白ヤギさんから、お手紙ついた。
 赤ヤギさんたら、読まずに喰べた。


真昼の招待状。

 
 車から降りたキルネンコは、煙草を片手に目の前の門戸を眺めた。

 「…………」

 表札の出ていない、玄関扉。その向こうに、人の気配はない。

 ―――空いている。

 気配を探るのに長けた感覚が、見えない内部の模様を伝えてくる。
 留守、ではない。文字通り、ここは空き家だ。ついこの前までここに住んでいた住人二人も、飼っていた小動物すら、居ない。
 判別するのは簡単だ。人の住んでいた痕跡が、まるでない。
 人が住まえば多かれ少なかれ家が人を抱え込んだ跡―――僅かな料理の匂いだとか埃の上を擦った筋だとか、もっといってしまえば空気そのものが住まう人息の不純物を含む―――を持つはずであるのに、 扉の向こう側にはそれがない。
 その理由を考えられるのは二つ―――そもそもが空き家だったか、故意に消されたか。
 当然、前者でないのは明らかだ。

 煙草を咥えたまま、扉の前で柳眉が寄る。

 住人の痕跡を消したのが誰なのか、その判断を下したのが誰でどういう理由なのか見当のつくキルネンコは舌打ちをした。
 腹の内の苛立ちを代弁するべく、物言わぬドアを蹴ろうと足を上げた時。彼は、足元に落ちている物を見つけた。

 地面と扉下部との、ほんの僅かな隙間から覗く物。
 身をかがめてそれを拾い上げる。手にしたのはゴミ箱からたまたま落ちたような、小さな千切られた紙片だった。
 紙くずにしか見えないそれを、赤い瞳がじっと眺める。

 「…………ふん」

 煙草の煙を吐く口が、確かに嗤いの形を刻んだ。




 サングラス越しに外を窺っていた運転席の彼は、おや?と首を傾げた。
 スモークを張った窓の向こう、降りたばかりの背中が扉の向こうに消えることなく、くるりと向きを変えて車へと戻ってくる。
 珍しい―――普段私用で出かけた際はなかなか戻らない主人の行動に感想を抱いて助手席を見れば、同じくサングラスをした同乗者が首を捻っていた。
 不思議には思うものの、疑問は抱かない。忠実な部下である彼らは、付き従う主の意思を無闇に勘繰る事はしない。常にその手が示す物を取り、指示する内容を達するだけだ。
 それに何より、今日の本来のスケジュールにこの場所は入っていない。指示に従い車を出しはしたが、それはつまり正規の予定を蹴っている、という事だ。決して簡単には外せないような、 主人にしか出来ない重要に分類されるべき予定を。
 イレギュラーな予定が切り上げられるなら、それに越した事はない。隣の同乗者もやはり同じ考えを持って、予定表の再確認を行っていた。
 ゆっくりとした昼食の時間を削らせてもらえば、何とかなるかもしれない。
 一旦切ったエンジンを、再度かけようとキーに手を伸ばす―――と。





 ガンッ!!!





 「―――どっ、どうされました、ボス!?」

 車体脇にトラックが突っ込んだのではないかと思うほどの衝撃に飛び上がりながら、運転席の彼は慌てて窓を開けた。
 下がっていくスモークの向こうから現れた、安くはない―――そして頑丈さも兼ね備えている高級車のドア部にめり込んだ、靴。
 鋼鉄をへこませている足を辿ったその先、彼らの主人が煙草を手に見下ろしていた―――非常に愉しそうに、口の端を吊り上げながら。

 「おい」
 「はっ―――はい!」

 低い呼びかけに、車内の二人が揃って背筋を正す。印象的な赤い瞳に晒され冷や汗を流す部下を気にするでもなく、キルネンコは薄い唇に笑みを刻んだまま命令を下した。

 「車を回せ。それから、他の連中に連絡しろ―――探すのは明け方までに街を出た、顔に傷のある男と背の低いガキの二人連れだ」
 「は……」

 高圧的な指図に、はい、と反射的に返事を返そうとして―――車を回せと言われた彼はふと、過ぎった意見を口に乗せた。
 意見と言っても主人の行動に対する反対の意ではない。忠実な部下としての、主人の立場を慮っての発言を、だ。

 「あの、ボス……失礼ですが、この後の御予定が少々つまってい」


 「―――あ?」


 「なんでもありませんっ!!!」

 シートの上で飛び跳ねた彼は、縺れる手でキーを回してエンジンをふかした。隣では同乗者が車内電話から他の仲間に言われたばかりの指示を飛ばしている。その顔を見て運転席の彼は、思った―――きっと今、自分も同じ顔色をしている。
 素早い部下の様子に絶対零度の赤い瞳が一旦下げられる。最初から変わらず口の端を上げたままのキルネンコは、車のドア部に煙草を押しつけた。
 ジュッ―――と立ち昇った、塗料の焦げる臭いに『サングラスをかけていなければ、その火を消すのは自分の目だったかもしれない』と、車内の二人は背広の背を冷たく濡らす。その予想は、恐らく、正しい。
 車から降りてドアを開ける事すら忘れている部下を特に咎めることなく、キルネンコは後部座席に乗り込む。悠然と組んだ長い足が運転席の背を蹴ったのを合図に、アクセルが踏みこまれた。




 「―――招待されたからには、行かねぇとな」

 急発進して街道を飛ばす車の中に、呟きが響く。愉しそうな主人の声を聞きながら、しかし運転席の彼はバックミラーを覗き込まず、震える手で強くハンドルを握り締めた。見据えるのは前だけ――― でなければ、事故死しかねない。心を代弁するように、只管アクセルを踏み込む。
 最早予定の事を発問する必要はない。主人自身が決めた内容が、そのままそっくり彼のスケジュールだ。
 車内電話には太陽の高い街を錯綜するスーツ姿の仲間からの情報が、どんどん集まってくる。忠実な部下達の働きに目を細めながら、キルネンコは拾ったばかりの紙片を掲げた。


 『また遊びに来て下さい―――P』


 読み手への配慮が全くない、走り書きそのものの字。
 目を鋭く光らせていただろう同居人の監視をくぐって置いたのだとしたら、なかなか豪胆だ―――だからこそ、面白いと思う。
 住所のない招待状を手に、赤い瞳が悠然と嗤う。


 さて―――引っ越し祝いには、薔薇の花束でも用意しようか。

 訪問の合図代わりの、銃弾一発と共に。

 



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2010.5.8
キル様降臨。花束、持たせるか迷いました。(ぇ)
次夜です。