※注意※
女装緑なので、苦手な方は注意ください。
その猫は、口が爪で引っ掻いた三日月のように、笑っています。
「ここの猫は、なんで笑うんですか?」
この世界を知らないおチビさんは、尋ねます。
「チェシャ猫だからさ」
その猫は、口が耳から耳まで届くくらい、ニヤニヤと笑っています。
「ここのチェシャ猫は、皆ニヤニヤ笑うんですか?」
この世界のチェシャ猫をを知らないおチビさんは、尋ねます。
「チェシャ猫は、皆ニヤニヤ笑うものなのさ」
この世界のチェシャ猫は、あちらも、そちらも、皆、ニヤニヤ笑うのです。
でもきっと―――あんな風にニヤニヤ嗤うチェシャ猫は、他にはいないはずです。
Alice In Wonder 3 ―親切なチェシャ猫さん?―
青空へ浮かんだお日様は、まだまだお茶の時刻を示していました。
昼寝を誘ってくるぽかぽか陽気の誘惑に乗らないよう、クッキーでお腹一杯になったプーチンは木々が並ぶ道をえっほえっほと走っていました。
「送ってあげようか?」というお巡りさんの申し出は、考えた末丁重にお断りしました。車で追いかけるほうが確実に早いですが、サイレンを鳴らしたパトカーで追い掛けたりしては色々過去に罪状があり現在進行形で指名手配書が回っているキレネンコをびっくりさせてしまいます。仮に彼が清算前の卵を持っていたら、万引きと誤解されて店員さんに連れて行かれかねません。
幸いにも普通のサイズに戻った―――それまでには屋根を壊すくらいまで大きくなり広がったスカートをお巡りさん二人の上に展開したり、その瞬間片一方の『とぅいーどる』がもう一方の『とぅいーどる』を銃身で殴りつけたりと紆余曲折があったのですが―――プーチンは、小さい時よりも断然大きな歩幅で進んでいけます。最もあまりコンパスが長くないので、一般的にはそこそこに、程度ですが。
とっとこ走る足元は慣れないローファーのため、中々走りづらいです。自然手を横に振る乙女走りになりながら、卵を持って並んでいるだろう相手の元を懸命に目指し―――ている体が、がくーんっ!と急に引っ張られて停められました。
「むほぉっ!?」
ばたばたっと浮いた足が宙を走りますが、当然進みません。少し前穴を落ちていた時とは全く逆に、リボンで括った髪を支点に上へと引き上げられて目を白黒させていたプーチンに、愉快そうな声がかかりました。
「―――そんなに急いで何処へ行く?」
とても聞き馴染みのある声音と、最近聞き覚えた喉を鳴らすような嗤う音にはたと緑の瞳が焦点を合わせます。ぐるり首を回して声の方へ向いたプーチンは、ひらり赤い色を見ました。
ずっと追いかけていた人の目印な色に一瞬その名前を呼びかけ―――すぐに、相手の識別をした彼は過ぎった名前と別の名を呼びました。
「キルネンコさん!」
間違うことなく言われた名前に、赤い瞳がすいと細められます。細い三日月のような弧を描く目と口元に合わせて、艶のある赤髪の上でふさふさした毛に包まれた耳が揺れました。
ひょっこり頭に生えている耳は長く―――はなく、小さく三角形をかたどっています。左側に安全ピン二つぶっ刺した、立派なチェシャ猫のお耳がそこにありました。
とても手触りが良さそうなその耳に、思わずプーチンは触りたい衝動にかられた―――のですが。
「あ、あのぉ……結構、痛いんですけど……」
と、手を伸ばしたのは掴まれている自分の頭の方でした。正直、頭頂部が丸ハゲになりそうなくらい、痛いです。
それに、下手にあちらへ触ったりした日には、鋭い爪で(喉首を)引っかかれてしまうかもしれません。触らぬ猫に祟りなし。まだまだ長生きはしたいです。
またまた賢い判断をしたプーチンに、キルネンコは穏やかとは一線を画す笑みを向けました。
「それにしても、随分と面白い格好をしているな」
「う゛っ!」
上から下まで検分する鋭い目に、エプロンドレスを着込んだプーチンの背中に冷や汗が集結しました。
小さいといっても成人男性の平均体重を片腕で軽々吊るし上げている相手の目元は、縁側で丸まる愛玩動物とは程遠い、猫科は猫科でも森に住む大型の肉食獣の方を想像させます。
だらだらだらと程よい暖かさの天気の下で汗を滴らせる顎を、長い指が掬い上げてきます。首の下がくすぐられような感覚に、それはキルネンコさんがされる側なんですよ―――とは、とてもとても言い出せません。
