金髪の頭が自己の手で抱え込まれる。

 自分があの時誰に何を言い、どう行動をとったのか鮮明に思い出した。
 当初の目的と180度反転した結果。赤い色を持つ相手に行ってしまった、人生最大の過ち。
 相手の名前を―――代名詞ともいえる囚人番号を思い出すのも拒否した脳がただいえるのは、そこに溢れる色だけだった。

 目を丸くしているロウドフとほくそ笑んでいるゼニロフの前で、恐慌に耐え切れないカンシュコフが「赤、赤……」と呟く。
 その声に合わせるように、後ろから声がした。

 「…………赤?」

 鈴を転がす、子供のような声の響きに、大人三人の視線が後ろへと向く。
 全員の視線を浴びる中、黒衣をまとった小さな姿が、ゆるりと顔を上げた。

 ―――雪花のような髪に縁取られた、仄暗い紅い瞳が光る。

 バッ!と黒衣の袂から取り出したリストを、ショケイスキーの手が普段のゆったりした動作からは考えられないスピードで捲りあげる。
 囚人番号の連なった紙面を捲りながら、血色の瞳が爛々とした光を一層増した。

 「……あぁ……今日のには、載ってない……赤いの、楽しみなのにな……」

 ―――クスクスクス。

 鎌を携えて、おかしそうにショケイスキーが哂う。一体、その頭に何を想像したというのか。
 その手にした刃よりも冷たく戦慄させる哂い声に、見ている側の方が身震いした。嫌悪感というより、脊椎から送られる条件反射的な反応だ。
 一気に冷えた場の沈黙を、最初に打ち消したのは一番細かい事を気にしないロウドフだった。
 咳払い一つすると、何もなかったように笑ってカンシュコフに水を向ける。

 「まっ、アレだカンシュコフ。結婚みたいなめでたい事は先にしておけ」

 どうせ年を取れば取るほど、楽しい事はない。体は老いさらばえるし、どれだけ身を粉にして働いても生活は潤わない。ならば、せめて貧しくとも共に時を重ね添い遂げられる伴侶を持った方が良いではないか。
 「式じゃ酒も飲めるしなっ!」と、恐らくそっちの方が目当てだろう酒好きの相手に、カンシュコフは「アンタは頼むから飲まないでくれ」と胸の内思った。 普段はそこそこ付き合いやすいこの相手も、酒だけは酌み交わしたいと思わない。先程の悪夢と張るくらいの地獄が待っている。
 
 そこまで思って、カンシュコフは再びせり上がってきた吐き気に口を押さえた。

 一瞬幸か不幸か冷めて忘れていた記憶が、鮮明にやってくる。
 そうだ、赤だ。全ての諸悪の根源は、あの赤い悪魔だ―――と呻く。

 再び沈んでしまったカンシュコフに、ロウドフが全く裏のない声で「それで結局、相手は誰だ?」と尋ねてくる。
 その問いに答えたのは、ショケイスキーの鈴音よりももっと尖って鋭利な、冷ややかな声だった。

 「―――年齢は適齢期、長身痩身、けれど病的というわけではない」
 「ぅぐっ!」

 かつ、と足音を立てて近づいた声に脳内映像を強制構築され、カンシュコフが呻く。
 それに構わず鋭い―――恐らく見上げれば、それ以上に鋭い目をしている相手が、続ける。

 「髪は長髪、十人中九人は良しとする容姿、特に眼に定評あり」
 「おぉっ、美人なんだなー!」

 ―――確かに、見た目は整っている。憎たらしくて殴りたいくらいに。

 「性格は冷静沈着にして物静か。けれど意思が強く、感情表現はストレート」
 「ふんふん。普段はだんまりだけど、ここぞって時にはやるのな」

 ―――確かに、やる奴だ。徹底的に容赦なく、ボコってくれる。

 「趣味は読書。靴の手入れ。最近ではガーデニングにも凝っている模様」
 「はー……良いとこのお嬢さんか?カンシュコフ、お前どうやって知り合ったんだよ」

 ―――知り合った理由。普通なら絶対巡り合わないような、特殊な相手との数奇な出会い。
 

 それは全て、この監獄のせいです。


 「がはぁっ!」と叫んで血でも吐き出しそうになるカンシュコフを、眼鏡越しにゼニロフの切れ目が捉えた。
 一体どうやってあの過ちだらけの瞬間の事を知ったのか―――金だけではなく情報も豊富なこのインテリに知らない事などない。目の前で 自分のへそくりが相手の胸ポケットに納められていく様を、カンシュコフは立ち上がることも出来ずに見上げた。

 「でもアレだなー。美人で大人しいお嬢さんも良いけど、やっぱり嫁にするなら可愛い子の方が良いな」

 場にそぐわないような能天気な声に、蛇と蛙の睨み合いをしていた二人が向く。
 発した本人はうんうんと赤銅色の髪を振ると、これが男の夢なんですと言わんばかりに顎を撫でた。

 「こう、小さめで腕にすっぽり収まる感じで、ふわふわ~ってしてて。んで、笑顔が可愛くって、明るい、料理も上手い嫁さんを貰ってだな」

 どうせ長い人生を一緒にする相手なのだ。一緒にいて明るくなれるような、楽しいと思えるような相手でなければ。
 生涯添い遂げる相手を選ぶ結婚を、だからこそ人は『人生の墓場』だと形容するのだろう。
 意外と一般論的な意見を言うロウドフに、カンシュコフは頷く。

 そう、やっぱり嫁に貰うなら、小さくて可愛くて、暖かな料理をこしらえて「カンシュコフさん、お勤めご苦労様です!」と微笑んで扉の前に立ってくれるような相手じゃないと―――

