※注意※
女装緑なので、苦手な方は注意ください。



 キレネンコさん。キレネンコさん。

 どこへ行くんですか、キレネンコさん。

 待ってください、キレネンコさん。


 僕を、僕を、置いていかないで下さい―――

 

 

 などと悠長な事。

 

 「むっほぉぉぉぉおおおぉぉぉぉーーーっ!」

 

 落ちるプーチンに、考えられるはずがなかった。




Alice In Wonder 2 ―小さな自分とお揃いのとぅいーどる―




 
 巻き上がるような激しい風圧を受けて内臓が上へ上へと引っ張られるのに、体はどんどん下に向かっていく。
 とてつもなく高いところからバンジージャンプをしたらこんな感じか―――いや、今は実際にコードレスバンジーをしているのだけれど。

 落ちる。落ちる落ちる落ちる。どこまでも、どこまでも、落ちていく。

 穴の中は真っ暗で、一体どこまで続いているのか地面なんて見えもしない。当然地面が見えた時点でアウトではある。ぐしゃんっと気の毒な体になってしまうのと延々先も見えず落ちてゆくの、どちらが良いか。ああなんて深い悩みなのだろう―――とかなんとか。そんな事思う余裕なんて、やっぱりなくて。

 「むほっ、むほっ、むほぉぉぉおおおーーーっ!!!」

 くわんくわんと穴に反響する高らかな悲鳴を響かせながら、プーチンは落ちて、落ちて、落ちて。

 
 落ちていった。







 つんくつんく。

 「……うぅ~……?」

 つんつんつん。

 「むぅぅー…………」

 こしょこしょこしょこしょっ。

 「んっ!や、ぁっ……!」

 

 ―――ぼかりっ!


 
 「ふぉっ!?い、痛いっ!」
 「変な声出してんじゃねーよ、チビ!」

 目の前にぱっと散ったお星様に思わず跳ね起きたプーチンは、大きな怒鳴り声に潰されました。

 「ふぎゅっ!」

 ぺしゃんっ。

 比喩でもなんでもなく、文字通り上から降ってきた圧力に潰されてしまった彼は、ばたばたともがきます。
 普段ならこんな時、視界に磨かれた靴の爪先が入ってきて、静かに結んだ髪を引っ張り上げてくれるのですが―――今回体をすいと持ち上げてくれたのはぷにょっとした感触のする、よく分からないちょっと暖かな物体でした。ぐるぐる、表面に渦を巻いている不思議物体に起こされたプーチンは若干ふらつきながら声の聞こえた上側を見ました。すると。

 「あ。ボリスさんにコプチェフさん」
 「やぁ」

 見上げた先にはお揃いの服を来た、すっかり顔馴染みのお巡りさん二人が居ました。
 帽子も防弾チョッキもアーミーブーツも、刺繍の鎌と槌のマークすらお揃いな二人を見分けるのはとても難しい―――ことはありません。
 くるり後ろを振り向けば背中には大きく

 『とぅいーどる・でぃー』

 と、

 『とぅいーどる・だむ』

 という、それぞれ名前の書いた紙が張られています。
 きちんと布に印刷されていないのはきっと経費の問題でしょう。体を張って治安を守ってくれているというのにあまり市民には歓迎されていない―――皆スピード違反や信号無視などで捕った経験があるので―――国民の血税を何だと思っていると叩かれる事が多いお巡りさんは中々報われない職業です。
 それに支給の制服こそお揃いの二人ですが、別に見た目が似ているわけではありません。にこやかに笑うコプチェフとは対照的に、仏頂面のボリスは性格的にもちょっとおこりんぼうで、

 「うるせぇっ!」

 ガオォッ!と吼える声に、またしてもプーチンはころんと転がされてしまいます。その背中をコプチェフがつまみ起こしながら―――どうやら先程起こしてくれたのも彼のようです―――隣で怒っている相棒に、なだめるような表情を向けました。

 「ボリスー、声大きいよ」
 「うっせーな!俺のせいじゃねぇっ!」
 「はいはい。大丈夫、ボリスもすごくイイ声してるから」
 「!―――っアホな事言ってんな!」

 プーチンを起こした時から若干赤かったボリスの顔が、一気に完熟トマト色になりました。何故ボリスの顔が赤くなるのかプーチンには解りませんでしたが、それよりも。

 「あ、あのー……ちょっと、声のトーンを……」

 抑えて欲しいんですけど―――上から声がするたび、台風の真っ只中に立たされるお天気キャスターみたいに吹き飛ばされそうになってしまいます。おまけに聞こえる声はとても大きく、鼓膜の耐久限度を試されている気分です。
 耳を押さえて訴えてくるプーチンに、流石に騒いでいたボリスもばつが悪そうに口を噤みます。「お前がチビなのが悪いんだよ」と、何時ものように悪態は忘れずに。