『食べていい?』と尋ねるような目から、視線を精一杯合わせないように明後日を向いたプーチンはスカートの裾をもじもじと押さえて言い訳を考えました。
「え、えぇーっとですねぇ、これには海よりも深くて、お空よりもひろーいワケがありまして……」
「ふん―――理由なんぞ別にどうでも良い」
大方アレの趣味だろう―――名前は呼ばないものの、その指示語が誰を示しているかは明白です。あながち間違いではないかもしれませんが今回は完璧な濡れ衣なそれを、しかし唯一否定してあげられるプーチンは言及しませんでした。
恋人(だろうか)の果てしなく高い沽券よりも、自分を掴まえている相手とそっくりな顔をした、自分が掴まえるべき相手の動向の方が今のプーチンには大切でした。
「そうだ!キレネンコさんがこっちに来ませんでしたか?」
暴走車並みのスピードで走っていた相手を常人ならはっきりと認識できないでしょうが、そこは大丈夫。弾丸をフライパンで叩き返せる御仁と同じ血を持つ彼なら、赤い彗星の軌跡だってばっちり捉えられるはず。全てを知った顔でニヤリ細められている赤い瞳は、何でもお見通しに違いありません。
話を引き出すための腹芸も煽ても一切なく、ずばり正直に尋ねたプーチンに。
「来たぞ」
三角の耳が、あっさり頷きました。
「―――えぇっ!?本当ですかっ!」
ガンッ!と衝撃を受けたように真ん丸な目が一杯まで見開かれました―――やたらびっくりしているプーチンですが、別にキルネンコがちゃんと答えてくれたという有り得ない事態に驚愕しているわけではありません。彼はとても素直なので他人が意地悪をしたり嘘をついたりするとは思っていないのです。
それにチェシャ猫は元来、親切な生き物です。長く鋭い爪を持っていたり、ニヤニヤ笑ったりしますが、話すと親切に答えてくれます。なのでチェシャ猫の生態系に則り、ニヤニヤと嗤っているキルネンコもぷらんとぶら提げたプーチンへ親切に教えてやりました。
「アレは、この道を走って行った」
『急がなきゃ』とか馬鹿みたいにほざいて―――と、非常に親切に付け加えられた補足にはあえて触れず、プーチンはとりあえず「この先には、何かあるんですか?」と当たり障りのない質問をしておきます。童顔な見た目の割に大人な判断です。
「この先は茶会をやってる」
「お茶会?」
てっきり卵があるのだと思っていたプーチンは、意外な言葉に首を傾げました。プーチンとお茶を飲んでいた席を中座したキレネンコが、お茶会を目指しているのでしょうか?
きょとんと瞬く姿をどう捉えたのか、キルネンコが「茶が飲みたいのか?」と吊るし上げるプーチンへ尋ねました。
飲みたいか飲みたくないかで問われると―――実はちょっと、喉が渇いています。キレネンコとしていたお茶会では一口も飲めずにカップを倒してしまいましたし、先ほど置かれていたティーセットもクッキーを食べるのに一生懸命でお茶を飲んでいません。その上で走り通したのですから喉も乾いて当然です。
自分も嘘をつくことをしない素直なプーチンはこくんと首を縦に―――頭から吊るされて動かせなかったので、振ったつもりで肯定しました。
「出来れば、一口飲みたいです」
その、正直な答えに。
向かいでニヤニヤ嗤っていた笑みが―――一層、深まりました。
「そうか―――なら、こっちで飲ませてやる」
「わぁっ!良いんですか?」
親切な申し出に、ぱっと緑の瞳が輝きました。感激したようにエプロンの前で両手を組むプーチンへ、三日月を描く口が「一口と言わず、好きなだけやろう」と、囁きます。
―――茶よりも、イイモノをな。
とてもとても親切なお誘いに、素直なプーチンは何一つ疑問を抱かず「はいっ!」と喜びます。ばっちり得た了承に悠然と赤い瞳を細めたキルネンコは、獲物片手にぶら提げ道から外れた大きな樹の方へと足を向けました。彼としては別にどこでも―――それこそ公道のど真ん中である現在地でも―――全然構わないのですが、全年齢向けのお話のため、もとい、チェシャ猫は樹の上が相場と決まっているので一応定位置へと連れて行きます。
ゆらゆら機嫌良く揺れる尻尾を見せる背中は、例え狩人が「その赤ずきんを離せ!」と現れてもあっさり返り討ちにしてしまうだろう余裕を漂わせています。種族どころか物語まで摩り替える勢いの背を誰も止める事は出来ない―――昼下がりのお外で開かれる、愉しい愉しいお茶会の開催
「―――チッ」
直前に。
ドガッ―――!!!