 美形で凶悪で凶暴で悪魔そのものの赤ではなく、心優しい穏やかな色をしている緑の瞳でないと。
 家に着いた自分を迎えるだろう深緑の色と笑顔を想像し、自然カンシュコフの頬が緩んだ。

 「遅くなった自分を待ってて、向き合って話しながら笑って相槌打ってくれて。その日の疲れなんか、吹っ飛んじまうっていうのかな」
 「あー……そうだなぁ」
 「でな、給料日に花なんかを買って帰ると、感激しながら受け取ってくれるんだよ。あなた、ありがとうございます―――って」

 そんな、夢とも妄想ともつかない想像に、うっとりとしていた独身青年二人に。


 「くだらない」


 ぴしゃりと、鋭い声が打った。

 ぱっと霧散した絵姿に独身組が揃ってが声のした方向へ向く。視線の先、眼鏡の向こうの眼元を歪めた、非常に不愉快そうな顔をしたゼニロフが吐き棄てた。

 「給料日にそのまま給料を渡さないような男、結婚したってすぐ破綻しますね」

 持って帰った給料はそのまま、持って帰った相手に小遣いすら渡らせない状態で差し出させなければ。
 「お金だけが全てです」と公言して憚らない相手の夢のない言葉に、ロウドフが口を尖らせた。

 「何でだよー、円満な結婚生活には時々プレゼントも必要だろう?」
 「円満な結婚生活を送るのに必要なのは金です。食えも煮えもしない花なんか、誰が喜びますか」
 「でも、女は花とか贈ると喜ぶだろ?」
 「その考えがすでに間違いです。誰も皆そうだとは限りませんよ―――大枠の一般論を全てだと思い込む。貴方は、昔からそうです」
 「む……」
 「第一、貴方の高くもない給料で、どこに花を買う余裕があると言うんです?家庭を持つ以上は独身時代のように自分の食い扶持だけあればいい訳じゃありませんよ。 子供だっていづれ出来るかもしれないし、年を取れば取るほど医療費だの何だの急な出費が増えてくる。今だって貴方は収支のバランスを考えずに無駄遣いをするから給料日前になるとカツカツで―――」
 「あーあー、分かった。分かったって、ゼニロフ」
 「嘘おっしゃい。これで分かるなら前に私が持たせた支出表をちゃんと付けたはずです。
 あの時だって、三日と持たずに付けるのを止めたじゃないですか」
 「別に良いだろー。どうせお前が記録してんだから」
 「…………は?何、ロウドフ。お前、自分の給料コイツに管理されてるのか?」

 放っておけば延々続きそうな二人の掛け合いを遮り、カンシュコフが疑問の声を挟んだ。
 あまりにもテンポ良く続く説教なんだか非難なんだかに聞き流してしまいそうだったが、支払われた後の給料まで同僚に管理されるというのは良く考えれば余りにもおかしくないか。しかも自分の小遣いだというのに使い方にまで 小言を言われる始末。
 これではまるで―――

 「…………小姑」
 「何か言いましたか、カンシュコフ」
 「な、何でもないですゼニロフさん!!」

 くるっと振り返った眼光鋭すぎる眼に、カンシュコフが最敬礼をする。が、相手はボソリと漏らした呟きを聞き逃すつもりはないらしい。
 先程までロウドフを責めていた時の呆れ交じりが一変、滲み出るオーラが絶対零度のものになる。もう春だというのに、部屋の温度は冬に逆戻りした。
 寒さに当てられたようにガタガタ小刻みに震えるカンシュコフに、ゼニロフが眼鏡の向こうで眼を細める。

 その猫とも狐とも蛇ともつかない目が―――浮かべた笑みに。


 ぞぉっ!と、カンシュコフの全身の毛という毛が逆立った。


 「……そうですね、カンシュコフ。貴方が結婚するとしたら、私も祝福しますよ?」

 同僚ですからね、とさも当然のように言うゼニロフへ、しかしカンシュコフの鳥肌は収まらない。ゆるりとこちらを向いて歩み寄るその同僚に、自然一歩下がる。そのまま二歩、三歩と下がり、 ガタンッと後ろにあった物に足がぶつかってしまう―――逃げ道は、もうない。
 恐慌に見開かれたブラウンの瞳へ、だんだんと近づく姿が大きく映し出される。

 止めろ、来るな、それ以上来るな―――

 黒衣の処刑執行者に迫られる時と同等か、それ以上の恐怖を感じ、思わず膝が砕けてしまう。
 座り込んだ先―――足元の邪魔をしていた、棺の中へ身を納めたカンシュコフの肩へと。肉体労働とは無縁の綺麗なままの手が乗った。

 「貴方の薄給を思って、プレゼントくらいはしましょう。そうですね―――ウェディングドレスとか如何です」


 赤い美人の方へしましょうか、それとも。

 ―――貴方用、でしょうか?


 ぐらり、と視界が傾いた。

 「……カンシュコフ?―――お、おいっ!ゼニロフ、カンシュコフの口からなんか出てるぞ!?」
 「あぁ。嬉しさのあまり魂が昇天しているようですね。全く、安い人で羨ましい限りです」
 「のんびり言うなよ!おい、カンシュコフ!確りしろ!!結婚もせずに死ぬ気か!?」
 「……け……結婚は……したくな、い……」

 がくり。

 「カンシュコフーッ!!」
 「…………ふぁー」

 やんややんや、と。
 花も添えられない棺の周りで騒ぐ大人たちに、春の日差しの中ショケイスキーの眠たげな欠伸が漏れた。

 



――――――――――
2010.4.24
フラワー・パニック!の続き。
要は労←銭がやりたかっただけです……