 「うぅっ!ぼ、僕チビじゃないですよぉ~」
 「いや、明らかにチビだろ。そこらじゅう見ろよ」
 「ほふ?」

 ちょっと音量を落としてくれた、呆れた声で「周りを見ろ」と言われたプーチンは素直にキョロキョロ辺りを見ます。

 袋に入ったクッキーにキャンディー、カップの中でとても良い匂いの湯気を立てている紅茶。

 どうやら誰かがお茶の準備をした場所のようです。読んでいた本へしおりを挟み、さあティータイムを満喫しようと弾む心情が簡単に想像できます。だって、ちょっと前までプーチンも同じ気持ちでしたから。

 それにしても大きなカップだなぁ―――と、プーチンは思いました。

 たっぷりの紅茶が注がれたカップは、そのままプーチンがお風呂として浸かれそうです。お菓子だって、両手でよいしょっと持ち上げるようなサイズ。これを食べる人はきっととても食欲旺盛な人なのでしょう。

 「いやいやいや。そうじゃねぇだろ」

 のほほんとしたプーチンに、ボリスが鋭く突っ込みを入れます。バタバタ、振られるその手もプーチンから見るととてもとても大きいです。
 正確には手だけではなくて全体が大きいのです。顔も、肩幅も、身長も。まるで童話に出てくる巨人のように、天を突くばかりの大きさです。
 ほへーっと感心したプーチンは、「ボリスさんなんだか大きくなりましたねぇ」と相棒より僅かに低い身長を気にしている相手への賞賛を込めて微笑みかけます。ですが、ほやんと心和ませる笑みにボリスはああもうと頭を掻き毟りました。

 「だ―――」
 「からね。俺達じゃなくて、君が小さいんだよ。プーチン」

 ぽふっと。再び吼えかけた相棒の口を塞ぎながら、コプチェフが穏やかに台詞を引き継ぎます。さり気にボリスを引き寄せたその体も、腕の中でもがく相手同様大きく、身長差もそのままです。
 成程、あの手なら起こされた時にクッションのような感触を覚えるだろうな―――と納得しつつも、改めて『小さい』と言われたプーチンはきょとんとしました。ぱちぱちと瞬き、真ん丸な目でもう一度周りをよく確認します。

 大きなティーセット。大きなボリスとコプチェフ。そして自分は―――

 

 「…………僕、なんでスカート履いてるんでしょうか?」
 「そこかよ」

 水色のエプロンドレスを摘み上げて衝撃を受けているプーチンに、またしてもボリスが突っ込みました。
 いえいえ、プーチンにとってはこの際自分が人形サイズまで縮んでしまっていることなど大したことないのです。それよりも裾の膨らんだスカートを履いていることの方がびっくりでした。
 良く見るとびっくりする衣装はドレスだけではありません。

 ヒラヒラとしたレースのエプロン。

 緑ではなく黒と白のストライプなタイツ。

 頭の上にはご丁寧にリボンがきゅっと結ばれています。
 
 こんな格好、同居している恋人(多分)にどれだけ言われてもしたことがなかったというのに、なんてことでしょう。

 「あっ!しかも下までちが」

 

 「めくるなーーーっっっ!!!」

 

 「あぁ~、ボリス、手が邪魔ー」
 「お前も見ようとすんなっ!!!」

 ぺらり、と中を確認するべく捲くられたスカートに、また顔を赤くしたボリスが自分とコプチェフの目を覆います。途端隣から上がった残念そうな声に、紫の頭へボカッ!と拳一つ落とした彼は、裾を持ったままぽやんとしている小さなプーチンに叫びました。

 「―――ともかく!そこのクッキー食って、とっととでかくなれ!!」
 「クッキー、ですか?」

 びしっと指差された先―――紅茶のおとものクッキーを示され、プーチンは首を傾げました。食べろと言われるなら喜んで食べますが、なぜ、大きくなるのにクッキーなのでしょうか。

 「いたた……酷いなぁボリス。こんなの浮気のうちに入らないでしょ?」
 「だまれこの馬鹿っ!」
 「てかさー、ちゃんと『セイウチと大工さんの話』をしないと駄目じゃん」
 「良いんだよそんなん!コプチェフ、帰るぞっ!」

 言うより先に、コプチェフの襟足で束ねた髪をむんずとボリスは掴みます。「長くて覚えられなかったなら、そういえば良いのに」と呟いた紫の頭へ再度拳を叩き込み、本来担当している長くて全く意味のない話をはしょって退場しようとします。『とぅいーどる(以下略)』と書かれた背中を見せて去ろうとする二人を、はたとプーチンは呼び止めました。

 「ま、待ってください!キレネンコさんを見ませんでしたか!?」

 そうでした。穴を落ちたり小さくなったりドレスを着ていたりですっかり忘れてしまっていましたが、そもそも自分は突然飛び出していった同居人を追いかけていたのでした。きっと先に出た彼もここに来ているはず―――そんな希望的推測を抱いて尋ねたプーチンに、振り返ったとぅいーどる―――もとい、ボリスは顔を顰めました。

 「あぁ?あの赤い化けモンか……アレなら走って行ったぜ」

 非常に無愛想な言い方になるのは思い起こす対象とあまり馬が合わないから仕方がないのです。代わりにこぶを頭に二つつけたコプチェフが「急がなきゃ、とか言ってたけど」と補足をします。こういうツーカーな所は服以外が似てなくてもばっちりな二人でした。