と、延髄めがけて飛んできたハイキックを空いた腕で受け流しながら、キルネンコは舌打ちしました。ニヤニヤ嗤いが一転、三日月の口が忌々しそうに下方向へと向きます。
流石の彼も二種類のヤるを同時進行するのは難しいです―――特に、猛烈な殺気を向けてくる相手の方は自分と互角の力がありますから。
払った足が繋げる二段蹴りをかわしつつ、猫パンチ―――なんて可愛らしいものではなく、鋭く立てた爪を一振り。鋼鉄の鉤爪並に鋭利なそれは、しかし肉を引き裂くことなく向こうの胸元に垂れていた物を弾いただけでした。
キンッ!と金属の擦れる音を立てて宙を舞った物体が、くるくる回るようにして地面へ落ちます。
ぶつかった拍子ぱかりと開いた丸い物―――チクタク針で正確に時を刻む懐中時計は、お茶の時刻を示しています。ですが今ここで唯一出せる飲料があるとすれば、鉄分豊富な真っ赤なジュースくらいなもの。嘔吐作用があるので決して飲んではいけません。
そんなトマトジュースもどきを製造できる一人であるキルネンコは、落とした懐中時計も拾わず自分の(掴んでいる)物を引っ張る相手を冷ややかに睨みました。
「戻ってきてんじゃねぇよ」
吐き捨てられた言葉へ返答はありません。代わりに、その全身からは目視できる程の怒りのオーラが立ち上っています。
内から渦巻く気圧を受けるように揺れる赤髪―――と、その上からにょっきり生えた長耳に。エプロンドレスの襟首に新しく掴む手をくっつけたプーチンは、思わず口をぽかんと開けました。
「……キレネンコ、さん?」
呆然と呼ぶのは、まごうことなき探し人の名前、なのですが。
探しに探して追いかけ続けた相手と対面した緑の瞳が、ぱちぱちと瞬きます。まるで、目の前の光景が信じられないというように。何故なら―――
きっちり襟元まで締められたシャツに、キュッと結ばれた蝶ネクタイ。
その上に羽織った、真っ赤なベスト。長い足を際立たせる細身のパンツ。
白手袋をつけた、エプロンドレスを掴む手と逆の手で押し上げられる細いフレームの眼鏡は、多分度が入っていません。遥か上方を飛ぶ飛行機の急所すら見分けられる視力に矯正する余地はありません。
そんな上から下までラフさを感じさせる要所が一つもない―――所謂『正装』。
まぁ唯一、足元がミスマッチにスニーカーだったりするのですが、そこはどうしても譲れないポリシーがあるのでしょう。仕方のない事です。
整った服装に加え、安全ピン一つ貫通させたウサギ耳の揺れる赤髪もいつもプーチンが梳いてあげているように丁寧に櫛が通っています。
粗末な囚人服かシンプルな私服しか見たことのないプーチンにとって、目の前の相手は最早同居人に良く似た別人です。ひょっとして彼は双子ではなく三つ子で、目の前にいるのは初対面のなんとかネンコさんなんだろうか?―――と、驚きのあまり色々疑いかけてしまいます。しかし、そこは素直なプーチン。彼の口から漏れたのは、
「かっこいい……」
という、とてもとても素直な、裏表のない本心からの感想でした。もちろんその小さな感嘆の声は、大きく長いウサギ耳へばっちり届いています。
エプロンを握りながらぽぉーっと頬を染めて見ている恋人(断言)を眼鏡越しにちらりと確認したキレネンコは、その相手を掴む、自分と瓜二つなくせに別種族の耳を生やしている輩に向かって口を開きました。
「……腕を折られたくなかったら、さっさと手を離せ。バカ猫」
パキ、と白手袋の下で関節を鳴らす音にどんなふてぶてしい猫でも震え上がる―――はずなのですが、ジャガーもライオンもかしずかせる新しい猫科の王様には通じません。
ニヤニヤと、またチェシャ猫らしい笑みを浮かべたキルネンコが鼻で嗤いました。
「生憎と合意の上だ。大人しく来た道を帰れ、アホ兎」
急いでいるのだからどうぞお気になさらず先に行って下さいこちらは勝手に愉しくヤりますので。
そんなとっても親切且つ、非常に思いやりの溢れた言葉の要約に、安全ピン付きの長耳が感動にうち震えることは当然なく。覆う毛が、わささっと殺気に逆立ちました。
ジロリ烈火を宿した目で睨む兎と、ヒヤリ氷塊を思わせる目を眇める猫。
穏やかな日差しと風の溢れる昼下がりには不似合いな張り詰めた空気が一帯に広がります。
その丁度中心部、真ん中もど真ん中な位置に居るプーチンが、水色のエプロンドレスと同化するような顔色で固まっていました。ほんの一瞬前まで上昇していた体温は、体を浮かせる支点二箇所から吸い取られてしまったように下がってしまいました。
兎と猫って、仲の悪い生き物だったっけ―――?『兎猫の仲』とかいう諺、習ったことないけど。
だくだくと水分率が下がってきた体から何故か汗は際限なく噴出します。この調子ではいつか干からびてしまうかもしれません。が、「何か飲みたいんです」という要望はなんだか口にしてはいけないような―――いやもうむしろ手遅れかも。
静かに聞こえてきた獣の威嚇音と掴む場所へ増す圧力に、『氷炭相愛す』ならぬ『兎猫相愛す』という言葉はこの世の中にないだろうかとプーチンは必死に頭の辞書を捲りました。
―――とりあえず卵の入手パックを増やすため、チェシャ猫についてきてもらうのは無理のようです。
+++(双子な)おまけ+++
「それにしても、こういう時に実感することが一つある」
「……なんだ」
「お前と双子だって事だ」
実に不愉快だがな―――実際非常に嫌そうな顔をしてみせながら仕掛けるキルネンコの掛け蹴りを難なく過ごし、キレネンコは同じくらい嫌そうな顔をしました。その表情が全く同じなことが、余計二人の変えようのない遺伝子の繋がりを裏付けています。
「何故そうなる」
長い尻尾へ伸ばした手は空を切ります。あれをぶちんっと引き千切れたらどれだけすっきりするでしょうか。短い己の尻尾より狙いやすい部位を狙うキレネンコの眼は、相手が(現在別種族の)血を分けた兄弟であっても本気です。
じりじりと間合いを計る同じ色をした眼を見据えたキルネンコは、ピッと指で後ろを示しました。
鋭い爪の示す先――一旦互いの手から下ろした、エプロンドレスを着たプーチンが樹の根元にぺたんと座り込んでいます。若干まだ顔色が悪いですが、スカートの端を掴んでおろおろと事の成り行きを見守っています。
「ふ、二人とも、ケンカはダメですよぉ~……」
ふえぇ、とちょっと泣きそうな顔をしているのが、加虐心をそそる―――揃って向けていた視線を目の前に戻した時、これまた見事に相手と思考が被ったのをお互いに理解しました。こういうシンクロ率の高さも、双子の特徴なのです。
そして思考の他にもう一つ―――
やっぱりエプロンは白だよな、とか。ドレスタイプのワンピースにパフスリーブは欠かせないな、とか。
そういった、嗜好の部分。根幹が一緒だからか割と評価しているその部分はどんぴしゃりです。
最も、別に着ろと強要した訳ではないのですが―――今回は。
叩き込んだ掌底を掴み、押し合いへ持ち込むキレネンコの無言の言訳には、特に追及の手は伸びませんでした。その代わりとでもいうのでしょうか。至近距離の眼鏡の前に、キルネンコが三日月の形に上げた口の端と共に、指を三本、持ち上げました。
「というわけで、分け前は折半で折れてやる」
その折半部分は上下と呼ぶべきか前後と呼ぶべきか―――聞けば三本の指のうち一本が示している相手が再び顔色を青くして逃げ出しそうな中間案です。
割合の比率を高めたいところですが、ある意味愉しみは増しているので目を瞑っておきます。なんといっても、チェシャ猫は愉しいコトが大好きなのです。
ニヤニヤととびきりの嗤い顔で告げられる、本人からすればとても親切で和平的な提唱を、思考も嗜好も似ているはずの彼の片割れは「却下だ」とあっさり切り捨てました。余ったケーキも在庫がなくなった手入れ用ワックスも、一応半分こで納得してきていたキレネンコですが、こればかりは頷けません。
だって対象は正真正銘、自分が所有しているのです。分け前などという発想が出るほうがおこがましい、猫は猫らしく尻尾を巻いて住処の樹の上に帰れ―――ぐっと力を増した手に、向こうの手も同じだけ力を増しました。
「……アレは、俺のものだ」
「奇遇だな。同意見だ」
「…………」
ギリギリ拮抗する腕が仮にポキリと骨を折っても、互いに意見を折ることはないでしょう。
欲しい物は、障害を叩き潰してでも手に入れる―――こんな性格の部分も仲良く一緒な耳違いの双子に、頭の辞書を捲りつつ付けているプーチンがうーんうーんと唸りました。
「兎と猫……?兎猫もただならず……?ダメだ、やっぱり仲が悪い……」
:
――――――――――
2010.6.6
日記再録。時計兎の格好は自分の趣味です。そしたら巨匠が美麗に華麗に格好良く具現化してくださいました……!凄いよ!
再録時にこの話だけおまけ書き直しています。日記のはあんまりにアレだったのでこれも大概ですが。ボスs好きな方すみません。
|