 「急がなきゃ?」
 「俺の車といい勝負なくらい、猛スピードだったよ」

 法定速度はオーバーだったのですが、走る足にタイヤはついていないのでキップは切れませんでした。
 しょっ引けたら其の他諸々の罪状も適当につけて送検したのに―――などなど、正義の味方なお巡りさんたちががっかりしているのには気付かず、プーチンが小さな体を飛び上がらせました。

 「大変!早く追わないと!!」

 プーチンはとても慌てました。


 だって―――卵は、お一人様1パックまで。


 プーチン達の食事では沢山食べるキレネンコがいるため、1パックでは到底足りません。二人一緒に買いに行って、なお且つ清算後に変装してもう一度レジへと並ぶ必要があります。
 家のお財布事情はキレネンコが(どこからどういう経緯と手段で手に入れているかは不明な)収入をかなり入れてくれるので困っているわけではないのですが、それとこれは別。家計を預かる身としてやりくりはしっかりしなければなりません。
 目玉が飛び出る程高価な靴でもぽんぽん買ってしまう相手の手綱はちゃんと握っておかねば。
 エプロンドレスに包んだ身に漲る決意を秘めて、プーチンはぐっと拳を握りました。

 「僕、行きますっ!」

 そう、高らかに宣言をするプーチンに。

 「……止めといた方が良いと思うけどなぁ」
 「……俺も」

 容易に想像できる結果に、『とぅいーどる』な二人から揃って生温い視線が送られました。


 ―――だって、その格好で追うんだろ?


 リボンをつけた頭が赤い怪物にぱくりと食べられるという想像をこれまたお揃いに考えた二人は、職務上護送すべきか真剣に検討しあいだしました。








 +++(運狙な)おまけ+++


 「…………」
 「……?何、ボリス?」

 作戦会議を練っている最中、コプチェフはふと真向かいから感じた視線に刺すものを感じて顔を上げました。
 首をかしげて尋ねると、その視線を送っていた黒眸は「何でもねぇよ」と言ってぷいっと逸らされました。ですが、その言葉にもなんだか棘があります。向けられた横顔はそれを裏付けるように、不機嫌です。
 相棒の突然変異にきょとんとしたコプチェフは、つられるようにして相手の顔が向いている方向へ目をやりました。
 そこには大きくなるべくもっしゃもっしゃとクッキー―――「美味しいです!」と何枚目か不明の、自分と同サイズな菓子―――を平らげるプーチンが居ました。

 ……そういえばアレ、食べ過ぎると効果が出過ぎるんじゃなかったっけ?

 と、うろ覚えな知識が頭を過ぎったのですが、それはさておき。
 等身大お菓子を食べるという夢のような経験にご機嫌なプーチンと眉間に皺を寄せて険しい目をしているボリスを見比べた彼は、ぴんと来ました。
 成程ね―――容易に分かった理由に藍色の瞳が笑みを浮かべます。くすくす、小さく笑いを零したコプチェフを、ジロリとボリスが睨みました。

 「……何笑ってんだよ」
 「いや?ボリスは本当可愛いなぁって思って」
 「フルメタルジャケット弾とパーシャルジャケット弾、どっちがくらいたい?」

 ちなみにパーシャルジャケット弾の方が着弾後に弾頭先端が変形して破壊力を増す構造になっており、対象への苦痛を与えられるのでお勧めの仕様です。

 ジャキン!と照準を合わせられたドラグノフ狙撃銃に、けれどコプチェフは笑顔で両手を挙げるに留めます。こんなことでいちいちビビッていてはおこりんぼうな相棒とコンビは組めません。

 「すでにハートが狙い打ちされてるから十分かなー」
 「だったら死ねよ」
 「というより俺の精製した弾でボリスを撃ちた」
 「本気で死ね」

 爽やかな笑みを浮かべて弾丸どころか核弾頭を投下しようとした紫の頭に、ゴリゴリ銃口が押し付けられます。額に青筋を浮かべているボリスの指は今にも引き金を引いてしまいそうです。
 どうしてどうしてこの相棒は人の良い笑顔を浮かべながらとんでもない事を言ったりやったりするのか―――しかも大抵の手合い(主に女性)がそれにころり騙されてしまうのだから世の中恐ろしいです。本当はこういうのを取り締まらないといけないのではないか、と職業使命に駆られるボリスに、その人の良さそうな笑みがにこりと向けられました。

 「大丈夫―――俺が見るのは、ボリスだけだよ」
 「!!!」 

 騙されてる―――絶対に、騙されてる。
 
 顔が怒りとは別に上昇してきた血で熱くなるのを、ボリスは必死に否定し続けました。
 なぜなら、 

 「だから―――今度はあの格好アリスしてね?」


 そう続いた言葉も、やっぱり同じ笑顔だったのですから。


 



   :  

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2010.6.6
日記再録。イメージは巨匠からの頂き物イラストです。むしろそっちだけで話完結できます。
それにしても男組は思考が皆変態になる傾向が……偽者ばかりですみません。